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かまととの蒲焼き (12/23)

・そうか、もう12月23日は祝日じゃないのか。元号が令和に変わって3年くらい経つが、いまだに天皇誕生日は12月という気分だし、年号は2桁あるものだし、AtCoderのABCは全6問だと思っている(ABCが6問体制になったのは令和以降だけど)。

・「あたりまえ」が長く染み付いたせいで、それが当たり前ではなくなってもうまく自分の中で更新できない、みたいなことが最近多くある。もちろん知識としては認識しているのだけれど、それが実感と結びつかないのだ。今住んでいる場所に引っ越したのはもう5年くらい前なのに、それでも自分が今の市で生活しているという感覚みたいなものがない。市役所に行っても、よその街に来ているようなふわふわした感じになる。今のキャンパスに通うようになって2年くらい経つのに、1年のころにお世話になっていたキャンパスの方にまだ愛着が湧いている。

・生まれてからの時間が15年、20年と増えていく中で、「あたりまえ」の更新がうまくできていないのかもしれない。持っておく情報がひとつでよかった小さい頃と違って、今は自分の生きてきた時代ごとに複数の情報をしまっておく引き出しを作る必要がある。それに面食らっているのだ。そう考えると、ああ年取ったんだな、と思う。高校時代が5年前って、信じられる?

・寝坊した上にどこにも出かけなかったので日記のネタがありません! 本当はmaimaiをしに行こうと思ったのだけど、明日新曲が追加されるので我慢。

・私の日記を読んでると、音ゲーはmaimaiしかしていないように見えるけど、一応chunithmとかオンゲキもエンジョイ程度にやってはいる。スマホ音ゲーならプロセカ。楽曲解禁がめんどくさくなって最近はアプリを開いていないけれど、一時期はかなりはまっていた。推しのグループはモモジャン、あとニーゴです。「アイドル新鋭隊」がmaimaiに移植されたときはAP狙いで粘着したりもした。

・プロセカといえば、きのうYouTubeをたどっていて偶然見つけた「ray」のカバーがすごく良くて聴き入ってしまった。

・恥ずかしながらBUMP OF CHICKENの曲は「天体観測」しか知らなかったんだけど、この曲いいね。サビのメロディーラインがよくある感じじゃないのになぜか耳に残る気がする。初音ミクとLeo/needのカバーも声がうまく調和していて好き。

・調べたらBUMP OF CHICKENって幼なじみ4人で結成されたバンドなんだってね。それノクチルじゃん。

・すーぐシャニマスの話する……

・家で無為にだらだらしていても腐るだけなのでついブラウザを立ち上げてシャニマスを開いてしまう。我ながらやりすぎだとは思うのだけれど、ひっきりなしに紙が増えて巻末に新たな物語が追加される巨大な本を読んでいるようなものなので、つい追いつかなきゃ、とページをめくってしまう。

・というわけで、昨日ガチャで引いた冬優子pSSR「starring F」がとてつもなく良かったという話をします。(ネタバレ注意)

・私は黛冬優子という人間がシャニマスのアイドルの中で1位、2位を争うくらい好きだ。冬優子はシャニマスを知らない人の間でも割と有名で、言っていないセリフがネットミームになっていたり、「二面性のある腹黒系キャラ」という認識をされたりしている。私がシャニマスを始めた当初も、そういった前情報から興味本位で彼女のW.I.N.G.に手を出したのを覚えている。

・けれど、W.I.N.G.で彼女の人となりを知り、イベントコミュ「Straylight.run()」や感謝祭編、「WorldEnd:BreakDown」で彼女がユニットのメンバーとどう関わっていくのかを知るにつれて、認識を完全に改めさせられた。彼女は「ぶりっ子キャラ」で片づけられるような薄っぺらい人間ではまったくなかった。黛冬優子という人間は、誰よりも意志が強く、誰よりも繊細で、こちらの不安を嘲笑うかのようにつねに期待を上回ってくれる最強のアイドルだった。

・冬優子は素の人格を決して他人に見せることなく生きてきた人間だ。冬優子の家族、ユニットの仲間であるあさひと愛依、それからプロデューサーを除けば、他人と接する際に彼女が身にまとうのは「ふゆ」という人格である。それは、ぶりっ子と言われても仕方がないほど、素の冬優子とはかけ離れたものに見える。彼女は、どんなことがあっても自分を見せようとしない。本当の自分が受け入れられるはずがないと思っているからだ。

