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小学校の音楽室での原体験がわたしの価値観を構成している

9歳からオーケストラでチェロを弾いてきた。
先日、仕事仲間と組織論やマネジメント論の話になり、この原体験がわたしの(仕事における)価値観の構成要素の多くを占めているかもしれない、とふと思った。

原体験とは

多様な人とともにひとつの成果をだす
メンバーそれぞれ固有の役割を持つ
メンバーは1年ごとに入れ替わる
常に新人がいて、自分は相対的にベテランになっていく
「正解」「目盛」がない世界線で高さを競う

多様性

楽器構成(わたしが所属した小学校の場合)
・弦楽器4種類
・木管楽器4種類
・金管楽器4種類
・打楽器色々
いわゆるフルオーケストラの構成。

年齢
4年生なりたての9歳から12歳まで
大人の3歳差は大したことないが、この世代の3歳差は、体格も内面の成長度も全く別物だ。(個体差あるが)
多い時には全部で100名近かった。

演奏スキル
年齢≒楽器歴なので、入部したてと3年目では天と地ほどのスキル差がある。セレクションするわけではないので、入部したすべてのメンバーで演奏する。

参加スタンス
公立小学校の課外活動としての部活動。合奏コンクール全国大会優勝、の連続記録を持つ、強豪校だった。そこに誇りとプレッシャーを持って全力で練習する人もいれば、一方で、そんなのどこ吹く風と、適度にゆるくサボりつつ、たまに顔を出すような子も。

固有の役割

そもそも担当楽器が違うのでもちろん譜面上の役割が異なる。さらに、コンクールに向けては、楽曲としての完成度、つまり技術的にハイレベルであることは大事。とはいえ、上手な6年生だけなら、もちろん音や響きは綺麗だけれど、オーケストラの厚みは出せない。楽器を始めて1年未満の、身体のちいさい4年生にも頑張ってもらう必要がある。

個々がそれぞれの持ち場でできることを最大に持ち寄った結果として、全国レベルの演奏が成り立っていた。

わたしはチェロ弾きだったので、長い交響曲のほとんどが「出番」だけど、その中で音符が1音だけ、みたいなパートもある。立って演奏する楽器もあれば座って演奏する楽器もある。

それらをいちいち、あの人は暇そうとか楽そうとかは、言わせない空気がある。(大人ならシャレで言うことはある)

1年ごとに入れ替え

これは部活なので致し方ないが、卒業もあり入部もあり、途中入部退部ももちろんあり。毎年メンバーが入れ替わっていく。つまり、今いるメンバーで常に成果を出さなくてはならないのだ。

自分の立ち位置

相対的にベテランになっていくので、技術的にも、ふるまいとしても、段々成熟していくことを求められる。かつ、自分たちが最高学年としてコンクールに臨めるチャンスは、1度きりだ。

「正解」「目盛」のない世界線

楽譜に書かれていることが、もちろん一定正解。ただ、多くの場合作曲者が練習指導するわけではないし、作曲者が想像したものが「正解」であるとも限らない。

譜面通りに弾ければ良いかといえば、それすら難しいのでそうだとも言えるけど、何より、聴衆がその演奏を良いと感じるには、それだけではない。

どんなに弛まぬ練習を重ねたとしても、楽器のコンディション、演者のコンディション、ホール音響の相性、などなど、小学生なら全く想定もつかぬ要素も影響する。

チームで成果を出す

組織のなかで仕事をしていると、自分ひとりの頑張りやスキルで動かせることは、そんなにない。もちろん組織サイズや自分のスキルセットにもよるが、チームで、誰かとともに、だと目指せる成果はより大きなものになる。そして、チーム構成は必ずしも似たもの同士ではないことが多い。

それぞれが固有の役割を持って、できることを最大限に持ち寄りながら、チームとしての成果を最大化する。

そして、不確実性の高い時代、これが目指すゴール、道筋はここ、というのが、一瞬にして変わる可能性もある。正解がないなかで、見えてきたちいさな光を頼りにチャレンジをしていく。

固有の役割であるから、評価の軸も一定ではないし、対峙するマーケットによっても異なる。

いまの仕事は、まさにこんな感じだ。
小学校の音楽室で過ごしたたくさんの時間が、いまのわたしを支えてくれている。


皆さんからのサポートは、子どもたちと新しい体験をしたり、新たな学びのために使わせていただきます。