一杯の水とダイヤモンド
一杯の水とダイヤモンドどちらが価値ありますか?って話なんだけど、ほとんどの人は「水だ」って言うんだよ。
聞いてみるとわかるんだけど。
例えば「砂漠の真ん中でダイヤモンドを持っていても、水が無かったら生きられないだ、だから、『一杯の水』のほうが価値がある」って言うんだよな。
わかるかい?
で、俺は、「正しい答えはダイヤモンドである」って言っているんだよ。
なんでかっていうと、日本に砂漠はないんだよ。
で、俺は外国に行かないんだよ(笑)
ここなんだよ問題は。
いいかい?
俺たちがサウジアラビアかなんかに生まれたら別だけど、俺たちが砂漠に行くといってもせいぜい観光で砂漠のはしっこをウロウロしただけで、砂漠に行ったような気になってるんだよ。
誰もいない何にも無い所に行くなんて、考えもしないのに、頭の中で「砂漠に行ったら…」って考えるのはおかしいんだよ。
ありもしない事を想像するから、ありもしない不安を想像するんだよね。それがおかしいんだよ!
わかるかい?
別に俺、ダイヤがほしくて言ってんじゃないんだよ。この日本という国でダイヤモンド1個あったら、コップ一杯どころかプールいっぱいの水が飲めるの。
それどころか近所の人に、「水一杯ください」って言ったら、飲ましてくれるよ。日本って水が豊富なんだよ。
こんなに水の豊富な国に生まれているにもかかわらず、「ダイヤモンドと一杯の水とどちらが貴重ですか」って言われたときに頭の中で、「もし砂漠にいって水が無かったら」って、想像するのはおかしいんだってことを、基本的にわからないと、人は幸せになれないよ。
ありもしないことや、最悪のことばかり考えていたら、無尽に色んな悪いことが考えられるんだよ。わかるかい?
だからそのことをしっかり覚えないと、いくら「上気元(上機嫌)でいましょう」っていったって、頭のなかの構造が『一杯の水のほうが大切だ』とか考えていたらおかしいんだよ。
それって、じつは親の代からで…
脳がそう思ってしまうのは、脳のなかにそのことがインプットされてるんだよ。わかるかな?
/斎藤一人