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最近なんとなく考えていること。

最近、人生のモチベについて考えている。
自分1人だけで長い人生を生きていくのは飽きてしまうから、誰かと共に生きたいと思う。だから人は結婚するのだと何かで読んだ。

社会人生活にも慣れてきて、気づいたこと。
今まで生きてきた長さの何倍、この先も人生が続いていくこと。そして、ただ生きていく、というだけではモチベを保つことは難しいこと。だからこそ結婚とか、出産とか、転職とか、引越しとか、環境を変えて一種違うステージに行くことでまたモチベを得る。得られるんじゃないかと期待する。
「茫洋とした長い時間をただ生きるという苦痛」から逃れるために、人は前に進み続けるのじゃないかと思う。
耐えがたい環境でもない、このままでも死ぬほど困るわけではない。でも、ただ飽きてしまうから、今を壊したくなる。そんな時に、環境を変えたくなるんじゃないだろうか。

電車に乗って、ぼーっと窓の外を眺めるのが好きだ。
昔、東京に住んでいた頃、よく鈍行列車で新潟まで帰省していた。単純にお金がなかったという理由もあるが、電車の方が些細な生活のかけらを感じられるというのも大きな理由だった。
電車に駆け込んでくる高校生、彼女の日常はどんなものだろうか。少なくとも、私が送った高校生活とは全く違うだろうと思う。
帰り道にはタピオカとか飲んで、プリ撮って、ファミレスでご飯食べて帰ったりするのだろうか。それとも寄り道なんてしないのだろうか、なんて思っていたけれど、東京生まれ東京育ちのバイトの先輩は校則で買い食いは禁じられていたのでいつもまっすぐ帰っていたらしい。
つまり、私の思う都会の高校生像はある種幻想だったわけで。もしかしたらこの世の大半は思い込みで出来ているのかもしれない。
それでも、思い込みと分かっていても、今の自分のものとは違う日常に飛び込んでみたくなる。

でもそれは、飛び込んでみた日常にも飽きる時が来るということで、人生堂々巡りコースのできあがり。

便利だけど、不便だなと思う。そんなふうに、届かないところにあるはずの他人の日常が見えてしまう現代の生活。叶えようと思えば叶えられるところにある憧れの日常。そして堂々巡りになって、気がついた時には手元に何も残っていない。だって、いいとこ取りの日常が欲しかっただけだから。そしてそれは幻だから。

16タイプ診断というやつをやった。そしたら、INFPだった。
INFPと検索すると、生きづらいとか頭おかしいとか仕事ができないとか、テンションの下がる言葉ばかりが並ぶ。
あんまりいいことは書かれていなかったけれど、ちょっとほっとした。

そうか、私はこういう素質だったんだ。生きづらくても頭おかしくても仕事ができなくても、その現実を受け入れていいんだ。そして、そこからどうするかが大事じゃないか、と。
自分に期待しすぎないことができるようになった。

周りと同じように出来なくたって、私には私なりの戦い方があると。
そう信じて、INFPに最も向いてないといわれる営業職で、自分で選んだ場所で、踏ん張ってる。

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