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本のおすすめが苦手なわたしが、それでも「読書」をすすめたくなった出来事

「おすすめの本教えて!」

わたしがわりと本をよく読むことを知っている方から、お声がけをいただくことがある。なんとなく会話の流れで、など、機会は前触れなくやってくる。

これまでに出会った素敵な本は数えきれず、いつも何かしら読んでいるけど、実はこのお題が苦手で、人におすすめすることはあまりしてこなかった。

「人に本をすすめる」二つのハードル

1.どんな意図で本を読みたいのか(相手のニーズ
2.その意図を聴けたとして、そこに合うものを提示できる可能性があるのか(わたしの提供価値

*例外として、読んで受けた衝撃とかじわり滲んだ感情のようなものを溜め込んでおけないときに、個人の感想としてSNSなどで共有することはある。

営業の仕事が長かったせいか、人と話すときに1.が気になる。(信頼できる大好きなプロダクトの担当だったので1.がクリアになれば2.は問題なかった。)

もとい、先にあげたハードルをひとつずつ考えてみる。

1.どんな意図で本を読みたいのか(相手のニーズ)

1-1.相手があまり本を読まない方の場合
これは超難問。まさに「なぜ読みたいか」が見えないことが多いから。だいたい下記三つから類推する。

a.何かしら知りたいテーマがある
b.おすすめがあるなら読んでみたいとは思ってる
c.なんとなく聞いただけ(今読みたい理由は特にない)

a.の場合、提示できるテーマであれば、あくまで自分の体験としてお伝えすることはある。

b.の場合がいちばん難しい。
なぜなら、b.そのものが答えになっていないから。わたしのおすすめをなぜ読みたいと思ったか、という理由に踏み込む必要があるし、せっかくなら喜んでもらいたいけれど、何をすすめたら、読んでみたいと思ってもらえるか見当がつかないからだ。でもそういう人ほど「なんでもいいから」って枕詞がついていたりして。
あとは、直近のベストセラー的なビジネス本などをピンポイントで知りたいだけ、ってこともあったり。

c.の場合は別の質問をしながら結局本の話じゃなく着地することが多いのだけど、会話の落とし所を作りにくい。普段本を読まない人の「なんとなく」にフィットさせる本選びって難しい。

1-2.相手がよく本を読む方の場合
(皆そうとは限らないが)下記に当てはまることが多い。

・関心のあるジャンルで展開したい
・全く違うジャンルを開拓したい
・ただ相手がいま関心あることを知りたい

「多読族」に通底するお互いのレコメンドへの信頼関係のようなものがあるのか、いま読んでいる本、好きな本を惜しみなく披露すればよいという安心感はあるかも。

2.相手のニーズに合うものを提示できる可能性があるのか(わたしの提供価値)

これもまた悩ましい。
多読族とはいえ、星の数ほどある書籍のうち読んだ本はほんのわずか。例えばAmazonリコメンドのように「お、いいねそれ!」となるものを出せる可能性は限りなく低いと思ってしまう。わたしが直近のベストセラーを読む比率が高くないことも影響しているかもしれない。

こんなことを書きながら反転するようだが、人に本をすすめてもらうのは、結構好きだ。聞く相手は限られていて、多読族の人だけだ。

「××について読んだほうが良さそうな本」
「最近読んでいる(いた)本」

について聞くことが多い。聞いたその場で買うこともあれば、読まないこともある。時が経って再び巡り合うことも。

読書イベントで感じたこと

事前に書いたこちらをもとに話しながら、ひとつの大きな発見をした。

当たり前のことなのになぜ気づかなかったのだろう。。
(世の中の人は皆そんなこと知っているのかな)

わたしにとっての読書と
他の誰かにとっての「読書」は同じじゃない。

子どもの頃から本が日常で、呼吸するように?何も考えずに読書している。でも「読書」ってなんだか特別なことのように感じている人もいるのだ、ということに気づいた。そこで思い至ったのが、ファッションやメイクの話だ。

突然なんのこっちゃ?とこの話が伝わるかちょっと自信がないのだけど。

わたしは、ファッションにもメイクにも疎く、オシャレとか美しさとかにほぼ手をかけられていない。

たまに、それは自信があるから?と言われるが、全くそんなことはない。ファッション番長な友人に全身お買い物コーディネートしてもらったり、メイク大好きな友人にやってもらったりすることも。

