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限界女オタク、薄給ゆるブラックITドカタを脱出した結果

皆様こんにちは。普段は限界女オタクが見た目だけでも真人間になろうともがく体験記を書いていますが、今回は趣旨を変えて、真人間を目指す前段階の限界オタクだった頃のお話でも書こうかなと思います。

結論から言うと、薄給ゆるブラックITドカタ企業の正社員(言うてもやってることはほとんど派遣社員)を2社経験後、その座を捨てて一般派遣の事務職派遣社員になった結果、収入が潤って心に余裕ができて、真人間を目指すためのお金が出来ました。んが、あくまで私の場合の話なので暇つぶしの小話として読んでもらえると幸いです。


1.限界オタクがITドカタになる前の話

義務教育期間中はいじめられて不登校&引きこもり以外は、地元の県立女子高校に通い、そこを卒業して関東の短大に編入し、その後、東京で遊びたいから……いえ、もっと深く日本神話の勉強をしたくなって都内の四年制の大学の3年生に編入して、古事記の先生(厳しい)のゼミの課題にブツクサ文句を言う傍ら、アニメゲーム漫画に触れてウホウホ言ったり、素人なりにHTMLを学習して古の二次創作小説同人サイトを作ってオタクたちと交流したり、時には同人誌を作りコミケ等の同人イベントに自作の本を売る側として参加したり、たまには友人たちとコスプレしたり……

どこにでもいるオタク女子学生でした。

ですが、大半の人が大学3年時にやっているであろう、「大学を出た後、自分はどういった経験を活かして社会に貢献して生きてゆくのか?」っていうことをですね……

一切合切考えていなかったんですね!!!

そんな暇があるなら同人サイト更新したいし、コスプレ衣装を作りたいし、次の同人イベントで発表する同人誌を作りたい……その結果、どーなるかというと……

卒業したら何をやりたいのかわからない!
面接に行ったらどんなふうにその企業に貢献できるのか説明できない!!
当時、オタク趣味はあけっぴろげに言える趣味じゃないから自分はどんな経験を通してどんなスキルを持ってるか言えない!!!
その上、元引きこもりだったせいでコミュ力が大学生の割に拙すぎる!!!!
それ以前に人間嫌いが全面的に出ちゃってる顔!!!!!

加えてリーマンショックで冷え切ってしまった就活市場ですよ。どんなに好景気でも雇ってくれる企業がなさそうな学生時代の私がそんなご時世に内定をもらえるわけもなく……

無い内定でフィニッシュでございます!!

その後は中々ブラッキンな不動産屋のお局様にいびられながら顧客情報の入力バイトをして、地元の親に援助をしてもらいなんとか食い繋ぎつつ、正社員の仕事を探すも中々引っかからずな日々……

そんな中、こーんな求人を見つけます。

「未経験者大歓迎!やる気一つでIT業界に挑戦!」

なんだこれ??仕事内容はよう分からんが、社内イベントなのかな??なんか楽しそうな写真が載ってる……話だけでも聞きに行くか。と、エントリーしたのが私のITドカタこと、SES経験の始まりです。

後から知ったのですが、業務内容を詳しく求人に載せない代わりに社内飲み会等の楽しそうな写真を載せて「未経験でも大丈夫☆楽しいよ!」的な文句を打つのがなーんも知らない若い未経験者を集めているITドカタの常套句でそれに騙され泣きを見る人がそこそこいるのだそうです。くわばらくわばら……


2.ITドカタになった限界オタクの日々

その後、エントリーした企業に面接に行くと私と同世代くらいの面接官が出てきて、面接というよりはゆる〜い雑談中心の面接となりました。

のちに聞いたところ、当時その会社は未経験者の採用に力を入れており、最低限の受け答えができれば内定を出していたそうです。そして私も最低限は受け答え出来ていたらしく内定をもらえました。勤務条件を聞くと当時のブラッキン不動産のアルバイト給与と全く変わらない給与額面で、家賃で大半が吹っ飛んでしまう金額でしたが、当時のブラッキン不動産バイトのお局様のイビリが我慢の限界を超えたことに加え、新卒時代の就活で応募しては落ち落ちては応募して……を繰り返した結果、私の自己肯定感は粉々に砕け散っており「こんなカスな私を雇ってくれる会社はここしかない……すがるしかない……未経験だから給料が安いのは仕方がない……私はカスなのだから……」と、私は安易に入社を決めてしまいます。ここからが地獄の始まりです。地獄にようこそ。

