TOKYO N◎VA "WindShieldWiper"

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この見えない線を繋いでしまったら、
その向こうの君は、泣いているかもしれない。

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僕がのろけたら、友人たちは揃って笑った。
それから揃って少し驚いた。ちょっと意外なタイプだな、って。
たぶんみんなが想像してたのは、僕がいつもすぐ仲良くなるような、ジーンズやミニスカートで、腕を組んだり腰に手を当ててたりしていて、僕がバカな冗談を言ったらバーンとはたいて、いっしょに大声で笑う女の子。
僕も意外だったから、照れくさくってもっとのろけた。

だってその子はいつもロングスカートで、喫茶店でも助手席でも小さな手は揃って膝の上で、僕がバカな冗談を言っても、妖精の羽音くらいの笑い声で、時々は冗談自体がわからなくって、困ってまごまご首をかしげて、その顔が可愛くてああもうって抱きしめてもびっくりしてバンザイしなくなったのは、春がひとつ過ぎる頃にやっとのことでした。

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口数も少ないものだから、その子の顔さえ見れば浮かれて嬉しい僕はほとんど一方的に喋りっぱなし。誕生日も聞き出せてなかったから、喜びそうな小物を見つけたらそのたびに買ってお誕生日おめでとう!って言って渡した。
友達に聞いた話なんだけど、誕生日は毎日お祝いしてもいいんだよ。ルイス・キャロルのお墨付き。ちょっと違ったっけ。まあいいや。

こっそり、ハンドバッグに手を差し入れて
君は何度もプレゼントを見ている。
君が真っ赤にならないように、
僕は運転に集中しているふりをしながら零れそうな微笑を堪える。

僕をバーンとはたいて、いっしょに大声で笑う女の子とは、
正反対なほど反対向きの子。

つまりは僕とも反対向きの子。

僕はいろんなことが、何でもかんでも楽しいけれど、
その子はいろんなことがたくさん悲しい女の子でした。

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なんでもない、不意の隙間の一瞬に
彼女の真上だけをかすめる黒い鳥の影が落ちるように
不安や締めつけるかなしみ、突き刺さるつめたい痛み
そんなものたちが彼女を襲い、
彼女を立ち止まらせ、言葉を詰まらせ、瞳を迷わせ揺れさせた。

すこしずつ、すこしずつ
悲しさの飛来は頻繁になって

ある日二人でデートに行った遊園地の昼下がり、ポップコーンの屋台の前で、空のカップを帽子にかぶって笑いあっていたときに、彼女がとうとうこらえきれずに顔を覆って泣き出してしまったことがある。
僕は戸惑い、そうっと抱きしめ、ひざまずいて目線を合わせ、泣かないで、と、精一杯やわらかく言って、髪を撫でた。

……はい、

彼女はうなずいた。

口もとを両手で押さえ、
…ぅく、んっ、 と しゃくりあげ、息を詰め
十数分かかって、涙を止めた。
そうして、赤くはれて濡れた目をあげて、僕に微笑んで
もういちど、…はい、と言った。

僕は呆然とした。

そうじゃない。そんなつもりで言ったんじゃないよ。
けれど声にはできなかった。

だってそれならどんなつもりで
僕は 泣かないで なんて言ったんだ?

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すこしずつ、すこしずつ
僕は、彼女に会うのが、辛くなっていった。

悲しい顔をまのあたりにするのは心が重い。
悪いことなのは分かってる。酷いやつだと自分で思う。
でも、
…心が、重い。

かなしみの影に噛みつかれた君を抱きしめて、僕もいっしょに声をあげて泣き出してしまいたくなることも何度もあった。
けれどそれは出来なかった。それだけはできなかった。

毎夜のはずの僕からの電話も、前にはシャワーから上がるなりタオルを着たまま掛けていたのに、パジャマを着て、歯を磨いて、電話の前に立って、髪をかきあげた手を額の上で止めたまま、迷う時間がだんだん伸びた。

この見えない線を繋いでしまったら、
その向こうの君は、泣いているかもしれない。

僕がバカな冗談を言えば、彼女は笑ってくれるだろう。
義理や嘘では決してなく、あの妖精の羽音くらいの声で
心から笑ってくれるだろう。
涙を止めることはできるだろう。ふたりで楽しく話せるだろう。
だけど、
だけどそんなことがなんになる?

