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変わらぬものなど

数ヶ月前に俵万智さんのプロフェッショナル仕事の流儀を見てから、たまーに短歌を作るようになった。

私は元々短い文章を考えるのが苦手だ。Twitterも1ツイートでは言いたいことは言いきれないし、それよりも短い五七五七七で思いを表すなんて無理ゲーすぎるって思っていた。
そんなことを思っていたけれど、元来ミーハーな人間なので俵万智さんが短歌を作っている番組を見たら、短歌を作ってみたくなってしまった。そして作ってみたら、案外楽しかったのだ。

短歌には、1から10まで全部は言わない(というか言えない)という心地良さがあるんじゃないかと思う。なんか、それが今の私には合っていたようだった。

noteのようにいくらでも書ける余白があると、あれもこれも説明したり修飾したり付け足したりしたくなってしまう。そうすると冗長な文章になることももちろんだが、言葉にしたくないことまで言葉にしてしまうような気がする。いや趣味で書いているのだから好きなようにすればいいのだけど、とかいうこういう1文も余計なものだったりする。誰に対する言い訳なのか。

文章に限らない。余白があると、余計なことを考えてしまう。
周りを気にしないで生きていけたらと思う。人は人、自分は自分とそう思えたら、どんなに幸せだろうか。でも、暇があるとそういうことばっかり考えてしまうのだ。
最近そういう漫画とかSNSの発信とか多くないか。パパ活、キャバ嬢、レンタル彼女とか。結局顔面が一番大事とか、月収とか生まれた環境とか、住んでいるところとか。年収は低すぎてもいけないし、高すぎると所得制限とか。色んなものさしで遠くの人と比べて、友達いなくなっちゃわないか。
だって、全く同じ環境にいられる可能性などもうないのだから。

結婚できない。子どもができない。自分の収入、パートナーの収入。住む場所。働く場所。夢を叶える。夢をあきらめる。開き直る。
そんなん幾らでも分かれ道があって、分かれてしまったらもう同じ価値観ではいられなくて、そうしたらもう終わりなのか。それともそうなってしまうのは私のコミュ力のせいなのか。

もはやそんな煩悩にモヤモヤさせられたくないから、他人と自分を比べることが辛いから、自分も周りも変わってしまうことが嫌だから、僧にでもなればいいのかとも思う。そんな気持ちで昔の人は出家したりしていたのかな。俗世を捨てることって案外サッパリするのかもな。

努力不足だとか、言い訳だとか、全部知らねえよって思う。環境だとか、もっとこうしていたらよかったのにとか、うるせえよって思う。私にあんたの価値観押し付けないでくれよって思う。
なのに、認めてほしいとも思ってしまう。人は勝手だ。他人の価値観を認めたくはないのに、自分の価値は認めてほしいとか思っちゃうのだから。

めちゃくちゃな文章だ。デジタルデトックスするべきか。
やっぱりnoteは余白があり過ぎるからいけない。
短歌で簡潔にまとめておくか。

‘’昔とか 周りのこととか 知らねえよ あんたは私の 人生なのか”

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