誰もが、音楽が終わるようにその人生を美しく終えられたなら、どんなにいいだろうと
「うん、だからね、またイタリアに留学したいんだ」
私がまだ東京の西側に住んでいた頃、吉祥寺にある彼女の行きつけの、センスのいいカフェで、熱っぽくそう語っていた姿は、年齢差も経験さえも感じさせないほどに「学び手」であり「歌い手」だった。
あの目のきらめきは、いつ何年ぶりに会っても変わらない。彼女はいつも歌に生きていた。
「イタリアに? いいね、本場だね」
「うん、教わりたい先生がいるの」
熱量をもつ相手との会話はエネルギーがいる。互いにそのタイプならなおさらだ。デッドヒートの末にオーバーロードして、歌い手同士のくせに、いつも喉がカラカラに涸れるまで私たちは喋り倒した。
だからこそ、会うのは数年に一度だった。毎日のように会っていたとしたら、身がもたない。
いつ会っても変わらずに、お互いがこの前会った時と同じように遠く高くに視線を向けているのを確認し合う。
私たちはただただ、純度高く歌に生きていることを、鏡のように感じ合ってまたそれぞれの日常にもどる。
だから、なんだか、涙も出ないのだ。
信じられなくて、あっけなくて。
急性脳溢血というたった5文字で、彼女の最期が表されているのが、どうしても、結びつかない。あのいきいきとした存在感と、ソプラノ歌手らしい、よく通る溌剌とした声。
今日、つい2時間前にその訃報を目にして、3年前に亡くなったもうひとりの友人の顔がまたちらついて、なんだか、いろんなことがぐるぐると皮膚の内側を巡った。あまりに突然で、非情で、無情で、儚い。そして私だってもしかしたら、明日そうなるのかもしれない。誰にも保証がない。
明日、自分が生きている保証など誰にもない。ということを、誰かが旅立つたび、思い知らされる。
彼女の死に実感が持てないかわりに、いまは、そういうことばかりを考えている。
動けない、と、毎日を浪費のように消費している自分を振り返ってしまう。これはよくない思考だとわかっていながら。明日死ぬかもしれない今日をただ病に押しつぶされながら過ごしている毎日を思う。「次のライブが人生最後だとしたら?」「それすら迎えられないとしたら?」私は気合いで動けるようになるんだろうか?
そんなわけはないのに。
誰もが、ままならない中で生きている。そして、ままならない最期を迎えたりする。ひどい話だと思う。でもそれが自然で、摂理でもあるのだと、そのことも知っている。知っていても、目の当たりにしては足元がぐらつく感覚を繰り返し味わう。そして足掻こうとする。
ぼけっとした頭のまま、予定通りの電車に乗り、予約していたカイロプラクティックに入った。
動けない時間と締切のプレッシャーがひっきりなしに入れ替わる毎日のせいで、体のあちこちのネジがばかになったみたいにガタガタ軋んでいた。
頭からは彼女の訃報がはなれないが、現実味はない。現実味はないが、ときおり、漠然とした悲しみが雲間からさしこむように心に刺さる。
こういうとき、いつもそうだ。
スピーカーからは、ジャクソン5が流れ始めた。
なにを成し遂げれば、その人生は充分だったといえるのだろう。
大きなステージを前に急死した一流アーティストの声を聴きながら、まだもっと、と高いところを目指し、歌を教え、学び、ただ邁進した彼女たちを思う。勝手に「道半ば」と言ってのけたくもない。
いったい何がちがうというのだろう。いや、いったいどんなものさしが、定量的比較の尺度になりうるというのだろう。
きっと明日になれば私は落ち込むだろう。でも、立ち止まりたくはない。私には、私にもまた、そう、歌うことしかない、
苦しくても動けなくても、今日を今日として生ききることしか、この恐怖からはのがれるすべがない。
いつもいつも、子どもみたいな感想を漏らしてしまう。
人ってさ、本当に、死んでしまうんだぜ。それも、誰もが絶対に。
スピーカーからは相変わらず、ジャクソン5が流れている。
I'll be there, I'll be there,
Just call my name and I'll be there…
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