2024年3月20日の少し前に

「わたしという物語を語り継がれたい」と書いた伊藤計劃がこの世を去ってから、もう15年が経とうとしている。今の世界はますます歪んでいて、世界の解釈という手段で個人がその人だけの物語を持てるようになったと言われているけれど、その代わり「世界」という大きな物語に信念を委ねる安楽を失った。物語がいまや、人間を振り回し、分断させる時代になった。その中で個人/故人が物語として生き残ることは、正直、少し難しくなった。だれも、そんな場合じゃなくなってしまったのだ。
解釈1つで無が有になり、有が無になる中、自分という物語さえ見つけることが叶わない、だから解釈という手段で拠り所を探し続けている、それが今だと私は思う。

伊藤計劃が想定していた「物語」は、何だったのだろう。99年の東京ゲームショウのコナミブースでトレーラー映像に涙を流した話?自由に同人を楽しんでいた話?ブログの映画評論?小松左京賞の話?闘病生活?遺作の話?亡き後のメディアミックスも?……多分だが、答えは「全て」だ。しかし、「多分」でしかない。人の一生の話だ、あまりに要素が多過ぎて、今挙げた要素も私が恣意的に並べただけに過ぎない。そして、私情としてはメディアミックスは忘れたい。無理な注文をしてくれたな、と、私は今更思うのだ。伊藤さん、「わたしという物語」の定義、解釈はなんだったんですか?

人間が世界という大きな物語にゆりかごのように揺れて一生を終えられる時代は過ぎた。物語として成立できると信じられる時は過ぎた。今を生きる私達に、そういう行く場所帰る場所、当然のように信じ属することができる物語、安心できる物語はもう存在しない。無限の解釈が解放された結果、物語は無限に変質するのがわかってしまったから。

そして、人生なんて超大で主観的な物語を意図通り受け取ることも、勿論、無理だったのだ。

「私も物語になれる世界だったらよかったのに」

私は虚空に、そう、呟いた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?