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「長崎の鐘」が伝えるリアルなストーリー

「長崎の鐘」を知ったのは、作曲した朝ドラ「エール」の古関裕而さんを知ってからです。古関さんは、「『鎮魂歌』という思いで作りました」と、のちに振り返っています。でも、悲しさが強調されることはなく、サビ部分の壮大なメロディーが、さびしさや無念さを覆っていく、そんな曲でした。

ちなみに歌っているのは藤山一郎さん。「エール」では、山藤太郎という名で登場します。演じるのは柿澤勇人さん。

ここで書きたいのは、曲のモデルになった小説「長崎の鐘」のことです(青空文庫で無料で読めます)。

長崎医科大学(現長崎大医学部)助教授だった永井隆さんが、爆心地から1キロ以内で被爆した瞬間や、救護の様子を記したものです。

描かれるリアルな感情

物語は、原発が投下される「その直前」から、街が復興にむかう「原子野の鐘」まで12章に分かれています。

気づいたのは、悲惨なできごとの中にリアルな感情が描かれていて、「いまの人たちと変わらない」ということ。

たとえば第6章「原子爆弾の力」では、看護を続ける長崎医大の教授たちが、米国が原子爆弾をどうやって作ったのかについて意見を交わしています。

「日本ではウラニウム二三五の純粋分裂をやりかけたのだが、文具から、そんな夢物語みたいな研究に莫大な費用を使ってもらっては困ると叱られて、おじゃんになったと漏れ聞いている」
「惜しかったなあ」
「済んだことは仕方ないさ。愚者を指導者にいただいた賢者の嘆きさ――」

原子爆弾を浴びた、という状況で交わされるあまりに客観的な意見。
「悲しみ嘆いていて、苦しんでいる」という私の「被ばく者像」を覆されました。

第8章「三ツ山救護班」では、終戦に打ちひしがれた永井さんが、いったん患者を断ったのち、思いなおして呼び戻します。

国は敗れた。しかし傷者は生きている。戦争はすんだ。しかし、医療救護隊の仕事は残っている。日本は滅んだ。しかし医学は存在している。私たちの仕事はこれからではないか。国家の興亡とは関係のない個人の生死ほど、私たちの本務である。

起こっている出来事は「物語」ではない

小4で「はだしのゲン」を読んだとき、遠い世界の出来事でどこか物語を見ている気がしていました。

あ、違うんだと思ったのは大学4年で広島に行ったときでした。自分と同じような人が実際にいて、生活があったんだって気づきました。「この世界の片隅に」があれほどヒットしたのは(私は映画館で3回みました。うち1回は片渕監督も来た!)、それを多くの人に伝えたからだと思います。

それは今にも通じていて、世界で、日本で起きてることを「物語だよね」「俺とは関係ないね」って遠ざけてしまうことが、私にはあります(記者としていろいろなリアルを目にしてきたのに、です)。

長崎の鐘を通じてnoteで伝えたかったのは、それは良くないなと思ったからです。自分への言い聞かせという意味でも。

長崎の鐘は、青空文庫で無料で読めます!