そもそも、ITドカタ(SES)ってどんな仕事?って方のためにご説明すると……

SESとは、System Engineering Serviceの略称で、システム開発における委託契約のひとつです。準委任契約(法律行為以外の業務を外部に委託する場合で、仕事の完成を目的としない契約)とも呼ばれています。SESでは、システムやドキュメントといった成果物ではなく、業務の遂行に対して報酬が支払われます。

エンジニアがクライアント企業に常駐し、業務内容や工数に基づいた報酬額が支払われるケースが一般的です。契約内容によっては、成果物完成が前提となるケースもあります。アジャイル型開発(「計画→設計→実装→テスト」を機能単位の小さいサイクルで繰り返す手法)のような、仕様を微調整しながら開発を進めるスタイルに適した契約です。

https://www.staffservice.co.jp/client/contents/knowledge/column158.html

つまり、手っ取り早く言うと自分が所属する企業以外のシステムを客先常駐で作るお仕事です。つまり私が入社した企業は社員をお客様の開発現場にねじ込んでお金をもらい、客先で働く社員が産んだお金からマージンをピンハネして成り立っている会社です。なので、いかに自分たちの社員に有無を言わさず客先にねじ込むかがポイントになってきます。そのため、仕事のオファーが入ったら否応なしに速攻面談という名の面接を組み、その面接に受かったら本人の意思は関係なくその仕事にねじ込むスタイルの会社でした(※ただし企業によります。一応ちゃんと本人の意思や希望を聞いてくれるSES企業も中にはあります)

また、当時完全社会人未経験者でしたが、(ブラッキン不動産でデータ入力のバイトを2年ほどやっていたため)事務職3年目のそこそこできる人間として面談では振舞えと「それ、経歴詐称やんけ……」的な事を言われて、最初はお客さん先で事務仕事をする要員として売り出されたわけですが……

まー!うまくいきませんよね!!!経験者だと思って雇ったのにまーったく仕事出来ねーわけだから!!!

そして、客先で私はめちゃくちゃ怒られ、もう無理と会社に泣きつくも「そんなの気合いでなんとかしろ」「お前よりも辛い思いをしている奴は沢山いる」と、お前どこの昭和のスポ根漫画の登場人物だよみたいな説教をされ……

その上、通勤片道2時間強のところに8時までに出勤しろ、土日祝日希望なのにいざ働いたらシフト制で土日も働かないといけない等……私の生活スタイルに全く合わない仕事をあてがわれ、身も心もボロボロでした。それでもその会社にはなんだかんだで4年ほど居座りました。

その理由は前述の自己肯定感が粉々になった結果、「こんなカスな私を雇ってくれる会社はここ以外ない、だから恩に報いないと」と言う気持ちと、今は客先での雑用に甘んじているけれど、プライベートで密かに頑張っていた開発言語の学習を認めてもらって開発の現場に行くために我慢するんだという気持ちだけで頑張っていました。

今思うと涙がちょちょぎれそうです……それ、彼氏にDVされたのに別れられない女子のお気持ちやんけ……


3.限界オタクがITドカタから足を洗う時

じゃあなんで、その会社を辞めたんだよってのを一言で言うと会社への不信感が引き金になるできごとが2回あり、その結果会社への依存心が消し飛んだからです。

たしか、その客先で2年勤め上げた総務職の前任者の後任として私がそこにねじ込まれたのですが、当時未経験者にちょっと毛が生えた程度の私が事務職のスペシャリストの大ベテランが2年かけて培ったものをたった小一時間の引き継ぎで完全マスターできるわけがないんですね!!!

