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心の傷を癒すということ 《劇場版》

久々にnote書きます。1年振りに映画の話を書きます。

観終わって、もうすぐ2時間が経つというところで、書き始めました。

心の傷を癒すということ 《劇場版》を観てきました。

ネダバレになる箇所もありますので、ご了承ください。

ご存知の方も多いと思いますが、この作品のベースは、昨年(2020年)1月にNHK 土曜ドラマの枠で連続4回で放送されたTVドラマです。

これを再編集し、115分の劇場版作品が生まれました。

実はボク、TVドラマ、観てないのです。(残念)

でも、その分、フラットな感覚で観られたかなー、とも思っています。

映画は、TVドラマと比較して、

モデルとなった医師、安 克昌先生(故人)が震災(阪神淡路大震災)後に行った治療行為もさながら、妻や家族、友人などの交流を通したプライベートに大きくスポットを当てた編集が成されているそうです。(パンフレットより抜粋)

ボクの感想ですが、安先生自身が少年時代から『心の傷』を抱えて生きていたのではないかと思いました。

印象的なシーンは、冒頭の少年時代、

自分が在日韓国人だと知った次の朝、兄弟で学校へ向かうシーン。

名札を玄関の床に投げ捨て、「こんなん、ウソの名前や。」と呟くんです。

そして、医学部に進学し、「精神科」を専攻することを告げた父親に真っ向から否定されるシーン。

様々な心の傷を抱え、「自分は何者か?」を常に問い続けていた安先生だからこそ、あの大災害で被災者の心のケアにあたることができたのではないかと思うのです。

今でこそ、当たり前のように言われるメンタルヘルスですが、阪神淡路大震災が発生した平成7年(1995年)当時は、精神面を重視する風潮はなかったと思います。バブル崩壊直後で、イケイケどんどんの風潮が強く、「あいつは精神的に脆い」、そんな言われ方が当たり前だった状況だったとボクも記憶しています。

実際、映画の中で、避難所で若い女性が安先生の診察を拒絶するシーンがありました。「精神科に世話になってるなんて噂立てられたら.....。」というコトバを発するシーンでした。

また、ボクは医者ではありませんが、医学部の医局の中でも当時の精神科は、花形ではなかったのだろうと思います。むしろ、日陰かな。

でも、自分自身が『心の傷』を抱えていた安先生だからこそ、避難所で被災者一人一人に寄り添い(自分から跪いて、被災者の方と同じ目線で語りかけるシーンが印象的でした。)、語りかけることができたのだと思います。

それが、安先生をPTSD研究の先駆者たらしめたのではないかと思います。

映画自体の感想

平成7年(1995年)1月17日のニュース映像も交え、当時の避難所の状況も忠実に再現していたと思います。

あれから、26年の間に、

・東日本大震災

・熊本地震

とこの国は、2度の大きな地震に見舞われました。

阪神淡路大震災は、戦後の日本で起きた初めての大規模災害だった思います。阪神高速道路の橋脚がポッキリ折れて、高速道路の車線が横倒しになった映像は今でも記憶に残っています。

避難所の設営も何もノウハウがなく、手探りの中で進められたのだと思います。沢山の人がラッシュアワーの電車のようにすし詰めになっている避難所。

被災者が苛立って、常駐していた看護師さんに当たり散らすシーン。

『地震ごっこ』をして遊ぶ子どもたち。

その子どもたちを激しく諫める大人たち。

これは、きっと現実だったのだと思います。

その中を安先生は最長2日間寝ずに被災者を診察し、カルテをまとめ、新聞社から依頼された「被災地からの記録」のエッセイを執筆する日々を送ります。

また、優しさに溢れた人柄で、

被災直後、高校時代からの親友(同じく医師)の安否を案じて現地に足を伸ばし、

行きつけのジャズ喫茶を訪ねるシーンでは、

「ママが下敷きになってるかと思ったら足が震えた。」と言ってママの無事な姿に安堵するのです。

その時の過労が原因がどうかは不明ですが、震災から5年後、安先生はがんに倒れます。

抗がん剤治療は行いますが、長期に渡って入院はせず、退院します。

そして、

・妻との時間を大切にする

・娘に一輪車の乗り方を教える

・息子にチェスを教える

・新たに生まれてくる子どもの名前を考える

・精神科医として診療にあたる

と自分がやりたいことを少しずつこなしていきます。

QOL(Quality Of Life)を意識した生き様、さすが精神科医と思いました。

体力の限界を意識し、「これが最後の診察」と決めた日、安先生が座る車椅子を押す後輩の医師に

「どんくさくなんかないです。ゆっくり進めばいいんです。他の人に見えないものがきっと見えてきます。」と語りかけるシーン、観てて泣けてきました。モデルである安 克昌先生(故人)の人柄が偲ばれるシーンでした。

主演は、柄本佑。買ったパンフレット見てビックリしたのですが、モデルの安 克昌先生とスクリーンの中の柄本佑が瓜二つなんです。

役作りに徹してたんだなー、と思いました。

まあ、柄本明・角替和枝(故人)夫妻に育てられたんですからねー。

何かの記事で、両親が演劇論で大ゲンカになったときに止めるのが2人の息子だったって読んだことあります。

奥さん(安藤サクラ)も同業者だしね。ある意味、生粋の役者だよ。

奥さん役の尾野真千子、恋人時代はかわいらしく、妻になり、母になるそのときそのときを素敵に演じていました。

後書き

「いい映画でした。」の一言では済まない作品だったと思います。

たぶん、それは、今のこの国の現状がそうさせているのだと思います。

観終わって、シネコンを出たのが夜8時過ぎ、あらゆる飲食店の明かりが消えていました。街の人通りも少ない気がしました。

このコロナの状況だからこそ、

自分の心の状態を常にキャッチして、

周りの人たちの心にも気を配れたら

と思うのです。

避難所で安先生が少年に語りかけたコトバ

『弱いってええことやで。』

を思い出しながら。

以下、参考となるリンクをいくつか紹介して、終わりにしたいと思います。


川越在住。映画と音楽、お酒とラーメン好きのソフトウェアエンジニアです。 ビールは、ハートランド(KIRIN)。 🍜は、いろいろ。 好きな音楽は、クラシックギターとピアノ。好きなバンドは、ミスチル。好きなマンガは、「3月のライオン」。