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目覚めの眼

『目覚めの眼』〜解凍されたメモたち

○序

 ざっざっ。暗がりに音が響く。
日本髪に空色と濃紺の縞模様の着物を着た女は人形がごとく目はぱっちりと空を見上げ、穴に横たわっていた。自らの身体の上にシャベルで茶色い土がかけられていっても。
「許してくれ。ゆるしてくれよう。お前がね、死んでくれないと金が返せないんだよう」
 汚れたカーキ色のフードを被ったマントの男は、目から下は包帯で巻かれ、シャベルを握る手も包帯で巻かれている。旧日本軍兵の一兵卒が着るような色だが、フード付きマントの制服などあったのだろうか? 広範囲の火傷の跡でもあるのか、目以外を薄汚いカーキ色が蔽っている。その目は充血しているらしく、ひどく紅い。
 これは保険金殺人の様子だろうか? しかし女のほうはなすがままとはいえ、男の口ぶりからするとまだ息はある。なぜ彼女は抵抗しない? 色白とはいえ頬にはほんのり赤みがあり衿少し抜いた胸かるく上下している。
「ささめ乃よう、ゆるしてくれよう」
 と、その時。男がぐあっと声を上げて後ろにのけぞった。汚れた包帯と、マントの一部が切れ、どくどくと血が流れていた。
 『ささめ乃』と呼ばれたらしい女が、横たわっていた穴から身を起こし、男の首を片手で絞めていた。
 女も男と同様かそれ以上に紅く、かつ無表情に女は男の首を締めあげていた。
「やはりダメか。この男は死ぬぞ」
それまでの男とは打って変わった低い声がマントの下から聴こえた。
 女は手しか使っていないはずだが、スパリと斬られた包帯とボロ布切れ端が月明かりに照らされた。男の紅い目よりあかい双眸が男の顔の下、包帯のすき間からギロリと光る。
「いつまた、お前の一族が俺を殺りに来るまで。待つしかないのか」
 男はやおらに腰のサーベルを抜くと、ざくりと自分の胸に突き立てた。
 「ささめ乃」は。

 俺をみていた。帰り血を白い頬につけたまま、紅い両の目で無表情に。

○赤の王様の夢

「夢彦ー! 起きなさい! 」
がばりと起きると、勢いが良すぎたのか急な貧血でクラクラした。
 畜生。また寝ざめの悪い夢を。だいたいなんで俺は「夢彦」なんだ。とんだ名前をつけてくれたもんだ。しかも名付けたのは親父。俺の本当の親父なんだろうな。ちなみに親父の名は熊彦。由来は親子そろってすぐわかるだろ? 熊のように、強くと、いつまでも夢をあきらめない。とか。
 俺のフルネームはミコガミ ユメヒコ。十五歳中学三年生。一年生から中高一貫教育の私立学校に通う男子。背があまり伸びないのがコンプレックスだが、まだまだこれからなんだろう。将来の夢はまだ決まらない。
「夢彦」だなんて
いかにも叶わぬ夢がてんこ盛りの人生を歩みそうだ。これを考えるたびめまいがする。
「あっ……」
 俺はあわててベッドから這い出しパンツをはきかえた。
 今回だけではない。「ささめ乃」の夢を見ると、俺は夢精してしまうのだ。幸か不幸か、我が家は親が無断で部屋に掃除に入るなどはなく、自分の部屋の掃除洗濯は各自、というのが親父の方針だ。なので。部活で入っている野球部のユニフォームと一緒に自分で洗えばいい。
この現象は十五の誕生日、十一月二十日からはじまった。ちょうど二カ月前になる。
俺、悪い霊にでも憑かれたのかな?
制服のタイを結ぶ鏡の中の俺は相変わらず眠そうだ俺は居眠りなんかしょっちゅうだ。しかも最近ひどい。ささめ乃のせいだ。あいつの夢を見ると眠った気がしない。
「ユメヒコ~迎えにきてあげたわよ~! きゃっ!」
「あ、何勝手に! うぐっ!」
 真っ赤な顔をして俺にカバンを投げつけると部屋からダッシュしていったのは、いっこ上の従姉の愛。なんだよ。シャツ着てタイ結んでからズボン履いてもいいだろ?

「夢彦の変態! バカ!」
 俺は罰? としてアイのカバンまで持たされて校門をくぐった。このぼうりょくイトコは同じ学校。今日は通学中は一切クチをきいてくれなかった。
「なんだよ。そっちが悪いんだろ。逆考えろ」
「何言ってんの? この子? バカじゃないの? てゆか変態~? やっぱ変態! 逆なんて余計変態!」
 一事が万事、この調子だ。俺、この学校は高校も校舎がつながっているんだ。
「じゃ、俺、中3の下駄箱に行くから」
 まだぎゃぎゃあ言うアイにカバンをおしつけ、俺は走りだした。
 ふと、背後でアイの悲鳴がした。振り向くと、長いおかっぱの黒髪を振り乱しアイが
「よけて! 夢彦!」
と叫んでいる。いや、叫んでいるように見えた。えらくスローモーションな風景。
 校門から大きなエンジン音とともに、スポーツタイプの迷惑なモデルの車が暴走してきた。それもゆっくり、と……?
 俺は。
空の。
碧さしか。
わからなかった。