しかし、客先は完全マスターしたものとして私にバカスカ依頼を飛ばしてきます。私以外にその仕事を担っている人はいません。唯一の救いは隣に座ってる韓国人のエンジニアさんがなぐさめてくれることだけです。

そして現場に入って4日目で私はオフィスで奇声をあげてギャン泣きしてしまいました……お客様各位、あの時は申し訳ございませんでした……当然お客様先の偉い人激おこ、弊社担当営業平謝り。そして私は本社に呼び出されて担当営業から「もっと根性出せ、なんで気合い入れて引き継ぎしなかった」とハチャメチャな説教をされて始末書を書かされました。

……そこまではね、私も奇声を上げてギャン泣きしてしまったわけだししゃーないよなーと思ってましたよ。

それからは働く事が怖くなってしまった心を引きずりながら次の客先を探すために面談する日々だったのですが、そんな私を励まそうとして上記の担当営業からこんな事を言われます。

「前の現場のこと引きずってんの?気にすんなよー!あの後、後任の人が来たみたいなんだけどその人も入って3日目で無理だったらしいから☆」

……オイ、気合い入れて私が引き継ぎしなかったのがダメなんじゃなかったのかよ?つか、私にあんだけ説教して始末書書かせたお前がそう言う??そもそも、大半の人が無理な案件にねじ込んでおいて結局無理になって当然の結果なのに始末書まで書かせた理由とは???

そして、思い返すとこの担当営業氏、私に冷静に論破されるたびに悪あがきのように昭和のスポ根漫画みてぇな根性論で私を黙らせようとしてくるよな……そして根性論を振るわれるたびに面倒になって私はモヤモヤを飲み込んで我慢してきたんだよな……なんか解せねぇな……

と、会社と担当営業に対する不信感が湧き上がり、Javaの勉強もそこそこ進んで、あとは現場に出て実戦で使ってゆきたいと思い始めたこともあり、Java勉強中のエンジニア見習いとして転職活動を開始しました。

そして、転職活動をサクッと終わらせて会社を辞めるつもり……だったんですが……

ある日突然、会社に呼び出されます。オフィスにいくとおかんむりな顔の担当営業、隣では当時私と仲の良かった社員が別の担当営業と面談をしていて和気藹々……今思うと、私に恥をかかせるためにセッティングした場だったんだろーな。で、話をまとめると「(朝4時起きで通勤2時間、朝8時出社そして残業を数時間して日付が変わるか否かの時間に帰宅の生活についていけずたまに遅刻や欠勤もあったので)お前、遅刻しすぎ、休みすぎ、社会人失格。だから契約社員に降格させる」と。まぁ、無茶苦茶な生活リズムのせいとはいえ、遅刻欠勤がちょいちょいあったことは反省すべきことです。降格は仕方がない。しょげている私に対して担当営業は説教のテンションが乗ってきたのかこんな事も言い出しました。

「ハルさんさぁ、Javaの勉強すんのはいいけどさぁ。そんな事しても無駄だから。ハルさん絶対エンジニア出来ないよ?エンジニアは癖の強い人だらけだから。そんな人たちと仕事できるの?無理だから。だから、Java勉強してエンジニアになりたいとかいうより、事務続けて後任そだてろよ」

出たー!担当営業氏のっ!!思っていても言ってはならない特大暴言!確かに私はエンジニアより事務の方が向いてるかもしれません。(実際問題、現在の私は経理事務を本業としていますし)けどね……このままの生活リズムじゃ心身ともに壊れるから考え直してくれって私話したのに、それを根性論でねじ伏せてその現場に私を突っ込んだのはあなたよね!?そのせいで遅刻欠勤が出てるのはあなたにも責任があるんじゃないの!?つか、頑張ってITのスキルを磨けって言っていたの貴社ですよね!?JavaはITスキルではないと!?その前に私の職務や私のJava学習を直に見てもいないくせに頭ごなしに評価するとか何様なのだが!?

