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オーディオから遠く離れて〜また、見つかった?  何が?永遠が?  真空管のEB Ⅲが


むかしむかしの話です。

わたしは真空管ソケットを販売していました。真空管ソケットについて詳しいから?いいえ、まったく詳しくはありませんでした。むしろ、真空管もまったく知らない平凡な女です。平凡な女が真空管ソケットを販売するために、勉強したことを思い出して書いてみます。

真空管について知識のないひとが、真空管ソケットを購入することはとても難しいことですが、そのような人は、そもそもいらっしゃらないので話題にもなりません。詳しい人は知っているので自分の知識で選べるし、知らない人は欲しくもなりません(必要ではないので)。

つまり、知っているひとは知らない人のために教えてあげようとする理由もない。知らない人は必要ないし、必要な人は知っている。そこに『必要ないけれど、知りたい』は、ないんです。知ってもなにも意味ないからです。

真空管 EB Ⅲって??

さて、ヨーロッパの古い真空管は簡単に手に入りません。超レアですけれど、例えばTelefunken(テレフンケン)EB Ⅲを手に入れたとしましょう!すると、ソケットが必要になります。ソケットは真空管の種類によって適合するものを使用します。


これがEB Ⅲだ(写真は河口鬼太郎氏による)!!

そもそも、アメリカの2A3に近いAD1というヨーロッパ管があります。2A3はST管ですが、AD1はヨーロッパ特有グラマーな体系が特徴です(この写真のEBⅢのような)。太めのストレートもあったような気がします。ST管っていうのは形状のことです。

ガラスの形状は年代によりますが、古典球のナス管、ST管、GT管(ダルマ管)、MT管・・・。ST管のほとんどは出力管、整流管の一部です。GT管は現行の整流管ほとんど、MT管は増幅管。ちなみにわたしが好きなのはメタル管です。赤メタルっていうはマジでしぶい。

EBⅢはAD1の派生ですが、AD1よりもっとポピュラーな2A3について、まず思い出してみます。

2A3の誕生 RCA/Cunningham

まず1933年頃登場した2A3ですが、製造はRCA/Cunninghamです。RCA社は有名ですが、Cunningham(カニングハム)は、あまり聞いたことがないかもしれません(わたしなんて全く知りませんでしたよ。柔軟剤みたい)。

少しさかのぼって、1915年のことです。

アメリカのCunninghamは、Audio Tron(オーディオトロン)という真空管を開発しブレイクしました。

画像出典: "Audio Tron Tube by E.T. Cunningham, 1915-1917"
取得元: Wikipedia、ライセンス: パブリックドメイン 画像リンク

オーディトロンは、なんていうか、イカの赤ちゃんのような形状です。このようなイカの赤ちゃんのような形の真空管を『チューブラー』と呼びます。コンデンサもベースがないタイプを『チューブラー』と呼んだりしますよね。そのチューブラータイプのオーディトロンは、小型で価格も安かったことがブレイクのきっかけだったのでしょう。Cunninghamは有名になりました。

しかし、そううまくはいきません。詳しくはわかりませんが(すみません)、RCAがCunninghamにたいして訴訟を起こした事実などがあり、Cunningham独自での製造は中止になりました。

1931年 RCAの子会社になったことで『RCA/Cunningham』と併記されました。RCAが敢えてCunninghamを記すことから、Cunninghamがそれだけ名を馳せていたことがわかります。
そして、1933年に2A3の誕生というわけです。もちろん2A3は他にもさまざまなメーカーのものがあり、それぞれ特徴が違います。

硬派な人気者の2A3

RCA/Cunningham 2A3 単板プレート構造で、またそのプレートが黒か否かということ、フィラメントがどのようになっているか、ゲッターの形も、真空管を見るには大切なポイントです。ラーメン二郎みたいな話ですが、『フィラメント吊り、1枚プレート』とか言ったりします。

