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老人と若者と卒業式と。

今の政治は老人を大事にしている、若者は蔑ろにされている。なんて話を最近よくTwitterで見る。

たしかに、昔より税金の負担は上がり、物価も高騰、給料はそんなに上がらずボーナスも雀の涙ほど。昔は札束が立つほどボーナスもらえたなんて話を会社で聞いたけど。現金手渡しの時代かよ。

私は、今のところ若者側だから、昔と今は違う!今が大変なんだ!って言える立場。でもいずれ、老人になる。

その時に、
「ウチらが若い頃はもっと大変だった!(ウチら、という一人称は古いものとなっている可能性は高いが、たぶん使ってしまってるはず)」
「ウチらはこんな補助受けていない!今の若者は甘えすぎ!」
「若者の家離れ!アパートに住んでる若者ばっかり!」
なーんて、言っていない保証どこにもない。

誰だって、現状に多少なりとも不満はある。不満はあるだろうけど、現実なんてそんなもんだって切り替えて、前に進むべきなんじゃなかろうか。努力するにしろ、ほどほどに生きるにしろ。
そうしないと、いつまでも不満を並べて他人の幸せを喜べないザンネンな人になってしまう。

私は、私たちの子世代が、私たちにはなかった様々なサポートや幸せを享受できることを素直に喜べるような老人になっていたい。
自分が全部返し終わったあとに奨学金返済が免除されるような制度ができたって(できるのか?)、その時の若者によかったね〜って言える人でありたい。

そのためにも、今を一生懸命生きたい。

卒業式(話変わりすぎ)

そういえば、昨日は近隣の高校、中学校の卒業式だった。やけに袴姿のお母さんが多いなぁなんて思っていたら。

自分の卒業式を思い出した。
大学の卒業式はコロナの影響で出てないから、私の卒業式の記憶は高校で最後。そんな母校に、昨日は仕事で2回も行くはめになった。
校門で写真撮影をする子たち、体育館で部活の後輩と最後のお別れをしている子たち、なぜか普通にバスケをしている子たち(?)

そんな子たちに「こんにちは!」って言われて、「こんにちは〜」って返した時。なんかちょっと戻りてぇなって思った、一瞬。そして、そんな感情になったのは久しぶりだった。

地元に帰りたいとか言ってUターンしたのも、そもそも高校時代の思い出が忘れられなかったから。だから地元に帰りたいとか言いながらも、生まれ育ったまちではなく通った高校のあるまちで職場を探したし、母校に関われる職に就いた。
でも、戻ったそこはあの時と同じまちではなかった。
私はもう高校生じゃないし、あの時の友達や仲間はほぼいない。てか、1人しかいない。

別に悲しさとかはあまりない。そりゃちょっとは寂しいけど、たぶん学生時代の友達と会わなくなるのは別の場所にいても変わらない気がするし。
大人になったらなったでまた新たな出会いもあって、思い出のあの場所もこの場所も、違う思い出で上書きされつつある。だから、高校時代のことを思い出したのは久しぶりだった。

そうか、この日だけは上書きできないんだ、と思った。卒業式のあとの3年生を送る会(懐かしい響き!)、仲良しグループと河川敷に行ったこと、クラスの打ち上げで食べたもんじゃ焼き。

場所の思い出は上書きしても、卒業式の思い出だけは、これからも上書きできない。自分の子どもの卒業式までは。でもそんな頃には上書きどころかファイルも消失してる気がするけどね。でも、それでもいいんだよ。

人生って長いんだから。

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