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生きているだけで儲けもんでいいじゃないか

『武器としての資本論』 白井聡著

ふんふん、、

・新自由主義、ネオリベラリズムの価値観とは、「人は資本にとって役に立つスキルや力を身につけて、はじめてかちが出てくる」という考え方です。人間のベーシックなかち、存在しているだけで持っている価値や必ずしもカネにならない価値というものを全く認めない。だから、人間を資本に奉仕する道具としか見ていない。

・デビィッド・リカードの「賃金の生存費説」という学説を参照する必要があります。賃金の生存費説とは、「労働者の賃金水準は、労働者自身が生きて、労働者階級が再生産されるのに必要な費用に落ち着く」という説です。リカードは、労働者が搾取されすぎて死んでしまうほど低くはなく、かといって金持ちになって働かなくて済むようになるほど高くもない水準を想定し、それを「生存費」と称したわけです。

→何とも身も蓋もない、、と思いながらも、、

・特別余剰価値とは、「高まった生産力によって商品を廉売することによって得られる利益、イノベーションによって獲得される期限付きの余剰価値であり、ある商品の現在の社会的価値と未来の社会的価値との差異から生まれる」と定義できるでしょう。
・競争相手が必死で走っているから、こちらも必死で走らなければ競走に負けてしまう。でも皆が同じように必死で走るから、大した差はつかなくて、大した特別余剰価値も手に入らない。結局はみんなくたびれ果てるだけで、何の得も生まれません。

→色々思うところはありますが、、

・哲学者の國分功一郎氏が『暇と退屈の論理学』という著書の中で、ファストフードとは何かについて論じています。いわく、ファストフードとは単に早く食べられるものなのではなく、味が単調なのでゆっくり味わう必要がないという意味で「ファスト」なのだ、と。単調とは情報量が少ないことである。味に複雑さがないから時間をかけて味わう必要がない、と論じています。この議論でも問題となっているのは、同じく感性の再建なのだと私は思います。情報量の少ないもの、玩味できないものに慣らされてしまった状態、これが感性までもが資本によって包摂された状態にほかなりません。その時、その享受される対象は貧しくなっており、享受する主体も貧しくなっています。言い換えれば、世界そのものが貧しくなっている。

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