今まで私がこの会社に抱えていた依存心と信用が宇宙の彼方にぶっ飛んだ瞬間でした。もーいいや。こんな会社。どーにでもなーれ☆と、担当営業氏が突き出してきた正社員から契約社員に降格を認めます的な書面を突き返して……

「じゃ、辞めるっすわ。おつかれっしたー」

と、無事その数週間後に正式に退職を決め、「やべー!!無職だー!!どーしよー!!」と騒いでたら無事、同業他社のITドカタに内定をもらい、「エンジニア案件にあてがってあげたいけど、今のあなたの実力じゃ厳しいからまずは事務からね」と、また客先で新卒でもできる事務職の現場に片道2時間かけて通い、Windows10の時代に「ネットに繋いでねーからいいべ」と言う理由で激重xpを起動してよく分からないエクセルをこねくり回し、(お客さん的には1ヶ月n時間まで○万円という金額で契約していたからかフルにn時間近くまでこき使いたかったらしく)やることもないのに数時間残業したり……な生活を1年半続け、「この会社にいる意味なくね??エンジニアの夢から遠ざかってるし」と、働く事自体に疲れてしまったため退職をし、私はITドカタから足を洗いました。また、無計画に無職となりました。

ちなみに2社目の会社に入った理由は求人に「オタク大歓迎」と書いてあり何の仕事かは不透明だけど楽しそうな社内飲み会の写真が掲載されていて、面接に行ったら超せっかちな社長が出てきて「あ?アンタ前職SES?採用」みたいな感じで採用されて、焦っていたオタクの私がそこに飛びついた形です。

……すっげーデジャヴな入社の仕方ですね。ですが、1社目と違い理不尽な根性論でねじ伏せられることは一切なく、現場で何か起こったとしてもこちらとも膝を突き合わせて話す機会をくれて公平にジャッジをしようとしてくれたり……ただし、早く決まったところに社員をブチ込むのと、営業力があんまりなかったのか私の出向く客先に強烈すぎるキャラクター(実年齢40代見た目年齢70代服装と人柄は20代の違和感お姉様や、いつでもどこでも自分が世界で一番お姫様じゃないと許せないお局様、口臭が大変なことになってるのに放置していて誰も話しかけてくれない若者等)がいるせいで人が定着しない現場に突っ込まれる事が多々の上、上記の通りエンジニア経験を積める案件とご縁がないまま30代に突入し、できる仕事といえば新卒でもできる簡単な事務仕事だけ……そりゃ働く事に疲れますわな!!!

4.夢破れたその先の限界オタク

夢は破れ無職になりましたが、人生はまだまだ続きます。人生を維持するためにお金を稼がねばなりません。なので、もがくように雇用形態を問わず求人に応募しまくり、転職エージェントさんに協力してもらいながら面接をうけまくるも「年齢の割にスキルが乏しい」とお祈りされるばかり……

それもそうです。30代といえば20代の若い子を補佐しながら自分の仕事をして、時には上司に軽く提案する事ができる立ち回りを望まれている世代です。できる人はすでに係長や課長になっていてもなんの不思議もない年代です。10年経っても新人と同じスキルしかありませんな30代なんてお呼びじゃありません。

ああ、なんで20代のうちにITドカタから足を洗わなかったんだろう……と、ぼやき倒しながら正社員の求人以外にも一般派遣の派遣社員の面接を受けていたら、1件やっと引っかかった事務職の派遣のお仕事。このお仕事がITドカタしか知らない私からしてみたらまるでパラダイスでした。

仕事内容は営業事務として営業さんのスケジュールを管理しつつ備品の発注などの軽い総務的なお仕事もして欲しいとのこと。話を聞く限り難しいことは一切なさそうです。しかも、通勤が自宅から30分以内で10時出社、オフィスは広々小綺麗でまるでカフェみたいな内装、服装は完全自由、ネイル派手髪OK、残業は発生しても月5時間以内で、お給料は家賃水道代光熱費その他支払っても新しいお洋服や靴もついでに新調できちゃう額……こんなに都合のいい話あっていいんですか!?

