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ココロ:不足する愛と揺るがない愛


なぜ、変わらないものを望みながら
どうして、まだ足りないと渇くのだろう



好かれたい
結婚したい
うまくいきたい
働きたい
お金を稼ぎたい

たい
たい

たーーーーーーい ( ;□;  )



人というのは欲求を持っている



こいつの根源は





これが不足していると感じると
それを求めて「〜たい」という欲求になる



例えば

いま無職であり
仕事をしたい、という条件で紐解くと

周りが働いているが自分は働いていない
働いていないと成功してると堂々とできない
小さい頃から憧れていた仕事がある
生活するには仕事が不可欠だ
ワクワクするものを発見した

などなど

いまの自分(無職だとして)には不足している
もしくは今の自分にはないものがそこにある…
その利己的な愛
その愛が足りてないと思うからこそ

仕事をしたいと感じる



つまり、
自分は働いて「ない」
成功して「ない」
憧れていたものになって「ない」
生活するのにして「ない」
ワクワクが自分には「ない」

ないから求めている



いやいやいや…そんなはずがない
と思うかも知れないが

これが「ある」としたらどうだろう?



いま自分は仕事がある
成功している
憧れられる立場にいる
生活できてる
ワクワクが溢れている

この状態であるのは
仕事を続けたいではあっても
無職からの脱出ではない

因みに続けたいは
愛がある状態を望む欲求となる

そして、あればあるほど
気持ちよくなり、快楽を得られる

不足だった愛は満たされ
溢れ出して快楽になる







ところが愛にはべつの愛もある

この愛を先程の仕事で捉えると



自分は働いていようとなかろうと幸せだ

成功とか無関係に幸せだ

小さい頃から憧れはあってもなくても幸せだ

どうあっても生きていけるから幸せだ

ワクワクとかしていなくても幸せだ



こいつの根源も



しかし、これは

無条件の愛



これには不足がない

不足とは条件付けがなければ生まれてこない



不足なければ

〜たいが起きない

欲求がない

快楽が伴わない



穏やかに

揺らぐことなくそこにある

不足も満ちるもなく

全であり一であり、一であり全である

赦すというもので包まれている

実は本当に成功してる人もこの状態にいる







どちらにせよ

ともに愛

それでも条件付の愛に囚われると
快楽を得るための欲求が起こり
それは進むためのエネルギーとなるが
万が一、進めなくなると
苦しくなる、イライラする、自信をなくす

対して無条件の愛だけだと
穏やかで揺るがないもので包まれているが
進もうという欲求は起きないから
苦しまないし、イライラしないけれど
快楽はうまれてこない



もしも、いま
自信をなくし、やる気なく
不安や焦り、イライラなどに覆われているならば

無条件の愛だけを意識したほうがいい
条件付の愛は刺激物で毒になる



もし、自信に満ち溢れているならば
無条件の愛に確りと包まれながら
条件付に手を出していけばいい



そして本当に豊かな人は

無条件の愛に生きながら
気分次第で、余暇として条件付もしてみるといい



だから誰にでも言えることは

生きてる事こそが一番幸せなんだって事

揺るがない無条件の根源は

生きていること、そのものだから

そろそろ、気づこうかな

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