落ちこぼれでいるのはもうやめよう
落ちこぼれでいるのはもうやめよう、と思った。
きっかけはtwitterだ。他の方のツイートなので引用は省略させていただくが、「自分へのキャッチフレーズをつけるのは自分」という内容。
それへの私のツイート。
私は落ちこぼれ女医だ。
と、散々あちこちで書いて来た。
実際、私は落ちこぼれだ。
初期研修中にうつ病になってドロップアウト。
数年間闘病して、なんとか母校の付属病院で研修を終えた。
その後もうつ病と付き合いながら、なんとか働いた。
そして結婚。
なんとかうつ病についてはドラッグフリーになり、妊娠(一度は流産)、出産。そのために仕事はやめた。
そして、復職できていない。
医師免許があるだけの、落ちこぼれだ。
バリバリ働いている医師仲間から見れば、どうしようもないくらいの落ちこぼれだ。
あ、書いてたら落ち込んできた。
そう、書けば書くほど、私は落ちこぼれになる。
誰も私を「お前は落ちこぼれだ」と言ってないのに、私は一人で、
私は落ちこぼれだ。
と、私自身を貶めているのだ。
それはもう、おしまいにしようと思った。
言葉には力がある。
沢山の力がある。
心を縛る力がある。
呪いと言ってもいい。
私が自分の事を、「落ちこぼれだ」と言ってる間、私はいつまでも落ちこぼれなのだ。
自分を偽りたくなくて、私は、自分の正当な評価として、「落ちこぼれ」を掲げて来た。
私の記事を読んだ人が「落ちこぼれの書いている事なら、信頼に値しないかもしれない」と懐疑的に読んでくれるかもしれないからだ。
そして、それでも信用出来ると思う人だけ、内容を受け止めてくれたらいい。
そう思っていた。
でも、それは、裏返せば、読む人を試す行為に他ならない。
詳しいプロフィールを読んで、「こいつは信頼に値しない」と思うなら、それでいい。当然だ。
けれど、「落ちこぼれだ」と先に突きつけて、「さあ、それでも信頼しますか? あなた次第ですよ?」と試す行為、その方が、むしろ信頼に値しないのではないだろうか。
また、同じ境遇の人が私の「落ちこぼれ」という言葉を見たらどう思うだろうか。
「そうか、自分は落ちこぼれなのか……」
そう傷つくのではないか。
正しい答えはわからない。
けれど、私はもう、落ちこぼれはやめたいと思った。
私は、落ちこぼれでいたくない。
私も、下を向いて歩きたくない。
前を向いて、胸を張って生きて行きたい。
うつ病になってからずっと、自己評価が低いと言われ続けてきた。これを簡単に覆す事ができない事は、自分でもよくわかっている。
でも、自分に呪いをかけるのはもうやめよう。
例え誰かに落ちこぼれと言われても、自分から「落ちこぼれ」でいるのは、もうやめよう。
「自分は××だから……」
そう呪いをかけている人はいないでしょうか。
もしよかったら、私と一緒に、その××、やめてみませんか。
そして、前を見て、歩いてみませんか。
ほんの少し生まれ変わったつもりで、私も今日から、頑張ります。
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