「エリート」じゃない、「キングヘイロー」だ(キングヘイロー生誕祭2021)

 キングヘイローは欧州の1980年代最強馬「ダンシングブレーヴ」と米国のGⅠ競争7勝馬「グッバイヘイロー」の良血、更に当時天才と呼ばれた福永騎手が合わさることで、デビューからキングの名にふさわしい堂々の3連勝を果たした。

 そして迎えようとしていたクラシック戦線。狙うはG1優勝。しかし、そこにはのちに最強の世代と呼ばれることになるライバルたちが待ち受けていた。

 待ち受けていたのは日本の血と親を失った陰のドラマを持つスペシャルウィークやセイウンスカイ。そしてエルコンドルパサーなど他の外国産馬のスターたち。

 そんな中で日本で走ることになった欧州と米国の良血「エリート」のキングヘイローに対して、当時の競馬ファンは僻みのような感情を持つ者も少なくなかった。良血のエリート「坊ちゃん」という背景は当時の日本にとっても好かれづらく、他の底から這い上がるようなドラマがある馬たちとの比較もあったのだろう、そんな風潮が災いしてか、キングヘイローは次々と敗北と屈辱を味わっていくことになる。

 それでも走った夢のGⅠ。だが皐月賞では2着、ダービーにおいては大敗。その後も時には相棒を柴田騎手としながらも安田記念、天皇賞、有馬記念、マイルチャンピオンシップ……沢山のGⅠ優勝を狙ったキングヘイローだが、いずれもことごとくスペシャルウィークセイウンスカイといったライバルたちに一着を取られ続けていた。

 ライバルのスペシャルウィークが同期のグラスワンダーと熱い戦いのドラマを演じて話題になる一方、もはやデビュー当時に「エリート」として注目されていたキングヘイローの姿はそこにはなかった。キングヘイローを僻んでいた当時の人々も「まだ中央のG1に出ているのかよ」と思っていただろう。

 だがキングヘイローは諦めなかった。ダービーで大敗して叩かれようと、わずかな差でGⅠ制覇の夢を打ち砕かれようと、砂を被り屈辱の敗北を経験しようとも。

 ――その諦めの悪さは、徐々に人々の心を寄せ付けていた。


 そして迎えた2000年高松宮記念。

 共に戦う相棒・柴田騎手と共に出走。相手はブラックホークら強豪たち。    

 キングヘイローはそんな強豪たち相手に後ろに控える。短いレースのコーナー、アグネスワールドかディヴァインライトか。混戦の極み。もはやだれが一着になるのかはわからない。そんな中でもキングヘイローは後ろにいる。

 そして最後の直線、ブラックホークやダイタクヤマトといった馬たちが一気に追い上げてくる。しかしそんな中で、一番の大外から勢いよく走りだした。

 キングヘイロー。

 目にもとまらぬ速さ。ラストの短い時間で先頭争いをしていた一団を一気に追い抜き、僅かな差でゴールを切った。そのゴールは、今まで夢に見ていた一着。

 その走りは、正に父・ダンシングブレーヴの走りを思い出させる、「エリート」以上の、「キング」の走りだった。

 やっと手に入れた栄光のG1制覇。
 2着のディヴァインライトに乗っていたのは、かつて共に3連勝の栄光を喜び合った福永騎手だった。


 キングヘイローは何度負けても、何度他の馬たちと比較されても諦めずに戦い、11回のGⅠを戦い抜き、地を這うようにして勝利を掴んだその姿は、正にドラマ。一つの物語の主人公だった。

 その姿はただの「エリート」ではない。ましてや血だけが誇りの「坊ちゃん」などではない、「キングヘイロー」として人々に受け入れられたのだった。

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