冬優子W.I.N.G.より「台本通りの茶番劇」

・W.I.N.G.編の何がすばらしいかというと、冬優子が「ふゆ」という人格でアイドルをすることを否定する方向に持っていかないことだ。プロデューサーは、「ふゆ」こそが、冬優子が本気で目指そうとする理想のアイドル像であることを理解し、その背中を後押しする。

・G.R.A.D.編ではそこから一歩踏み込んで、「ふゆ」に対する彼女の決意が語られる。本当は冬優子のG.R.A.D.シナリオの良さを語るだけで原稿用紙が10枚くらい埋まるのだが、ここでは終盤のプロデューサーとのやりとりを引用するにとどめておく。

・密着取材を受けることになった冬優子が、「ふゆ」を演じることに耐えきれなくなるのではないかと心配するプロデューサーに対して、彼女はこう言う。

冬優子G.R.A.D.より「ひとりじゃなくてふたり」

・冬優子の作った「ふゆ」という人格は、偽物なんかではない。理想の姿に近づこうと彼女が必死に努力して守り抜いたのだったら、それはもう本物なのだ、と彼女は言い切るのだ。このシーン、本当に大好きで何度も見返してしまう。

「認めたくないけど、今あんたと話してる性格の悪いふゆも本物」「その他大勢がふゆだと思ってる、ふゆの理想のふゆも——本物」

・このシーンを経て、プロデューサーは冬優子を心配するだけの存在から、「ふゆ」という彼女の壮大な嘘を広める片棒を担ぐ共犯者、良き戦友へと変わるのである。「ひとりじゃなくてふたり」というコミュのタイトルがダブルミーニングになっているのは言うまでもない。

「そういうつもりで、プロデュースすることを約束する」

・この言葉が出るまでに気づいた信頼のことを思うと、過ごした年月の重みを噛み締めざるを得ない。

・おそらくG.R.A.D.より後の時系列に位置する「starring F」は、冬優子がなぜ「ふゆ」という仮面を被ることになったのかが語られる超重要コミュである。いわゆる過去編というやつだ。冬優子という巨大な人格を持った人間の過去を描くコミュなんて殺傷能力が高いに決まっている。

冬優子pSSR「starring F」より「記憶より湿っぽくて」

・いい子にしていると周りに喜ばれることに気付いた幼少期、周りにいい顔をするのと素を見せるのを区別なくやっていたら「人によって態度を変える」と後ろ指を差された中学時代。それをきっかけに、彼女は「ふゆ」でない自分を徹底的に隠すことを決意したのだった。

冬優子pSSR「starring F」より「思い出ほどあたたかくない」

・「starring F」の何がいいかって、プロデューサーとの会話の端々から感じとれる親愛の情だ。G.R.A.D.でのやりとりがあってこそ、今ふたりはこうした話ができているということが、たまらなく嬉しい。

・ハッとしたシーンがある。いい子のふりをするとまわりが喜ぶことに気づいた子ども時代を、「味をしめてたのかも」と少し自虐めいて述懐するくだり。プロデューサーがすかさず次のように言葉をかける。

「それは——なんていうか 普通のことだと、俺は思うんだ」「誰かによく見られたくて、いつもの自分より少し背伸びするっていうのは」「誰だってやることだよ」

冬優子pSSR「starring F」より「昨日のように遠くて」

・これに対する冬優子の反応、今まで彼女がどういう境遇だったのかが推察されて、苦しくなってしまった。

「……なんていうか 誰かに受け入れてもらう、って——」「『ふゆを演じるのも仕方ない』って 許される? みたいなことだと思ってたから」「『普通』って言われたの、意外だったわ」

・自分が例外処理をされる側の人間だと思ってきた冬優子にとって、それは決しておかしなことじゃない、と言われることがどんなに救いか。

冬優子pSSR「starring F」TrueEnd「ざらにあるエピソード。」

・このやりとり、プロデューサー相手だからこそ、そしてG.R.A.D.を経た今だからこそできるというのが感慨深い。あさひは冬優子の抱えている感情を理解できないだろうし、愛依に相談するというのも何か違う。プロデューサーが「ふゆ」を支える対等な相手になることを選択したからこそ、冬優子は自分の思いを打ち明けることができたのだ。

・最後にダメ押しで語られるTrueEndが本当に良くて!!!!! もうこれは各自カードを引いて自分で読んでください。会話のやりとりがとても綺麗で、好き。こんなん泣くじゃん。


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・というわけで今日も引きこもり生活をしていたのだけど、明日は友達とお昼を食べる約束が生えたのでシャニマス以外の話ができると思う。そういえば明日はクリスマスイブだってね。この時期に心がざわつくのにももう慣れたし、いつもと変わらない冬の一日だと思って楽しむことにしよう。

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