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ピエール瀧のラジオと私の人生


瀧さんが捕まったとき私は既に寝ていて、全てを知ったのは朝の事だった。学校を出る前はラジコで聴けた直近の木曜たまむすびの音声が、少し経つと公開停止になっていて。放送後期も全て消されて。わたしが好きだったものがなくなってしまった現実から目を背けながら泣きじゃくった中3の春のこと。あの朝、2019年3月13日のことは一生一生忘れられない。

小学6年生の夏休み、人生で初めて聴いたラジオが木曜たまむすびだった。私がテレビで見ていた怖い顔の役者というイメージからかけ離れたおどけた話し方、幅広いジャンルに精通する教養の持ち主だった彼の喋りは一瞬で私を惹きこんだ。車内で父親がかけてくれた富士山を聞いた時のバカバカしさ、今だって忘れられない。

中学生、5・6限は夏でも制服のセーターを着て、袖からイヤホンを通してたまむすびを聴く。その背徳感と小さな音量から零れる赤江さんとパーソナリティの声が、私の至福の時間だった。ああいう行動って、先生にバレていたんだろうな〜笑

赤江さんが産休中の外山さんと瀧さんのたまむすびに、リスナー企画で出させてもらったこともある。あべこさんが超かっこよかったのが忘れられない。

中学2年生・冬

その時に瀧さんと話して、フーンじゃあ将来ラジオとかの仕事に就きたいの?と尋ねられて私の人生が決まってしまった。あ、私ラジオ局に入社したいんだ!って。

運命的な話なのだが、実は私の母親もちょうど中2の頃に電気グルーヴを追っかけていたらしい。これは全くの偶然である。血から瀧さんのこと、好きだったのか?

周りのみんながジャニーズだの乃木坂だのアイドルに明け暮れる中、いつだって私のアイドルはピエール瀧だった。筆箱にはたまいれを使っていた。毎週木曜が来るのが楽しみで楽しみで仕方がなかった。

切り替わりの寂しさ

もちろん色んな番組が好きだし、たまむすびの他曜日だって好きだったけれど、やはりずーっとなにか物足りなさを感じていた。木曜たまむすびにしかなかったあの独特の緩さが大好きで大好きで、正直いつか復活してくれるんじゃあないかとずーっと片思いをしていた。 たまむすびが終わると知った時も、出ないと分かりながらずっとずっと何処かで瀧さんがキレンジャイと叫んでくれるんじゃないか。ハタケヤマさん位は来てくれないかなあとか幻想を抱いて過ごしていた。

勿論ANN55周年の電気グルーヴのオールナイトニッポンは「ヤバ」かった。留置番号のくだりなんてぶっ飛んでたもん。そりゃ生放送ダメだわ!

親だって高校の教師だって、誰もが普通(笑)の進路を望む中で、ラジオが好きだという気持ちが諦めきれなかった私はたまむすびが終わった今年の春、藝大に入学した。私の人生にはラジオ以外が残っていなかった。小6の夏から受験期まで、瀧の有無に関わらず人生を支えてくれたのはずっとずっとたまむすびだった。飽き性な私でもメールを送り続けられて、7年間毎年読んでくれたのは人生でこの番組だけだ。ありがとう。

実は私は明日成人式の前撮りで、そんな日に池袋のマックで映画を観るまでの時間を潰していたらTLに突如現れたピエール瀧の文字。来週の竹山さんのやつかなーとかクリックするとまさかの大吉先生とのツーショット。目を疑ったしその場で号泣した。前の子供にガン見された。

今日のラジオを聴いて、45分が本当に本当にあっという間で、体感15秒ってこういう時に使うんだなって。やっぱ瀧って話うめーしおもしれーよ!最高だあ。「TBSの警備の人が入れてくれましたよっ」ホントだよ!笑 この𓏸𓏸ましたよみたいな話の仕方も懐かしくて。ああまた専門学校の時のドラクエの話してるよ笑とかさ。もう全部が懐かしくて最高でした。大吉先生、呼んでくれてありがとう。人間は欲が出てきてしまうモノで、いつかはまた赤江さんと瀧さんのラジオが聴きたくて聴きたくてたまりません。

エモ(笑)写真に写り込む木曜ステッカー

友達もいないしこれといった才能もない私だけれど、瀧さんのラジオがあると知っただけで人生がパッと華やかになる。瀧さんはもうラジオをやる気がないだろうけれど、あなたのラジオは私の人生の拠り所です。瀧さんのラジオに出会わなかったら藝大なんてぜーったい来てないし、案外大学も”悪くない”し。今は音響の勉強をはじめたばかりのヒヨっ子だけれど、いつかはもっともっと面白いラジオが作れる側になれますように。今日改めてその気持ちが強くなった、2023年8月2日。

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