ウクライナは最後まで戦うべきなのか(結論編)
賛成、反対双方の意見から反論、反論の反論、反論の反論の反論を書き出したので、問題点が見えてきたところで結論を書きたいと思います。
1.賛成なのか反対なのか
最後まで戦うことに賛成です。ただし、戦い方として、軍隊は最後まで戦う、一般市民にも武器を配布するが、一般市民は亡命、逃亡を認める。武器は基本的に自分の身を守るために使用する。攻撃に使うかどうかは個人の判断による。
最後まで戦う理由としては、侵略してきたロシア軍に降伏する理由などないからです。ここで独立する姿勢を見せないと粛清され、独裁国家の領土拡大を認めることになります。世界各国からの支援金で民間の兵士を雇ってでも最後まで戦う姿勢を見せることで独裁国家は勝てないということを示すべきです。グローバルで見れば資金力の差は明らかです。
2.自分の国で同じことが起きたらどうするのか
日本もロシアとの国境で接しており、今回のような事態が起きることは想定されます。実際に、かつては日本とロシアは海上でも満州国でも戦争がありました。
自分が国の指導者だったら、国民に武器を配れるだろうかと考えてみると、戦争が終わった後にどうやって回収するのか、日本の反政府組織が武器を回収して新たな脅威が生まれるのではないかと躊躇してしまいそうです。それでは素手で戦えるのか、火炎瓶を自作するのかというと、それなら、市民が武器を持って戦った方が良さそうにも思えます。なので武器は自分の命を守るために配布すると思います。使い方をどうやって教えるんだ、内ゲバが起きたらどうするんだとか心配はありますが、自分の身を自分で守るしかありません。そのための武器を配るのは止むを得ないです。
それでは、自分が武器を受け取ったらどうやって戦うのかというと、まずは家族の安全、周辺住民の避難を優先して、安全を確保した上で、自分は武器を持って戦いに行くのかなと思います。もちろん地下に隠れることができればそうしますが、いざ戦うとなると、家族の安全を確保した上でとなります。
3.解決すべき問題はなにか
歴史が動き始めた時を考えればわかりますが、日々の食料を求めて活動していた時代には蓄えがなかったので奪い合いは起きませんでした。農業や畜産が始まって蓄えができ、集団で管理するようになってから、それを奪い合うという歴史が始まりました。これが歴史の始まり、戦争の始まりだと考えています。この蓄えと奪い合いによって、人類は発展してきました。しかし、現代では貧困は残っているものの争う必要はなくて、貧困を世界で無くしていこうと歩み始めたばかりでした。
一方で、武器を捨てて平和に暮らしましょうと言って、みんなが従えば平和は訪れますがそれは実現してきませんでした。結局は軍事力の均衡により戦うと大変なことになるから戦争はしないという状況を保つしかありませんでした。今回、ロシアは、その均衡を破りました。これは初めてではありません。戦争を起こす国には制裁を加えて、国力を衰えさせるしかありません。かつてドイツの優秀な科学者は米国に亡命してしまいました。今回もロシアの優秀な科学者は他国に亡命せざるを得ない状況になるのではないでしょうか。そういう戦争に無関係なロシアの人々を西側の国が受け入れられるように願っています。
こうして考えてみると、戦後の日本の混乱というのは、すごい緊張感だったことがわかります。今の自衛隊や警察を命がけで作り上げて日本の秩序を維持してくださっている方々に感謝したいと思います。すぐに解決できる特効薬はありません。今後も均衡を保っていくしか道はないと考えます。