  • KEN-RAD 2A3 1940年代 2枚プレートカーボン

  • SYLVANIA 2A3 1940年代 2枚ブラックプレート

  • RCA 2A3    1940-50年代 H型プレート並列 フィラメントをマイカに通して折り返すのみ

などなどです。2A3に関してはたいへんなマニアの方もいらっしゃいますが、一方で現行の真空管でもありますからポピュラーともいえます。情報はたくさんあると思いますので調べて見てください。ちなみに日本では 1970年代に岡谷電機も製造しています。これは、めちゃくちゃレアだと思います。やはり、RCAの2A3が王道ととおもいます。ちなみに、ソケットはUXを使用します(ソケットについては、いつか語りたいと思います)。

AD1の話をしよう。

1935年頃発表されたので2A3よりは少し後のことです。
特性自体は2A3と似ていますが、もっともフィラメントの電力はとても少ないです。特徴のひとつはヨーロッパのサイドコンタクト・ベースであることです。

これがTelefunken EBⅢのサイドコンタクト・ベース(写真は河口鬼太郎氏による)。
  • Telefunken(ドイツ)AD1

  • Valvo(ドイツ)AD1

  • TEKADE(ドイツ)AD1

  • RFT(ドイツ)AD1

  • LOEWE OPTA(ドイツ)AD1

  • PHILIPS(オランダ)AD1

  • Mullard(イギリス)AD1

見てください、代表的なラインナップ。AD1はドイツを代表する真空管です。
LOEWE OPTAは婦人の憧れ高級ブランドLOEWE(ロエベ)と同じスペルですが関係ありません。wikipediaによると読み方は“レーベ”みたいです。
こう見るとドイツでの生産がほとんどのように見えますが、AD1の開発はPhilipsの設計といわれたり、Telefunkenがオリジナルといわれたり、本当のところよくわかりません(教えてください)。
わたしなんかは受け売りの知識しかないものですから、AD1というとValvo(バルボ)有名と思っていました。しかし、Valvo(旧Radiorohrenfabrik)は早くも1927年に工場が Philips グループに加わることによって、吸収されていったようです。

で、Telefunken EBⅢって?

実は情報がなくてよくわかりません。
SUMIMASEN…期待させて、すみません。

EB IIIは、AD1の派生であり、たいへん貴重な球ということは確かなのです。
わからないくせに、こんなに引っ張って申し訳ないので、Telefunkenのヒストリーを以下まとめました。

Telefunkenヒストリー 

1903年 Siemens&Halske社(シーメンス&ハルスケ)とAEG社の合弁会社としてTelefunkenはスタートしました。

そもそも、Siemens&Halske社はドイツ陸軍向け、AEG社はドイツ海軍向けに無線通信の開発を行っていました。わお!当時のライバルはイギリスのMarconi(マルコーニ)社だったようです。

特許問題で対立していた2つのメーカーに協力を呼びかけたのは皇帝ヴィルヘルム2世で、共同出資会社「 Telefunken」の誕生です。”tele-” ラテン語で「距離」を意味し、 “funken” はドイツ語で「火花」を意味しています。

1900年代は、無線通信、テレビ、電子ビデオカメラ、真空管、プリアンプ、マイクロフォンなど、さまざまな事業を展開し、世界の技術Telefunkenはリードしました。第一次世界大戦中には、軍用のラジオセットや電信機を供給したほか、ツェッペリン軍のために無線航法システムを製造しています。

1923年以降、 Telefunkenは放送用の送信機やラジオセットを製造しました。
1928年には、ドイツのラジオネットワークのためにアンプ『V-41』を設計しました。

1950年に『V-72』というアンプを開発していますが、このあたりになるとこれはマニアの方々が考察しておられますので、検索してみてください。『V-72』は、TAB(テレフンケンの下請け会社)が製造したもので、『V-72S』はビートルズがアビーロードスタジオで初期のレコーディングに使用したREDD.37コンソールに搭載された唯一のアンプだそうです。

1967年、TelefunkenはAEGと合併し、AEG-Telefunkenと改称されますが、ここから先、公式HPではマイクロフォンの話になりますので一旦締めさせていただきます。大戦前後には触れていないようでしたので、このヒストリーだと知りたいところがカットされている感じです。

Telefunken EBⅢの説明は一切せず乱文ですみません。詳しい方、教えてください。よろしくお願いします。

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