「名前のつけられない」変化も愛しい。

今年を振り返ろうとして、麻雀をしたことを思い出した。

1月に福島県の郡山でミュージカルワークショップがあったので、
演出陣と交流のあった同じく福島県の川内村にその前にお邪魔して、年越しをして年明けから村の集会所の集まりに寄せていただいて麻雀をしているチームに加わった。

子どもの頃にお正月に久々に集まった大人がなにやらジャラジャラやっているのを眺めていた記憶はなんとなくあるものの、
それからずーっとわたしにとって麻雀は未知の大人のゲームであり続けた。

だから今年のお正月がわたしの人生初麻雀、麻雀デビュー戦だった。

と言ってもルールもよくわかっていなかったので、メンバーの一人がルール説明をしながらわたしの選択を聞いてくれるアドバイザーつきの麻雀(関西の言葉で言うならごまめ)
同じ種類の牌(あのジャラジャラする白い四角の物体)を捨てたり取ったりして、役という特定の集まり方を達成すれば上がり、つまり勝ちというかなり雑で大雑把な理解で参戦した。

何度か同じ種類の牌を求めて取っては捨ててを繰り返しているうちに、他の人が上がる。
そしてまたみんなでジャラジャラ両手で牌を混ぜシャッフルする。
手牌を並べて、取って捨てて、誰かが上がる。そしてジャラジャラ。

並べる。取る。捨てる。ジャラジャラ。

何度かそれを経験して一番最後のゲームであれ?これって・・・?と思っていると

「はるか、上がりだよ」

とアドバイザーに教えてもらい、あまり実感がわかないまま麻雀の初勝利を得たのだった。

毎ターン、一生懸命ひとつひとつ選んで捨てて、気づいたら出来上がっている。
役をきちんと知っていて、流れを読んだり計算しながら戦えるようになったらこういうぽかんとした腑抜けた勝利の味はもう味わえないだろうと思う。

ところでわたしは年齢を公開せずに活動している役者ですが、ミレニアル世代に当たる年頃で、
同年代の友人の多くがが結婚、出産したことをフェイスブックやLINEの報告で知り、式に出席したり、赤ちゃんに会ったりしている。

結婚していても、していなくても職を変えたり、やめたり、新たな仕事を作った人もいる。
苗字が変わったひとも戻った人も、昇進した人もいる。

わたしは20代前半と変わらず役者をしている。
結婚もしていないし、ものすごいシンデレラストーリーに恵まれて芸能界のスターダムを駆け上がったりもしていない。
いただいた仕事の本番に向けて集合して稽古をし、終わると解散する。

目標や夢が叶えられていないという意味での焦りというよりも生きてる節目で自分がこういうかたちになりました!という報告が外に向けてひとつも提示できていないよなぁ。
そう思っていた。

最近、友人の一人がめまぐるしい変身を遂げている。

「装う」ということへの気持ちの変化だと(勝手に)思う。
彼女の持ち前の知性を全くくもらせることなく好きな服やメイクに身を包んで、外見と同じく、それ以上にどんどん自由になっていくのだろう。
彼女の言葉と読んでいるとそんな予感でいっぱいになる。

だけどこの輝くような変化は「名前がつけられない」変化だ。

結婚でも、離婚でも、出産でも、昇進でも、転職でもない。

細胞がひとつひとつ新しくなって気づいたら同じ細胞がなくなって完全に違う自分になっている感じ。
本人に確かめてないから知らんけど、そんな印象を受ける。

フェイスブックの「ご報告」と「ご報告」の間に、みんな名前のつけられない変化を生きているんだと思う。

環境や心境の変化、出会いとか別れ、びっくりするほど美味しい料理とか、
なんでこんな言葉を言われなきゃいけないんだろうって気持ちとか
思わぬ再会とかあらゆる事象に意識的にまた無意識的に影響を受けて変わっていく。というか変わり続けていく。

麻雀の役がわかってても、狙っている役通りに上がれるとは限らない。(らしい)
毎ターン毎ターン今自分が考えられる(感じられる)最善の選択をして、捨てる牌を選んで、取った牌を手牌に加える。

役を作って上がれるかもしれないし、なんだかちぐはぐなままなんの形もなさずにそのゲームが終わることもある。
そしてまたジャラジャラ。

実は、出会ったばかりの川内村のおじいちゃんたちとお酒を飲んで笑いながらジャラジャラしているだけで楽しかった。

わたしが日々目にしている「ご報告」も正式に発表になる前の流れや、言葉にできない大混乱を超えたり、人の気持ちを考えて控えた言葉とか、一人占めすることにしたにやにやとか、
そういう色々を含んでいる、たまたま垣間見られたそれぞれの出そうと決めた一瞬の共有だと思うと愛おしい。
こういうかたち!に成り代わる名前も(例えば妻とか、母とか、部長とか?アカデミー賞主演女優とか!)もじーっとみれば2度とおんなじその人はいなくて、
そういうことをじんわり感じたり、思い出す時間がとても好きです。

そう思うと自分の毎日も捨てたものではないな。
振り返りの記事として書き出した記事、1月しか振り返ってないけど。

毎ターン、取って、捨てて、みんなでジャラジャラ。

みなさま、今日もお疲れ様です。
ご縁がありましたら、わたしともジャラジャラしてやってください。



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