2:22

寝る時間がバラバラになってまいりました。
まあそれも宇宙単位で見たらちっぽけなこと。
どうも浜野です。
今日は夜の12時までまともな食事を摂りませんでした。
自分の食欲のバグりっぷりにはよく驚かされます。

てなわけで夜中の3時でございます。
眠くありません。
エアコンと外の車とnoteを書くために端末に触れる指の音のみの空間が心地よいです。

夜中の3時ということは当たり前ですが、夜中の2時台を通ったということです。
午前2時台に僕が楽しみにするイベントがあります。
楽しみというか見れたらラッキーだなぐらいのイベントです。
それは、2時22分を見ることです。
人によっては「は?キモ。」と思うかもしれませんが、割とこういうのには嬉しくなっちゃいます。
ゾロ目にテンションが上がる性分であります。
車のナンバーも1111とかならワクワクします。
ダイドーの自販機もゾロ目ならもう一本ジュースをくれます。
ゾロ目は素晴らしいです。

デジタル時計に2:22と映し出されているのを2:23に切り替わるまで見てしまいます。
当然ながら1:11にも興奮しますが、2:22の方が芸術点が高いような気がします。
おそらく夜が深まってるからだと思います。

しかし、2:22の表記を見ると嬉しさの他にも抱く感情があります。
それは、
「22:22の下位互換じゃね?」
です。
2:22は美しいのですが、それよりも22:22の方が断然気持ちがいいです。
なので2:22を見ると何故か謎の敗北感と言いますか、
「いや、22:22見てないやつが妥協して2:22に喜んでるやん」
と思います。

ちなみに、3:33はとてもいいです。
なぜなら、33:33は存在しないから。
あと、11:11も22:22の下位互換であり、お昼なので興奮しません。
やはり、22:22が一番美しいです。
さらにちなむと、a.m.、p.m.表示の時計の場合、一番興奮するのはa.m.4:44です。
一番深く、浅い時間帯だからです。

話を戻します。
22:22は時計ゾロ目界の頂点に君臨するわけですが、不思議なことに22:22はなかなか僕の前に姿を現しません。
理由はその時間が一番なんらかの活動を僕がしているからです。
22:22を見逃した時は特に悔しい思いはありません。
しかし、夜中の2:22を見た時に22:22を見てないことのツケが回ってきます。
「お前は22:22というものを見ていないくせに、2:22で上がってるんだろう?とんだ愚か者だ。」
と、時計が語りかけてきます。
電源を抜いてこの時計を黙らせることは可能なのですが、それは反則です。
22:22を見てない僕が悪いです。

いつかは22:22を1分凝視して高笑いし、時計をバッキバキにして、
「俺が時間に縛られると思うなよバーカ」
と唾を吐きかけたいと思っています。

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