でも自分で再現できる気がしないし、開眼して興味関心を持つにはまだ至っていない。なんとなく、適当にやりながら(たぶん全く再現できず)過ごしている。

これと同じなのかも、と思ったのだ。

彼女たちは、例えばファッションやメイクを愛していて、それにより得られる自己肯定感や、おまけに可愛い素敵って誰かに言ってもらえたら嬉しいじゃん!ということを力説してくれる。それはわかる。全力肯定。彼女たちの手にかかれば、わたしでさえも何となく「仕上がる」実感もある。

だけど、なぜわたしが開眼しないかというと
全部100%出来ないならやっても意味ない
と、ちょっと思っているからじゃないかなと。

メイクにおける100%が何なのか、は置いといて、例えば、わたしの化粧ポーチと彼女のそれは全く構成が異なっていて、それを全部買って、やり方を覚えて、毎日これやるのか…とか、そのレベルの話。

毎日やってる人からしたら、当たり前すぎて、わたしが何に躊躇するのか意味わからないかもしれない。できる気もしないし、結果が見えないものに挑戦するって億劫なのだ。

でも、ある時それを言ったわたしに、素敵な言葉をかけてもらったことがある。

「全部やらなくちゃいけないなんてことはない!たった一つお気に入りのピアスするとか、顔色が明るくなる口紅をつけるとか、それだけでハッピーになるでしょう。そういう武器というか、自分をアゲる方法ってひとつよりふたつ、ふたつよりみっつあったら嬉しいでしょう」と。

読書の話に戻ると。
冒頭で「あまり本を読まない人」と括ったなかに、ファッションやメイクにおけるわたしの感覚に似てる人がいるな、と思ったのだ。

・本を選ぶ
・(買うか借りるかして)手元に用意する
・読む

確かに読書にはそれなりに行動が伴うし、時間もお金も多少使うよね、って思ったのだけど実はもっと根深くて、こんなルールを自分に強いてしまう人がいる。

・読むならば最初から最後まできっちりと
・せっかく読んだのだから何か残さねば

わたしがメイクをフルラインナップこれから買い毎日試行錯誤せねばならぬのか!と思う感じというか。
読書するなら100%!な感じ。

わたしにとっての読書とは、呼吸なので、面倒な手続きがいらない、カジュアルなものだ。積読、乱読、雑読、熟読、耽読、なんでもあり。途中でやめたり、飛ばし読みしたり、何冊も同時に読んだり、同じ本引っ張り出してきたり、ルールなんて全くない自由な営み

この違いなのかも、と思った。
いつだかわたしが、ファッション番長にかけてもらった言葉を思い出した。

読書はもっとカジュアルでいい。

何かを深化、もしくは、進化させたい、と思うときに、ひとの叡智をこんなに簡単に共有してもらえるなんて、コスパが良い営みだ。読み切らなくてもいい、同じのを繰り返し読んでもいい、読まなくてもいい。記録はつけたかったらつければいい(私はほとんどつけてない)。

子どもの頃からたくさん本を読んできて良かったことは、『世界は、人の数だけあって、それぞれの捉え方見え方は違うこと』『わたしにとってのA面は、他の人からしたらB面か、登場人物でさえないこと』を、小学生の頃からなんとなく知っていたことだと思う。

そして、多くの素晴らしい方に著作を通して出会ったことで『自分は何ものでもなく、学び続けるべき存在だ』と思えていることも。

予期せぬ出来事が起きたり、世界の変化スピードが速まったりしても、常に自分の軸のようなものを頼りに立っていられるのは、そのおかげだと思う。

まぁ、こんなことを力説するほど、人に本を読んで欲しいわけではない。でも、多読族=本をたくさん読む人は、ほぼ無条件で信じられるように思うのも、事実ではある。大好きなひとがもっと増えるなら、みんなに、気軽に読書を楽しんでもらいたいなぁとは思う。わたしにファッションの楽しさを伝えてくれた彼女みたいに。

本のおすすめは得意ではないけど、読書のおすすめはしたいと思う。我が家の子どもたちも、読書は日常だ。外出や、人との対面が限られてしまう今だからこそ、カジュアルな読書をたのしむひとが増えたら嬉しい。


皆さんからのサポートは、子どもたちと新しい体験をしたり、新たな学びのために使わせていただきます。