自覚 自我 自覚 自我自我ー!

恵まれたことに周りの人たちが物を書くのが好きだ。

なんでも発信する、それにこれといった垣根がなくてそこが気持ちがいい(noteそのものにその気持ち良さがありますよね)

でもわたしがなんでも発信していたのは中学生までで、そこからはなんか面白くないものが取り憑いて「なにぶってんだよ」「痛いんだよ」という声に従うようになった。

ノートの切れ端に迷路をつくるのも 机の上に気に入った歌詞を書きなぐるのも ちょっとした四コマを入れた交換日記も Yahoo!ブログも 小説も 全部全部やらなくなった。

内なる悶々としたものは中高と部活を精力的にやることで吐き出していたため、そんなに不自由は感じなかった。

そして大学生になった。
朝練も試合もなくなった今 お酒を飲むかライブに行くかやきとりにするかやきとんにするかでしかなくて お笑いも音楽も映画もみんなと共有できるほどに楽しんで いいね 最高だね 合コンも相席屋も行ってみたりして 帰り道に女友達と毒づいたりして クラブとか行って全然知らない人と渋谷徘徊したりして もうおとなじゃん なんもこわくないじゃん って思っていたけれど、日々のああ~~が溜まっていく。最近だと『勝手にふるえてろ』のヨシカの「ファック、ファック、ファック……」や『レディ・バード』のレディバードのアー!!!や『凪のお暇』の凪ちゃんだったり『恋のツキ』のワコちゃんだったり『BEASTARS』の動物たちだったりと代弁してくれる映画や漫画はかなり充実している。(「生きづらさ」をパッケージにしただけのものは考え物ですが)助かっている反面そういった素晴らしいコンテンツや人の文章、絵、写真を見るとダメージを受けているのも事実で、面倒な人間なのです。救われているのにダメージを受けている。救世主の一人として芸歴8、9年目のAマッソがいるんですけど、ネタを書いている方加納さんはこれはもう文才の塊で、好きだということを差し引いても文章が素晴らしいし、テンポがいいし、最高だし、毎月最終水曜日は救いだし、毎回毛色をかえてズルいし、すごいを上回って苦しいし、ダメージを受けるのだ。私づてで加納のエッセイを知った恋人までもが「あれそろそろじゃないかな?ってわざわざサイト確認しちゃったよ、明日だったね」なんて報告してくる始末。

?!?!

わたしが無理やり押し付けてた共有のはずだったのに!いつも受身なくせに能動的に調べたのか!モヤモヤする!

わたしは加納のことが好きで好きで仕方ないのだが、長年の彼女に対するズルイとヤキモチが相まって変な気持ちになった。加納に匹敵する文章を書きたいんじゃなくて、わたしもわざわざ、「お!書いてるな〜」って確認してもらいたい!

なんとも不純な動機ですが、書いてるなんてダサい、恥ずかしい、という気持ちはそういえば気付いたら後回しになっていました。

#noteはじめました #Aマッソ #Webちくま #何言うてんねん #ウエストランド

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