見出し画像

月とシンデレラ

 おせちに入っている海老は「腰が曲がるまで長生きしたい」という願いが込められた縁起物とされていますが、「伊勢海老」は腰が曲がってないにも関わらずやはり縁起物として扱われています。実は伊勢海老や蟹は「脱皮する」ことによって何度でも生まれ変わると考えられ、同じように脱皮をする蛇や、あるいは角が生え代わる鹿などと同様に古来から「再生の象徴」として扱われてきました。

 帝政ロシアの出身で、日本でも数多くのフィールドワークを行った東洋学者のニコライ・ネフスキーは、沖縄には「生まれたばかりの幼児に蟹を這わせる」という習俗があると記録しています。同じく、宮古島には「満潮の海水で湿った砂地から白い蟹を二匹持ち帰り、一匹は子が産れた家の縁の下に、もう一匹で産婦と幼児のために汁が作られる」というものがあるとのことです。
 平安時代に編纂された神道資料『古語拾遺』には、海神の娘である豊玉姫が出産した際に天忍人命(アメノオシヒトノミコト)が箒を作って「蟹」を掃きおとしたとありますが、その故事によって掃守連(カニモリノムラジ)という職を賜ったということです。豊玉姫とは「海幸彦山幸彦」の神話にも登場する竜宮の乙姫のことで、潮の干満を司る魔力があります。潮の満ち引きが「月」と関係していることには昔の人も気づいていたので、この乙姫はもちろん月とも強く結び付けられていたわけです。ネフスキーによる沖縄の調査からも、古代の日本では月と蟹と再生(出産)がセットとして扱われていたことが伺えます。

 鎌倉~室町時代に成立したとされている説話集『御伽草子』に『姥皮』という物語が収められています。この説話はヨーロッパの「シンデレラ」型のおとぎ話にとてもよく似ていて、簡単にあらすじを述べると「継母との折り合いが悪くなって家を出た娘が隣国に流れて貴い身分の御曹司と結ばれ、子孫繁栄を得る」というミラクルロマンスになっています。

 娘が行くあてもなく、いっそ亡き母の元に向かおうと観音堂の軒下に潜り込んで念仏を唱えていると、眼前に菩薩が現れて彼女に「姥皮」という樹皮のような変装用の衣服を与えます。その姥皮をかぶると、周囲の人には若い娘がまるで老女のようにみえるのでした。娘は観音菩薩の導きに従って隣国へと流れ着き、ある名家の釜焚き婆として雇われることになります。
 人々が寝静まった真夜中、娘は庭に出て姥皮を脱ぎ、ひとり月に語り掛けます。
 月一人 あはれとは見よ姥皮を いつの世にかは脱ぎて返さん
 (月だけは、この姥皮となった私を哀れんでください。この皮を脱いでいつの日かお返しいたしましょう)
 折も折、月の光に導かれ、庭の花を眺めていた館の御曹司は、何者かの気配を感じ、刀を携えてこっそりと庭に降ります。「なぜここに釜焚き婆が?」と不審に思っていると、月明かりが娘の素顔を照らしだし、御曹司はあまりの美しさに驚くばかり。娘に詳しく事情を聞けば、その身の上に同情を禁じ得ず、どうか自分と夫婦となってくれるようにと諭します。この話を伝え聞いた帝も「これこそは観音の導きであろう」と御曹司に身分と所領を与え、その後ふたりは末永く幸せに暮らしたのでした。

 グリム童話の『千枚皮』では、実の娘と再婚しようとする王様から逃げ出したお姫様が森の樹の洞の中で疲れて眠ってしまいます。娘が千種類の獣の皮を縫い合わせて作られた服を着ていると、そこに偶然通りがかった森の領主が「なんと不思議な動物なのだろう」とお城に連れ帰り、娘をかまど番として雇います。同じくグリム童話の『灰かぶり』では、継母にいじめられかまどの灰にまみれていた娘が、実母の墓の横に植えたハシバミの樹がくれる衣服に身を包み、お城の舞踏会へと出かけます。これらの物語からは、幸せな境遇から追い出された「かまど番の娘」と「樹木」、そして「衣服の着脱」の間に何か関係がありそうなことが読み取れます。

 『姥皮』の物語は、それら西洋の民話を読み解くヒントを与えてくれます。実は、月光によって見出される姫の美しさとは、姫が流れ着いたその場所が、物語の内部論理としての「樹上」であることを示しています。古代人にとって樹上とは、地上に対しての「天界=あの世」を表し、巨大な樹木は天地の間をつなぐ「はしご」であると考えられていました。シンデレラ型の物語で「追放の姫が樹木に包まれる」というモチーフが強く現れるのは、彼女たちが再生する際に樹木を介して天に上る(いったん死ぬ)ことを示唆しています。そして天上世界において再生(誕生)の力の源となっているのは「月」であると考えられていました。出産とも深い関係にある女性の生理が「月経」と呼ばれ月の満ち欠けに擬えられているのはよく知られていますが、海洋を生活圏とする地域においては、潮の干満が水棲生物に与える影響もまた、生まれ変わりの象徴として捉えられてきました。それが蟹の脱皮です。
 オーストラリアの深海に棲む蟹の一種は、大潮、つまり満月の夜になると浅瀬に集まってきて一斉に脱皮を始めます。彼らは潮の流れが急になるその時期を選んで(進化のメカニズムの話はここでは置いておきます)、強い水流の力によって脱皮を行うのです。蟹たちは「敵に襲われやすい状態」にある脱皮を短時間に集団で行うことにより、結果的に種の生存確率を上げていると考えられています。あるいは、大潮の時期には蟹たちが集団で産卵することもよく知られており、これもまた強い水流を利用することで同様の効果がもたらされるようです。満潮の際には海岸線が奥まで入り込んでくるので、それが脱皮や放卵の際に有利に働いていると考えられます。いずれにしろ海洋民の間では、蟹と月との関係は古くから知られていました。

 『姥皮』で月明かりに照らされた姫の美しい顔とは、月の持つ再生力によって古い皮(過去の自分)を脱ぎ捨て、新たな自分に生まれ変わるというプロセスを物語にして言い換えたものです。その月に行くためには「天まで届く樹の上」に登る必要がある、ということなのでしょう。シンデレラの元になった物語がいつどこで誕生したのか、その謎については今なお不明ですが、ひょっとするとヨーロッパではなく、もともとアジア沿岸部の人々が持っていたお話がルーツのひとつだったのかもしれません。こうして今も世界中で、かまど番の娘と王子様は何度もめぐり合うのです。
                        おわり