自己肯定感

あきすぎあきすぎ。

投稿頻度が空きすぎ。
noteに飽きすぎ。
季節が秋すぎ。
のトリプルミーニングから幕開ける波乱の展開。

どうも、浜野です。

おそらく僕の影響で始めただろう人たちがnoteを上げていることによる焦りで書いております。
noteの開拓者としての意地です。


久々なのでちょっと硬めの話をしようかと思います。

何度も書いてると思うのですが、僕は自己肯定感があまりにも高い人間でした。
自己肯定感が高い人?と聞かれた時に真っ先に手を挙げるタイプでした。

しかし、約半年前ぐらいから、あれ?俺そんなに自己肯定感高くなくね?と思い始めました。
実際にその頃はそんなに高くなかったです。
そして今現在は微高です。

ここでまず一つ気づいたのですが、自己肯定感って結構変動するんです。
(あくまでサンプルは僕だけなのでかなり主観は入りますけど。)
そんなの当たり前やんと思われるかもしれませんが、僕からしたら結構な驚きで、それまでの人生では常に自己肯定感がピークに高かったです。

では、どういう時に変動するのか。
これは、頼るものがなくなっている時だと思います。

僕の感想ですが、自己肯定感はそれだけで独立して存在しているものではないと思います。
つまり、何もないのに勝手に自分の中で生み出されるようなものではなく、むしろ外部からの影響で生成されるものだと感じます。

自己肯定は他己肯定の上に成り立っていると思います。
他者の承認によって、自分に自信がついたりして、自己肯定に繋がっていきます。
他己肯定→自己肯定の順でできてきます。
故に、頼るものがなくなり、褒めてくれる人もいなくなったりすると、途端に自分の牙城が崩れていくものです。
自己肯定感というのは意外に脆いものなのです。

実際、自己肯定感がずっと高かったとは言ったものの、本当に常に高かったというわけではなく、他者の評価があまりない時は自己肯定感が高いと言い続けることで自分を騙していました。
中身がスカスカの自己肯定をしていました。
自己肯定感なんて実体がないのでそんなものなのです。

半年前に親元を離れ、褒めてくれる人も身近にいなくなったときに初めて自己肯定感がないのでは?と思い始めました。
おそらく自己肯定は殻のようなもので、その中身は他人からの自分の評価が詰まっているのです。

自己肯定感はそれ単体では脆いものですが、他者の評価が相まれば、かなり強固なものになり得るということがわかりました。


以上を踏まえて何が言いたいのかというと、他人を褒められるような人でありたいなというだけです。
至ってシンプルです。
自己肯定感の上げ方みたいな記事を散見しますが、僕の結論としては周りが褒めてあげるのが一番いいような気がします。
僕が褒めてあげることで誰かが幸福を感じるならば、そんな素敵な話はないじゃないですか。
どうか皆様も周りの人を褒めてあげてください。

あと僕のことも褒めてください。

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