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エヴァが…終わってしもた…(感想につきネタバレ注意)

終わりとしてのシン・エヴァ

旧劇の終わり方は、内面世界を描写しているらしいということ以外ほぼわからないままで置いてけぼりにされたというのが正直な感想だったが、シンエヴァの終わり方はまさに「これでいいんだ」という気持ち。
旧劇の終わり方を平たく言えば”エヴァに乗らない世界線もある”というパラレルワールドが糸口だったので、新劇もパラレルワールドの一部という捉え方をすると旧劇の消化不良が昇華され「あ、やっと補完されたんだな」という実感が沸いた。

そもそもエヴァというアニメは何だったのか

これだけ多くの人生を揺らしながら社会現象になっていったアニメであるのに、その中心を貫いているのが一人の人間の独白のような、体温がある個人的なもの。誰の心にもありそうな独白が、エヴァという物語を纏って拡張現実を作り出し一生出会うことのない人のところにまで届いた、それがエヴァというアニメ。
拡張現実=エヴァの世界観に共鳴した人は、エヴァも第3新東京市も現実には存在しないが、それでも共鳴する前とした後では見る風景が変わる。次第に風景だけではなく自分が今まで認識していたものも実は違うものだったのではないか…そんな隙間からどんどん個人の人生に入り込んでくる。”体温がある個人的なもの”だからこそ時代が変わっても受け取った人の心に残り続け、時間を越えて新劇が作られたことでエヴァは体験になってしまい、本当に人生遍歴の一部になってしまった。

Q〜シンエヴァはパイロットだけ14歳のままで周囲の時間だけは過ぎている時間軸を舞台としているのも、ファンがこの作品を受け止めてきた体感と近いのではないか。シンエヴァではヴィレの外に出て他者との対話が増えたことでその体感が強調されていると思う。
あえてそうしたのであれば、旧劇で置き去りにされたファンに対する監督の姿勢の一つかもと思ったりするし、それだけではない可能性があるとすれば、逆にシンエヴァからエヴァを知って全て一気に見た人はどう感じるのか個人的に知りたい。

記憶にあるエヴァの場面をぐるぐるする

ここがよかった、あれが心に残ったと映画の端々を思い出せば思い出すほど、相似関係のキャラクターやエピソード、風景も旧劇版やアニメ版と繋がって浮かび上がってくる。人類補完計画ならぬエヴァ補完計画とでも言えばいいのか、自分が受け止めてきたエヴァの残像をずっとぐるぐる回っている感じだ。その中に浸かったまま終わりと向き合いたく無いとも思ったりする。しかしその中でも新劇シリーズだけに見られて際立つ関係が一つある。ゲンドウとミサトの、子供に会わない親として、そして配偶者を亡くし残された者としての在り方だ。同じ境遇の元同じ選択をしているのに、在り方としては強烈な対比になって争いあっているのは印象深い。きっと色々なメッセージがあるのかもしれないがまだ受け取りきれていない。
受け取り切れていないのはそれだけにあらず、今までのエヴァを振り返るのはもちろん、監督が手がけた他の作品にも派生しているはずなのでそちらも見ておきたい。エヴァが終わったからこそ見れると思ったし、終わってほしく無いからこそ見るんだろうなとも思う。




ここから下は個人的な感想なのでくっそ暇で仕方ないという人でも読まなくておkです。
こういう人間がエヴァを受け取りましたよという記録

個人的な感想〜新劇シリーズに対するわだかまり編〜

エヴァの終わり方になんの不満もない、最高だ。これでいいんだ…と言って成仏した。
ただ、シンエヴァを見てやたらQではどうだったっけ?と思い返していたので、私はQをちゃんと受け止めきれていなかったんだなと思った。というのも新劇シリーズで唯一心にひっかかっていて納得できていなかったのが、カヲル君の作画とキャラだったからだ。シチュエーションを借りるとすればQのアヤナミ(仮)に対するシンジ君状態で、カヲル君であってカヲル君で無い、少なくともエヴァを知った14歳の時の私がずっと待っていたカヲル君ではないというのがずっと引っかかっていた。
ヒトの汚さや揺らぎが無い完全体のヒューマノイドという芸術品として心酔していたカヲル君が、割と人間っぽく描かれている。コミックスでも結局そこが引っかかっていた。そんな優しいセリフなんぞ言わずに、もっと意味わからないこと言ってて欲しいのに、どうして。
でも、シンエヴァで違うアヤナミと向き合うシンジを見たら、私もナギサカヲル(仮称)と向き合わなくてはいけないんだなと思った。14歳の私が心酔していたカヲル君はあの時シンジが殺してしまったし、そもそもカヲル君は何体もいるのだから。
ああ、カヲル君は本当に死んでしまっていたんだ。

個人的な感想〜とにかく美しくて思考停止した編〜

シンエヴァ冒頭の戦闘で電力ためて放射する下半身エヴァみたいな奴(サイドエヴァ44B)の動き、マンソンのmOBSCENEみたいでドチャクソ興奮した 伝われ あとイージス艦のめちゃめちゃな使い方も最高に興奮した 新劇の戦闘シーンは泣けてくる程美しい パリが赤くてパリは燃えているか…!?と世界大戦オタクは思ってしまったけどナディアのオマージュっぽいですね!私未ナディアなんだよ見ます
エヴァ8号機β最高にセクシーどうやったら思いつくん回転式の腕とか…あの腕にしたすぎて手首切り落とす夢を見た
エヴァって泣く内容じゃないしシンは特に泣ける内容ではないが、Qもシンも戦闘シーンが美し過ぎて泣いてる。
なんなら破でも要塞都市が立ち上がる様子とかエヴァがそこを駆け抜けていくのも美し過ぎて泣いた。この美しさは言葉で少しも表すことができない。

個人的な感想〜人生遍歴に関するクソ個人的なもの編〜

14歳の時にエヴァのアニメから旧劇版までレンタルで借りて初めて見て速攻でハマってしまった。
エヴァのアニメに携わりたいという安易な発想でアニメーターになるには?とアニメ専門学校の体験入学に行ったりもしたが、給料とか考えたらまずは現実的に生きられる仕事をと考え始めてどんどん夢がこじれていった。
こじれたなりに何か非言語の物を作って人を感動させることへの憧れは実現したかったので、とりあえず美大に入って、とりあえずデザイナーになって、なれたものの色々あって玉砕し、二次創作をちまちま落書きしているほぼ無職状態という揺らぎのある状態でシンエヴァ解禁。
そんな私が映画の衝撃のまま呆然とエンドロールを眺めていたところ、自分と同姓同名の名前があることに気づいてしまった。(漢字一文字違い)
14歳の私が無邪気に夢見ていたエンドロールに名前が載ること。でもあの名前の人は違う人間で私の人生も違う。表面的に夢は叶っているのだが、嬉しいような悲しいような気持ちになり泣けてきた。これも旧劇のようなパラレルワールドの演出の一部だろうかと都合良く解釈した。

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