と、いうのも私がいたITドカタ企業は2社どちらも多重下請け構造の最底辺に近い会社でした。分かりやすく図でご説明すると↓

引用・https://paiza.hatenablog.com/entry/2016/12/07/ITエンジニアを不幸にする「多重下請け構造」が抱

こーんな感じです。発注元企業が支払ったお金の内いくらかを元請会社がピンハネして分割して一次受けの企業へ。そしてそのお金のいくつかを一次受けがピンハネして分割して二次請け企業へ……そして、ピンハネに次ぐピンハネと分割に次ぐ分割を繰り返したお金が昔の私みたいなITドカタ社員に支払われるわけですが、まー家賃払えば飛ぶような金額になるわけですよ。

おまけに所属企業が現場の社員の頑張りを見てるわけがないので評価もされづらいし、給料も上がりづらい。また、基本的に発注元→元請け→一次受け→二次受け……と言った形でITドカタの企業間で伝言ゲームをして現場の状況を吸い上げているような状態なので発注元企業さんに働きを評価してもらってもその下のどっかの会社が伝え漏れちゃうと所属企業に伝わらない=所属企業に評価されないとなります。もちろん、お金に関しても言えることでせっかく発注元企業さんが働きを評価してお給料を弾んでくださってもその下のどっかの企業がポッケナイナイしてしまうと……おっと!誰か来たようだぜ!

それが一般派遣になると、私と現場の間に入っているのは派遣会社1社のみ。ピンハネが1社のみのうえ、報酬水準がITドカタと比べると高めに設定されています。その分、発注元企業さんが求めるレベルの最低限はお応え出来ないとあっさり契約を切られたりと、どんなにスキルがなくても出社してデスクに座ってれば最低限それでOKなITドカタと比べると厳しい部分はありますが、私は運良く最初の派遣先は営業社員さんたちのお仕事のお手伝い的なところから始めてくれといった、入り口のハードルがかなり低めの職場を当てがってもらえたのであっさりと自分の生活を自分で賄う事ができる収入を貰うことができるようになったのです!

っていうと、景気良く聞こえますが、実際のところはITドカタ時代のお給料が低すぎて、そこを辞めて一般派遣になったら人並みのお給料になったと言うのが実情ですwww世知辛いですね。

さて、お給料を人並みにもらえるようになり、遅くともちゃんと月9ドラマや水10バラエティ、金曜ロードショーをリアタイで視聴できるような時間に毎日帰宅出来るようになり、睡眠時間も8時間取れるようになって収入面だけじゃなく体力的な余裕も戻ってくると、改めて「今まで自分がいた環境ってあたおかすぎたな」と、心から思いました。正直今でも思ってますw

家賃を払えば大半が吹っ飛ぶ収入で生活しないといけないというのも余裕がなく、食費の確保が第一優先で衣食住の内の衣の部分がおざなりになり自己紹介記事で書いた通りホームレスみたいな見た目になってしまったのに服や靴を新調する余裕もないのも辛かったですが、やはり残業をして夜遅くに帰ってきて満足な睡眠も得られないまま翌朝2時間強の通勤時間の場所に朝8時までに行かなければならないという労働環境のせいで身体を壊しかけたことはもちろん、そうした無茶が私の思考力を奪い、元々持っていた「私はクズだからこの会社から見捨てられたら生きてゆけない、だからこんな辛い労働条件も飲まなきゃいけない」という思考にさらに拍車がかかってしまったせいでITドカタから抜け出すのに時間がかかってしまったのも精神的な余裕もなかったせいだったんだなと思いました。

余裕ができて新しい派遣の仕事に慣れ始めた頃に改めてITドカタ時代の事を考えると「確かに私はクズ人間かもしれないけどなんらかの形で雇ってくれる会社はあるし、未経験でも仕事を選ばなければなんだかんだで仕事はあるからもっと条件のいいところに転職したれ」って思いますもん。余裕がないってほんっと恐ろしいなって。

