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第2回 人生のどん底 〜はじめの転機〜

50歳の自分をイメージしながら日々の業務を行っていたある日、以前より関係のあるテレビ局さんから「ブライダル関連の事業を始めたいと考えてるんだけど意見を聞きたい」ということでお会いしました。
先方は当初、ウエディング撮影を請け負う事業を想定していたのですが、そこまで考えているのならカップルの結婚式の悩みや結婚式場探しをお手伝いする「ブライダルカウンター」のサービスを立ち上げるのはどうでしょう?と私から提案させていただきました。
ちょうどその頃、当時お仕事を頂いていた写真館さんが契約している式場の一つが内製化のために契約が終了になるというタイミングでもあったので、そこを担当していた写真館の社員さんの行き場も考慮し私は写真館さんとの契約を終了させ、そのブライダルカウンターの立ち上げと現場責任者の仕事を請け負うことにしました。

ちなみにウエディングのカメラマンであった自分が、ブライダルカウンターのマネージャーを引き受けたのにはいくつか理由があります。
一つ目は佐賀に移住してから、当時の私が関わったブライダル業界の質の悪さに対し不信感を持っていたこと。カメラマンとしてブライダルの現場から見てきた視点を伝え、少しでも幸せな結婚式をカップルに挙げてもらいたいと思いました。
そして二つ目は前回のブログに書いた、50歳の自分に向かって負荷をかけるきっかけになると考えたからです。
しかしこの仕事を受けるにあたり、当時の月収40万円&週休5日(多い時)から、月収20万円、週休2日になります。つまり給料も半分、休みも半分です。でも迷うことはありませんでした。こうして新たなチャレンジが始まったのです。

さて、それまでの私はブライダルカウンターはもちろん、店舗の立ち上げさえ初めて。でも不安はなぜかありませんでした。大きな会社の後ろ盾やサポート。テレビの力を使った広告宣伝。経験豊かで愛情あふれるスタッフ。そしてそれまでの会社の運営を任されていた自分の経験。このブライダルカウンターを成功させる自信があったのです。そう当時は……

そしてオープンの日を迎えました。さあ、あとはお客様を待つのみです!!
そして、1組目のお客様が!
来……来ない……来る日も来る日も来ない……来るのは知り合いばかり。
数日が経ったあと、ようやく1組目に来ていただきました。(すごくホッとしたことを覚えています)が、それでもなかなか次が続きません。
安く結婚式が挙げられる新しいサービスも構築した。テレビのCMや、フリーペーパーへの広告も出した。駅にリーフレットも設置した。それでもあまり来ないんです。
Web会社に作ってもらったホームページも見やすくなるように修正を加えたりもしました。でもお客様は増えません。増えないけど必ず出る支出、つまり固定費はかかります。
家賃、光熱費、人件費……「はじめはこんなもんだよ」と言ってくれていた会社の担当者さんの言葉はいつしか「どうするんだ?」という言葉に変わり、日を追うごとにプレッシャーがきつくなってきました。
状況が好転していかない中、スタッフとも言い合いが増えるようになりました。どうにか改善できるように頭を使って新しい提案をするものの、自分の会社ではなく信頼も失っていたので実行まで至りません。また使える資金も月ごとに減っていきます。考えちゃいけませんが、もしこれが自分の会社で自分の資金だったら……。

一方でその自分自身のお金も厳しい状況でした。ブライダルカウンターではご紹介したお客様の撮影も請け負うため、必要になった自分のカメラ機材を購入したローンや車、日々の生活費など。それまでに貯めていた貯金はみるみると減っていき、撮影がなければ来月には底をついてしまうという状況もありました。
そんなある日でした、朝起きようと思って体を起こそうとすると、体が動きません……。
「情けない......」そう思った次の瞬間、私は急に泣き喚き始めました。しかも30歳も半ばを過ぎた男が大声で。
でも、泣こうと思って泣いたのではないんです。泣いている間、頭の中では「あっ!ヤバい、ヤバい、ヤバい……」って冷静に考えていたんです。そのことは今でもはっきり覚えています。とある経験から「自分の心はそんなに強いものではない」ことを自覚していたので、その日私は仕事を休み生まれて初めて心療内科に行きました。(ドクターの「大変だったね。」の言葉にも泣いてしまいました。笑)しかし幸い「うつ」などの診断は出なかったので「気持ちをしっかり持とう」と意識をし直して翌日からは仕事に出ました。

それから日々が過ぎ、徐々にお客様も来店してもらえるようになりましたが、業績は思わしくありません。こんなことならチャレンジなんてするんじゃなかった。しかも年収も休日も半分にまでして......まさに人生のどん底です。
友人にも「今の俺は今までで一番ダサい」と言ってたような気がします。
ただ今考えると、結局はその時の自分は人のせいにばかりして、努力していなかったのだとハッキリと言えます。そしてなぜか持っていた運営の自信だって、所詮は提携結婚式場があって自動的にお客さんが来る会社の運営経験程度。本当に甘かった。その時の自分に会ったらぶん殴ってやりたいくらいです。(ちなみにこのブログを書いている理由の一つに、私と同じような経験を起業時に誰にもして欲しくないなという気持ちはあります。ほんとこんな経験しなくて良いならしない方がいいですよ。笑)

そしてある日、2回目の転機となるきっかけがやってきます。そのきっかけとは、「これに行ってみたら?」といつもお世話になっている先輩から渡されたチラシでした。(続く)

起業や独立を甘く見ていた男の少しハード(?)お話はここまで。皆さんは気をつけてくださいね。次回はそのチラシからつながる新たな転機について書きたいと思います。
写真館を作ろうとするまでの経緯はもう少し続きますが、具体的な「作り方」の話ももう少しで書いていけると思います。

株式会社ハレノヒ代表取締役/2015年、築100年の古民家をリノベーションした写真館をオープン。地方写真館の再定義を行うことによって人とまちが豊かになる仕組みをつくろうとしています。その他セミナー講師や各種メディアにも出ています。