見出し画像

ゴールドブレンドオーケストラ

 noteも始めてから、だんだん他の人のものが読めるくらいの余裕が出てきて、そうすると、意外と楽器をやっている人がいるんだなあと気づいてくる。
 楽器やっていると、楽しいもの。苦しい場合もあるし、迷っている人もいるけれど、自分もそうだった。全然前に進まない時期と言うのもあって、やめようかなあ、やめよう。と、全くやらなかった時期もある。
 それでも再び続けていたりする。

 昔、石丸寛という指揮者がいて、よくは知らない人だが全国のアマチュアのオケを集めては「ゴールドブレンドオーケストラ」と名乗らせて、演奏させているころがあった。
 高校の部活でトロンボーンを吹いていたら、トランペットの先輩から「サードトロンボーンがいないんだ、来てくれ」と言われて、「なにそれ?」と言う状態で、練習会場に行くことになった。
 千葉県の総武線津田沼駅から、市川駅まで快速電車で11分。一人で電車に乗って、市川市民会館だったかな、忘れたけど指令されたとおりに呼び出され、行ってみて、吹いたのがチャイコフスキーの交響曲第五番。

 中学校の部活のときにもこの曲はセカンドでだが、吹いていたので、まあ何とかやれた。今にして思うと、もし楽器がトロンボーンじゃなくて、曲目がチャイコの第五番じゃなかったら、「ちょっと無理だよ」という。
 楽譜がそんなにさらさら読めるわけではないので、本番まで練習があと二回という所で呼び出された。なんでそんな時期に呼び出されるんだい?
 他のメンバーが何人も入れ替わって、「またトロンボーン変わったのか? もうプログラムには名前載せられないよ?」と嫌味を言われた。なんだか嫌だったな。

「指揮者、石丸寛は知っている。違いの分かる男のネスカフェゴールドブレンド。ダバダー、ダバ、ダバダー」とか、テレビを見たらやっている。あまりテレビをみる人生じゃないので、「これか・・・?」と半ば唖然として見ていたけれど。
 その石丸寛は心臓が悪いとかで、ゲネプロくらいまでやって来なくて、実際は誰の指揮で練習していたんだか分からない。
 まあ、プロの指揮者と言えば、聞いた話だとマエストロと呼ばれる人間に、「おはよう」とあいさつされた楽団員は、なんだか夢見心地になっちゃって、その日のコンサートではお客さんより演奏家のほうがボーっとした感じになって、一晩が過ぎてしまったりする。
 石丸寛くらいでは、挨拶されてもボーっと夢見心地なんて、なりゃしないだろうよと、思っていたらコンサート当日、石丸寛登場。舞台裏でホンマに「おはよう」と声をかけられちゃって。その日は夢見心地になっちゃってトロンボーンを吹いていた。

 自分の楽器なんか持っていない。学校の楽器、ヤマハのカスタムモデル二十七万くらいのを借りて、やってきた。するとほかのメンバーはみんな偉そうな楽器を持っていて、「私は外国の何とか製です」「私の楽器はマウスピースが固定されていて、動かないくらいよく作られています」とみんなで楽器自慢をしている。けっ。
 自分の楽器のマウスピースをグラグラ揺さぶってみると、なんだひどい楽器だったんだと悟った。

 ゴールドブレンドコンサートとか言って、千葉テレビで放送されたんだけれど、自分が演奏している姿を見るのは初めてだった。まあ、音がきったないきったない。
 スライドを動かす手が、よく見てみるとあまりなめらかじゃなくて、カクカクと言う感じで、後生丁寧にスライドポジションをたどっている。ふーん、こんな吹き方していたのか。やだなあ。

 それだけと言えば、それだけの思い出だけど。下手くそとは言っても、一応は中学で全国優勝校。ああ、新日本フィルで主席ホルンを吹いていた吉永君も、もうすぐ定年で引退かな。副主席奏者とかに後退して。
 病気だったもので、まともに音楽の勉強なんかやらなかった。だけど、学校へ行くこともまた難しくて、教室に入れない。校舎に入ることも、緊張して苦しい。
 唯一音楽室にだけは入れたから、それだけで高校を卒業できたようなもの。部活に入っていなかったら中退していたかもしれない。
 プロの指揮者に振ってもらって、いい思い出になった。トローンボンはもう今では、吹けば誰かが心不全で逝ってしまうとか、家が全壊するとかと言う大音響なので、吹いてはいないのだけれども。 

 

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?