お遍路キャノンボール

 僕が四国を訪れるのは、第60回SF大会で二度目である。
 一度目は大学四年生の夏だ。僕は小説家になりたかったが、なりたいだけだった。大学のサークルで身内向けの同人誌を出しているだけで、公募も持ち込みもしていなかったのだから、まあ小説家になれるわけも、書いた小説がどこか商業の舞台に乗るわけもない。
 それでも大学は卒業する時期は決まっている。一念発起して、企業説明会にでも行けばよかったのだが、大学四年生の頃の僕が向かったのは阿波の国とお遍路だった。夜行バスでの強行である。
 念のため簡単に触れておくと、お遍路とは四国八十八ヶ所巡りという別名から分かるとおり、四国の八十八ヶ所にあるお寺を順に回る巡礼のようなもので、現代では旅行ツアーが組まれたりしてかなりカジュアルなものになっている。
 そのお遍路のため、お金も計画性もない大学生は一週間バイトの休みを前借りし、コンバースのスニーカーとユニクロのチノパンで夏の夜の徳島駅にいた。阿波踊りの期間の真っ最中で、終電も過ぎ、観光案内所も閉まり、かつあらゆるホテルがすでに予約で満杯の、夜の徳島駅だ。
 僕はその日、駅の構内で野宿するか、近くの漫画喫茶に泊まるか悩み、結局漫画喫茶で一夜を過ごした。
 そして翌日。一番最初の霊山寺から歩き遍路が始まった。で、金剛杖と御朱印帳とを買い求め、次のお寺へ歩を進めるがどうも人が少ない。昨日徳島駅に着くまで読んでいた『お遍路ガイドブック』で見ていたような、道沿いに人が連なる様子は見当たらなかった。聞くと歩き遍路の主要な季節は春もしくは秋で、夏の四国を徒手空拳で歩いて回ろうとする人は少ないらしい。
 僕にとっては都合がよかった。単純に、修行のようなことをしたくてお遍路に挑んだのだから、ツアー団体と一緒に歩くようなことはなんとなくしたくなかったのだし、実際ツアー団体なんてほとんどみなかった。必然、夏に歩き遍路をやっている人間は限られている。序盤のお寺にはそれなりの人数がいたものの、二日、三日と歩くうちに顔見知りの人たちは、かなり絞られていた。
 僕の場合は、フリーターのSさんと、休職中のIさんが該当した。三人で歩いたことはなかったが、それぞれ相互に交流があった。
 特にIさんには命を救われたといっても過言ではなくて、コンビニをあてにして昼食を持たずに歩いていた僕に、ここからさきしばらく商店が無いという情報と、塩分とエネルギーを摂れるようにとおつまみとして売られているようなミックスナッツを与えてくれた。別日には、ともに公衆浴場に行ったときに、歩き遍路と入浴中の発汗で軽度の低血糖と思しき状態になった僕に肩を貸してくれたりもした。無計画な大学生に、計画性というものを教えてくれた恩人である。
 フリーターのSさんとは、歩き遍路終盤でもっとも一緒に歩いた時間が長かった。本来は20番目のお寺までまわったところで、一週間という僕のタイムリミットが終わるはずだったのだが、終盤にちょっと余裕と欲が出てきて徳島県の最後のお寺である23番目の薬王寺まで行ってみようかとなった。
 その時の終盤二日はほとんどSさんと一緒にいて、お互いになぜこの時期に歩き遍路なんてやっているのかという理由を話し合ったりした。
 最終日の昼間にSさんと二人で高台にある薬王寺に着き、そのロケーションの良さに驚いたことを覚えている。
 二人で昼食を食べたあと、僕は自宅のある宮城に帰るが、Sさんは以降もお遍路を続けるとのことで、薬王寺近くの日和佐駅で別れることになった。
 駅のホームで、僕はSさんが自分の進路を見つけられるよう祈ってることとIさんによろしく言っておいてほしいことを伝え、Sさんからは小説がんばれという言葉をもらい、握手をして別れた。
 連絡先の交換などは、なんとなく無粋な気がして僕からは告げなかった。Sさんも言わなかった。
 そんなこんなで、僕は宮城に戻り、周囲から多少遅れながらも一般企業に就職し、しばらくは会社勤めをすることになる。
 以上が、四国に初めて来たときの思い出だ。そして二度目の来訪が、なんとか小説家の端くれになれたと自覚して初めてのイベントであり、諸般の事情で出席するはずだったSF大会の順が逆転し、同じ四国の香川でも出席させていただけたことが、運命的なようなそうでもないような気がしてくる。

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