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アガリクス

 人生、家から外へ出れば災難続きだった。いわゆる半分女が入ってる自分なので、どうもインビテーションも凄まじい。高校を卒業した時に五人の男が自分を遊びに連れまわしていた。
 こういうのって、嬉しいものなのだろうか? よくは分からないが。自分のために飲み食いに百万以上の金を出す男も一人じゃない。変態かと思う。
 逃げ回ってもいたが、家に退避してみても、三十代前にはついに家の中にまで入って来る人間まで現れた。一体何ごとなんだ?
 近所のおばさんが子供のいない夫との二人暮らしで、その夫が入院してしまったため、うちの風呂を借りなければならなくなったと言って、それ以来、そのおばさんが我が家に居ついた。
 家にも居場所がなくなったねえ。おばさんがきて嬉しいでしょう? と笑って入り込んでくる。
 玄関から入ってくるのではなく、勝手口からいきなり「吉川さーん」と入ってくる。猫がおばさんを見て、ぎょっとして身構える。勝手口からはちょっと困るよと注意したものの、結局、呼び鈴を鳴らさずにまるで自分の家のように入ってくる習慣は最後まで治ることがなかった。

 ニューヨークの貿易センタービルの映像がテレビに映っている。のんびりと建っている二棟のビルの一棟から、煙が出ている。
 なんだろね、としばらくテレビを見ていた。映像はひたすら静止画像のごとく、動かぬ画面の千葉テレビ、昔そんな風に言われたように、ニュース映像は流れる。
 近所のおばさんのうちに行くことなんて、アホのように珍しい。その日が9月11日だったということが、このことで記憶される。そのとき、健康食品の話をしていた。
 テレビを見ていても仕方がないからと、いったんスイッチを切ってしまう。そして、母とおばさんと三人で話をしていて、「健康食品と言うのは、そんなにあてになるものじゃない。薬のように管理されて作られているものでもないし、ラジオで言っていたけれど、買うにしてもせいぜい月二万円くらいまでにとどめておいたほうがいい」
 そういうと、おばさんは普段ガキのようで、バカな話をして笑うような、脳の足りない人間だと思っていたのに、こいつも怒ることはあるんだな、と思わされた。
「主人は朝、仕事へ出かけていく前に青汁を飲んだら、とても調子がいいって言ってるわよ!!」
 突然激高したので、思わずひるんでしまった。同時に思ったのは、ああ、このおばさんは健康食品のために、少なくとも月に二万円以上のカネを使っているんだなと言うことだった。
 いま、紅麹の問題で健康食品で死者も出ているような時代だけれど、このおばさんが現在でも生きていたら、どういったんだろう。
 気まずい雰囲気の中、再びテレビをつけたら、貿易センタービルは二棟目からも煙が出ている。? なんだろうね。
 このあと二棟のビルは崩落してしまい、アフガンで戦争が始まるのである。
 
 二十五年以上、毎日毎日、夕方六時になるとやってくる。一人で話して、一人で受けている。「ご飯食べるのに待てないよ」というと、「あら、待たないのよ」というこの神経。特売で買ってきたインスタントコーヒーを二十五年間で、計算してみたら八万円分飲んでいた。
 宗教の熱心な信者で、お札を売りつける。一枚五千円の札をご町内に配って歩く。しかし、三千円の町内会費には「なんのメリットがあるの?」。
 「お隣のうち、私が夫婦旅行して買ってきたお土産上げてるのに、おネギ下さらないの。ケチよねえ。……このうちおネギある?」。こんなこと言われたら、ネギをくれてやらないわけにはいかない。
 真冬の雨の降っている日に電話がかかってくる。
「単一電池あるかしら?」。
 実に巧妙な手段である。こんな夜に自分で電池を買いに行きたくはない。だから電話しましたー。と言うことが見え見えである。こう言われると雨の中を傘さして自分が電池を買いに行かなければならなくなる。
「三十分ほど待って」
 近くの家電量販店まで傘をさして、電池を買いに行った。傘の中にまで雨が入り込んで、手がかじかんでいる。病気の最中と言うのは、普通の人よりも寒い時は寒く感じるものである。
 声を発せないほど寒く感じて、まるで零下二十度の北海道の猛吹雪の中を、電池買ってきたという風に生還してみると、「玄関に置いといて」とおばさんが部屋から言う。
 カネを払わない算段である。
 ったくけちだな? 健康食品にはカネに糸目もつけないくせに? 人のうちのコーヒーはぱっぱか飲んでるし?

 乳がん発症して、顔を真っ青にしていたおばさんだが、周りの人間は誰も同情しない。
 しかし手術して一度は緩解したものの、ここまでおめでたいおばさんだとは思わなかった。
「この頃、腕の筋が痛いの。筋肉痛よねえ」
 そう言って整形外科へ行ったら、はっきり言われた。
「ガンじゃないですか?」
 アガリクスというキノコの成分を、ガンガンに飲み始めるおばさんで、新聞にも「アガリクス、いいでっせ」と宣伝されていたが、「科学的にアガリクスにはガンに対する治療効果は全くなし」とされたとき、アガリクスの宣伝がさーっと潮が引いていくように消えてしまった。
 それでも、おばさんはアガリクスを飲み続ける。ここまで健康食品信仰に力が入るものだったら、もしかしたらあれかね。
「信じるものは救われる」
 オバサンのことはムカついてもはや打つ手なし、あとの命は自宅でと言うことになり、病院から帰ってきたが、自分は見舞いにもいかなかった。
 六十代と言う年齢をもう少しで垣間見ようとするときに、おばさんは力尽きた。
 そうか、あのおばさん、五十代で死んだんだな。
 人が死ぬということに、こんなに複雑な心境になるとは、人生長く生きていると、色々な感情を持つようにもなるものである。

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