……とうとうその日、ぼくの手は言うことをきかなかった。

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かきあげた髪を頭の後ろでぎゅっとつかんで
ポケットロンを見下ろしたまま、僕は動けなかった。
頭の中をぐるぐるしていた堂々巡りのトラたちはとっくにバターになってしまって
思考のかけらはその上を間抜けにつるつる上滑りして、
何ひとつ結論を下せる目途さえ立たなかった。
君のアドレスが押せなかった。だって、

だって、
だって、君が泣いているかもしれないんだ。

――― 唐突に、部屋の隅でTVの電源が入った。

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びくりと肩を跳ねさせて僕は振り向いた。
いつも観ている歌番組のオープニングが流れていた。DAKがセットに従って時間通りに点けたのだ。
時間。深夜過ぎ、24:30。
僕はあわてた。何時間考えてたんだ。
ポケットロンをつかみ勢いで指が覚えたアドレスを押す。

コール音が心臓に爪を立てる。
押すことは出来た、けれど、

rrrr...、
無機質な繰り返し。
2回、
3回、

もうすぐ彼女が受話アイコンに触れる。
見えない線が彼女につながる。

4回、

はい、といういつもの小さな声が
その向こうから聞こえるだろう。
その声は、
…その、声は

…5回、

僕はなんて言おう。
何て切り出し何を話そう。

6回、

7回、8回、9回、

「………?」

13回、14回、15、16、17、18

僕は家を飛び出した。

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どうやって車にキーをさしたか覚えていない。
外はどしゃ降りの雨だった。

フロントガラスの向こう、右に左に街の灯が暴れた。
ハンドルに肘をはって街じゅうを、ほんとうにこの街中を走りまわった。
車のスピードと、持っていた全部のお金と、銃と、僕の手にあるあらゆる武器を振りかざして君をさがした。
がむしゃらの、めちゃくちゃの、あとさきなしの探し人だった。

行き付けの店、行き付けない店、裏通りに地下道、たどったつてが分からないような電気街の情報屋、追い出されそうになるのを食い下がったきれいなサロンから、暗い雨のなか人の眼ばかりが白く光ったスラムまで

どこに行っても手に入るのは聞きたくもない話ばかりだった。
マンションの管理人はいう、そんな子はここには住んでいなかった。
電気街のニューロがいう、家を借りた名義人は架空の存在だ。
サロンの住人たちがいう、その子自身は知らないけれどその名字には聞き覚えがある、軌道に本社を持っているとある企業の重役だ。
フリーランスのフェイトがいう、その噂なら聞いたことがある、なんでも再起をかけたプロジェクトに失敗して、近く引き揚げさせられるらしいというのが流れていたよ。
隣の席のカブキがいう、家族でお空へ夜逃げ同然の引き揚げか、いつの時代もどんなご身分も大して変わりは無いんだな。
片目のバーテンが僕に笑う、人には分相応って奴がある、よかったじゃないか、やばいとこまで足を突っ込む前に、うまいこと逃げ出せちまえて、なあ。

聞きたくもない話ばかりだった、
耳を塞ぎたくなるような情報ばかりだった。
たったいま君がどこにいる、
僕はどうしたらたどり着ける、
知りたいことなんてそれだけだ、
(ただひとつあるとすれば)
もう手が届かないなんて
(僕がなぜ君から)
そんな話は聞きたくないんだ、
(逃げたのかということ)
きっとまだ間に合う。
(ひとときであったとしても)
まだ追いつける。
(…うそだ、ひとときなんかじゃなかった)
君に、
(君を、)
たった今すぐにでも、
(たった一人で泣かせたままで)


走っても走っても走っても、君はどこにもいなかった。
どんなに速く走っても距離はひろがるばかりだった。
君のいる場所のあまりの遠さがはっきりしてゆくばかりだった。

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夜の明けるころ僕は、
とうとうエンジンのいかれた車のハンドルに突っ伏していた。
街に注ぐ雨の音はどんどん激しくなっていく。
これは僕が彼女に堪えさせたぜんぶの涙の量なのか。
フロントガラスを流れ落ちる滝のような水の流れを、
ウィンドシールドワイパーが軋みながらかきまわしていた。

ただ、
ただ無力にかきまわしていた。