見出し画像

『A PLACE IN THE SUN at 渚園 Summer of 1988』 あの頃を思い出して

GWの前に、よく行っている映画館の上映スケジュールを見ていて驚いた。今作のタイトルがあったからだ。検索すると、なんと渚園での当時の映像を再編集して上映するという。

さらに検索すると、Rolling Stone Japanの記事が見つかり、当時の野外ライブも撮影していた今作監督の板屋宏幸が語る貴重なエピソードが。聞き手は田家秀樹ということで「陽のあたる場所」のことを思い出す。実家には何度も読んだ単行本があるはずだ。
1988年の2月に刊行されたこの本には当然この渚園のことは記されておらず、その様子は後に「ON THE ROAD “FILMS”」で一部を知ることになった。

『FATHER'S SON』から浜田省吾にハマった自分は当時高校生で、まさに1988年。レンタルCDで過去作を遡り、初期作の魅力にはなかなか気づけなかったのを思い出す。「陽のあたる場所」は既に出ていて、今から思えば実に手っ取り早く「浜田省吾」というシンガーソングライターのことを知っていったわけだ。

そんな中で「渚園」のことも知ったわけで、それはおそらく直前とかだっただろう。後に音楽雑誌なんかでの評価を知って悔しい思いもした。だから“FILMS”はそれこそ予約して購入したし、VHSは何十回も見た記憶がある。

それにしてもこの渚園での野外イベント開催について、当時の事前の評価はどうだったのか。「陽のあたる場所」では、初めてのスタジアムコンサート、横浜スタジアムでの開催について懐疑的な前評判だったのが、実際にはおよそ文句のつけようがないものになって、そうした声を吹き飛ばしたエピソードがあった。だからこの渚園のことも同様だったのかどうか。そうだとしたら、やはり再び同じことが起こったはずだ。そう思うよりないのは、今作を観れば一目瞭然だから。

冒頭の「A PLACE IN THE SUN」アカペラ、そして「路地裏の少年」のイントロが映画館の、おそらく少し大きめに設定された音響から流れる。当時のVHSデッキ、テレビのスピーカーで刷り込まれたサウンドとの違いに思わず涙が出た。もちろん当時行けなかったイベントのことに思いを馳せて、ということの方が大きいのかもしれないが、とにかく自分でもよくわからず、ボロボロっときてしまった。

どう高く見積もっても、当時の、当地での臨場感のコンマ1%も味わえたとは思わないが、それでも嬉しくてたまらない。“FILMS”との比較は今回再調整されたサウンドだけでなく、いろんなアングルでの映像が加えられていて、そこも楽しい。
だからサックスのソロの後に古村敏比古が、あんなに走って戻っていたのを初めて知ることになった笑。
そして「終わりなき疾走」までのシームレスに続く流れがやはり最高なのだ。

今作を観る前に、前述の記事を読んでいたのは本当に良かったと思う。そして当時16mmで撮影されていたことも。フィルムの粒子、観客の服装、ヘアスタイル、そして撮影スタッフの奮闘の様子なども見えて、記録映画としての顔も見えてくる。単純にライブ映像を繋げたわけでなく、各ショットと楽曲との重ね方の判断が素晴らしい。浜省の曲にあるストーリー性、メッセージ性がベースにあるからこそだろうが、次第に「これは映画なんだな」と思うようなっていった。

今作では「渚園」からの20曲が収められていた。観賞後に読んだリアルサウンドの記事でプロデューサーの岩熊信彦が言及していたけど、それは今作に合わせたものではなく、当時からセレクトされたものだったという。たった13台のカメラ、1ロール11分という制約の中ではそれでもとんでもなく難しい撮影だったわけで、しかしながら「よくぞ」と思える素晴らしい選曲になったと感じた。それは35年経ったこの日本で強く感じられることの残念さも含め。
しかし、今映画館でかけられるべきものでもあると言うことだ。

こういうのは勢いで一気に書くに限る。35年前の俺、聴いてて良かったな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?