「夢彦」
 聞きなれない女の声だ。
そういえば、ああ。俺、車にはねられたのか。
目はまだ閉じてる。空の碧さ。キレイだったな。あんなに高いところまで飛ばされたんだな、俺。
「のんきだな。お前は。夢彦」
 うるさいな。俺、また夢を見ていたのか?
 うるさい事を言うならまた寝てやるよ。
「起きろというのに。しばかれたいか」
 いや。この声、どこかで?
 そういえば。がばりと起きると急な貧血がきてクラクラした。
「く~」
 しかし、俺が寝ているのはいつものベッドではない。
 ひどくふかふかとして、真白いシーツ。キングサイズはあろうかという金ピカのベッド。
室内はクラシカルで豪奢なホテルのスイート級(と思う。入ったことないからわからない。俺の通う学校は私立でも貧乏校だし)の部屋。
 ちょっとラブホ(入ったことないが)にしてもキレイすぎる、そんな妙なアンティークな一室に、俺はいた。
「やっと起きたか」
 すぐ近くにベッドの上に腰掛けた日本髪の白い女の顔とほのかな白粉の匂い。
こいつは?
「さっ! ささめ乃! 何回も夢に出るな!」
「あたしは……ささめ乃ではない。少なくとも今はな」
「嘘をつくな! 嘘を! その証拠に!」
 俺はシーツと毛布をめくると、勢いよくパンツごとズボンををおろした。
「夢彦。何の真似だ」
「あ、あれ?」
夢の中だからだろうか? 夢精していない?

ベッドに仁王立ちになって下半身丸出しの俺を見たら、アイならば発狂するだろう。
「いい加減に遊ぶのはやめろ、『女醒乃(めざめの)』」
 どこの国だかわからない、軍服に身を包んだ二十歳前後くらいの金髪の女が、あきれ顔でベッドの端に腰掛けていた。
「うっうわああああ!」
「案ずるな。夢彦とやら。お前はまだ死んではいない。ましてやこれは植物状態の夢でもない。そしてお前の反応も当然。女醒乃の影響としては今までの体験も可愛いものだ」
「て、丁寧な説明ありがとう」
 俺は身だしなみを整えながら礼を述べた。
「ちょっと待った、で、この状態は何だよ!」
「自己紹介がおくれたな」
 軍服女がゆったりと煙草を出すと、めざめ乃が袂から出した金色のライターで火を点けた。
「私はブリュンヒルデ。ヒルダでいい。こちらは顔なじみだろうが、やや違う。ささめ乃の別人格の具現化とも言おうか。別人格と言ってもあまり変わらないが」
「ヒルダは時々失礼なことを言う。許してやれ、夢彦」
「いや、めざめ乃、お前のほうが問題あるから。なんかそういう感じ」
 俺は毛布にもぐりこんだ。
「良い選択だ」
 ヒルダは満足げにほほえんだ。
「お前の夢は『鏡の国のアリス』の赤の王の夢。そのくらいお前には力があるのだ。その力を借りたい」
 最後のほうのヒルダの声は聴きとりづらかった。もう眠くなって……。

○インキュバス

「ところでそういう仕事をするのに、健康上の心配はないのか?」
「ええと、それはうがいしたり」
「思ったよりてこずったな。アンタのご主人さまのこの隠れ遊興施設のせいでな、めざめ乃」
「みんな死んでしまったな。悲しいことだ」
「誰のせいだ? ああ?」
「そう怒るな。ヒルダ。あたしだって悲しい」
「あ、あのー。仕事柄、人死にはある程度慣れてますが、お気の毒ではありますが、ええと」

「俺はめざめ乃の三味線を聴かなくても我慢ができなくなるんだ。自分を出したくなるんだ! もう我慢できねえ!4階に行かせてくれ!」
「4階などない。不吉だからな」
「めざめ乃、ごめんな、お前を汚したくない」
「4階と5階は空きテナントだ。エレベーターもとまらないぞ」
「階段があるんだ!」
「まって! ぬしさんはまだあの男にだまされているんだ」
「しかしお前の主人だろう?」
「それはしかり。されどあたしはぬしさんが心配ゆえ」
「めざめ乃、『ゆるせ』」
「嫌だ! ゲートを開けて! ぬしさん! ならばあたしを相手にすればいい!」

「ああ、天国だ」

「お楽しみのようで」
「ここは天国・極楽だな」
「では本当の天国へ」
「めざめ乃を……こんな風に使わないでくれ」

「あいつの催淫作用によくここまで持ちこたえました。最後は文字通りの天に昇る気持ちでしょう?」
「ああ……ああ……しかし。あの子を、めざめ乃を」
「ご心配なく。捨てやしません」

「そのまま! そのまま! 動くな!」
「ヒルダ、動きそうだ」
「お前が止めろ」
「え?」
「愛していたのだろう? 贔屓の客も。お前の主も」
「あたしの? あたしのもの?」
「そうだ。お前のだ」

「めざめ乃。裏切りとは思わない。よくやったな。じゃあな」
「ぬしさん!」

「このスモールワールドをなんとかしないとな」
「あたしは……ぬしさん、悪いことした」
「黒川はもういない。あたしらだけじゃダメだ。この次元の裂け目を認識するんだ。そして、本来の場所へ還るんだ。どこへ還っても、どんな扱いでも。うちへかえろう、めざめ乃」
「あたしは怖い。ヒルダ」
「なぜ?」
「ささめ乃『たち』がいる」
「そうか。めざめ乃はホームの記憶があるのだな」

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