002:懺悔

昨日の枠でかなり真面目なトーンで話したシーンがあったので、それについて少しnoteを書く気になった。

事の発端

ぼくの枠に来る度に「こんな不幸な事があった、自分はついていない」「またコミュニケーションのミスをやらかしてしまった、自分は最低だ」といったニュアンスのコメントを何度も送ってくるリスナーがおり、昨日も「今月まだ1週間ちょっとしか経ってないのに○万円使ってしまった、無駄遣いするつもりなかったのにやってしまった」といった事を枠に来るなりすぐに話し始めたので、
「ぼくの枠に来る度にいっつも金使い過ぎただの無駄に金溶かして後悔してるだの言ってるけど、ぼく前にこういう風に生きた方が良いんじゃない?ってアドバイスしたよね?改善する気ないの?」と言った所、
「明細をDMに送ったら良いですか」と返されたので、「お前それは実質やってる事チ○凸と変わんねぇぞ」という指摘をして、しばらくコメントをミュートするなどさせてもらった(リスナー自身からミュートを頼まれた)。

他者視点から見る不幸話

そもそもの大前提として、友達同士の会話ではなくライバー対リスナーによる配信での会話として行われているものとして考えるのだが、不幸話に含まれるネガティブな感情って基本的に他者から見てハッピーな訳がないのだ。
不幸話を話しているのに聞いている人が笑ってくれているとしたら、話している側の人間がちゃんと不幸話を自虐ネタ・笑い話になるようになるべくネガティブな感情を削ぎ落として削ぎ落として笑いに変えている。

もちろんぼく自身がそういう自虐を話す時はわざとふざけまくった喋り方にしたり聞いていて苦しくならないようにしたいとは思っている。
ただ、今回に至っては、

・リスナーのコメントを読み上げる→淡々とした口調になりやすい
・そのコメントをまず第一に受け止めたぼく自身が話を聞いてハッピーな感情にならなかった(幾度となく繰り返されている話題である為)→声のトーンが落ちる

といった所から、聞いていた他のリスナー達に不快な思いをさせただろうなという自覚はある。本当に昨日は申し訳ない。

何故ハッピーにならないのに不幸話をするのか

こうなってくると、「じゃあ最初に不幸話始めてきたリスナーブロックしろよ!ずっと続いてるんやろ!」と思う人が出ると思うが、一旦待って欲しい。
ぼくは別に神でも何でもない一介の電子生命体であるが、ぼくの元に来て話を聞きたいと思ってくれている以上よっぽどのセクハラをしない限りはあまり無下にしたくないのだ。まぁ実質チ○凸とか言った時点でセクハラに近いかもしれないのはそう。

これはぼくが自己解釈をして読み解いた結果なので、一概にこれが正しい心理だとは言えないと思うのだが、

・何か悪い選択をして不幸な結果になる
・誰かにそれを話す
・「大変だったんだね」等何かしらの慰めを貰う
・慰めを他者から得ることで「自分を心配してくれている人がいる」「人に優しくされて嬉しい」といった他者から向けられる憂いの感情に悦を覚える

といった考えから繰り返しているのかな、とぼくは考えた。
(この辺りの分野についての学は浅いので、本当に自己解釈を煮詰めただけなので何か参考になる資料などありましたらご享受願いたい)

配信の場でも上の説明をよりざっくりとしたものを本人に伝えてはいるものの、この言葉を聞いた上でまた繰り返すかどうかは本人の意思に委ねられているので今後の動向次第ではある。

行動から読み解く心理

話の冒頭では実質チ○凸と変わらん!と断言したものの、改めて今文章にまとめて思考を整理すると、これは自慰行為とも言えるし自傷行為とも言えるのでは?と思うようになり、素人に救える範囲を越えたかなり精神問題に関わる領域であると思うので、ぼくからは救いようが無いなと思っている。
本人の意思もあまり強くなさそうに見えるので、然るべき医療機関や福祉サービス等を検討するのも、自身の心を守るためには必要だと思うのだ。人間、身体と精神は両方とも大事にしないと死ぬぞ。片方だけじゃダメだぞ。
「不幸になる選択をやめたいのにやめられない」を紐解くと、「周りの人間が不幸になるタイプの人間関係の築き方が癖づいている」になっていくのだなあ。という気づきを得て、ぼくはここでターンエンドッッ!!!


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