今回のテーマから少しずれちゃうのでこれ以降の話は別の記事でなんらかの形にしてゆきますが、簡単に書くとITドカタを辞めて、すぐに就いた派遣のお仕事の職場が仕事への熱量の高い人々が大集合しており、心に余裕ができたこともあり職場の人たちに釣られるように私も派遣ながら熱心に仕事をさせていただいた結果、今の経理マンのキャリアに辿り着くことができました

「今よりもまともなところに行きたい……私が技術のあるエンジニアだったら……」と言いながら興味のかけらもないJavaを勉強していた頃には想像もしていなかったキャリアですが、それでも私が自信を持って社会に対して「私はこれができます!」って胸を張って言える仕事を見つけて、アラフォーに差し掛かった今でも元気に仕事に励んで生きております。なので、私の適性を見出してくれたその派遣先の企業さんにはなんだかんだで足を向けて眠れません。

5.ITドカタ時代を総括して

長々とITドカタ時代を振り返りましたが、結構辛辣に書きつつも、私に取ってはITドカタ時代は必要だったと思います。

ITドカタを辞めたばかりの頃は「なんであんな業界におったんや……アホか私……」とも思いましたが、自分が社会に出てどんな仕事を具体的にやっていくのかを考える事ができず、面接の場でも当然それを言うことができず、新卒カードをドブに捨ててしまいすっかり正社員として働くことは夢のまた夢……と絶望していた私を正社員として拾って事務の仕事をしていたという実績を作ってくれたのはITドカタ業界です。やはり、正社員として働いた実績があった方がフリーターをずっとしていましたよりは断然有利ですからね。

ただ、長くITドカタ業界に居座りすぎてしまったこと、辛い職場環境から逃げ出すためにエンジニアになりたいという道を選んでしまいキャリアが迷走してしまったことの2点が私としての反省点かなと。

前者は言わずもがなです。特に未経験者歓迎のITドカタは大体が営業力が乏しく、ロースキルな案件しか取ってこれない会社が大半なのではと私は考えます。長くても3年正社員として働いた実績を作ったら、現実的に自分は社会でどんな仕事を出来るのかを見定て次の場所にさっさと出てゆくための場所です。そこに1社目2社目とあわせて6年近くも居座ったのが、時間がもったいなかったなと。

そして後者は転職する勇気がない、でもこの厳しい労働環境は耐えられない、じゃあ技術のあるエンジニアになって別の案件に行くしかないと余裕のない限界の頭でたどり着いた当時の結論ですが……

正直ぶっちゃけエンジニアになりたいかと言われたらそーじゃなかったんですね!!!

1社目の担当営業氏の説教を肯定するようで癪ではありますが、私はあくまで労働条件のいい案件に移りたかっただけでエンジニアになりたいわけじゃなかったし、デザイナーとしてUIをいじる仕事ならHTMLをいじって同人サイトを運営していた過去があるのでそれなら興味はあるものの、システムが動くための仕組みづくりの技術には一切興味がなかったんですわ。だからJavaを勉強してもなーんも身に付かなかったし、実務レベルなんてはるか及ばず、当然仕事なんかない。

Javaの勉強する時間を事務系の資格を取る時間に当てて、20代のうちにどっかの会社に事務の正社員として雇って貰えばよかったなーと思ったりもしましたが、過去の事をグチグチ言っても仕方ないし、この経緯があったからこそ私は経理マンとして日々精進をしつつ幸せにいきている今があります。

だからこそ、ITドカタで苦しんだ20代を不必要だったとは思いません。幸せな今に辿り着くための必要なステップだったと私は思います。

それに散々書きましたが、私がITドカタをしていたのはもう10年以上も前の話です。流石に10年以上ともなれば業界も変わっているところも多々あると思います。私がお勤めしていた頃よりもITドカタの業界全体が良くなっているかもしれないので、私の話は「エンジニアになれんかったやつがなんか言ってらぁ」程度に見てもらえれば幸いです。




……ITドカタの門を叩こうとしている若者がいたら全力で止めるけどな!!!!

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