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エネルギー・トランジションをめぐる2023年10月〜2024年3月の動き─次世代燃料への需要と地域間・企業間競争:GXの進展と次世代燃料の具体化(2「上」)

はじめに

『エネルギー・トランジション:2050年カーボンニュートラル実現への道』の原稿を白桃書房に提出したのは2023年10月のことであり、本書には、2023年9月末までの事実がカバーされている。その後、校正、印刷、製本、配本などの手続きを経て、本書は、2024年4月に刊行されることになった。

この半年のあいだにも、エネルギー・トランジションをめぐっては、いろいろな動きがあった。2023年10月〜2024年3月のエネルギー・トランジションをめぐる動きのなかから、特に重要なものとして、(1)では令和6年能登半島地震の東京電力・柏崎刈羽原子力発電所再稼働への影響を検討した。

本稿では、GX(グリーントランスフォーメーション)の進展と次世代燃料の具体化を検討していく。まず、「上」として、次世代燃料として何に実際に需要がありそうなのか、またGXの政策支援獲得をめぐる地域間・企業間競争の様相を見ていこう。


GXへの財政的支援方針固まる

重要なのは、GXの一つの焦点である次世代燃料や拠点整備の絞り込みに関して、具体的な進展がみられたことである。

岸田文雄内閣が2023年2月に閣議決定した「GX実現に向けた基本方針」は、「今後10年間で150兆円超の官民投資」を喚起することを謳う。そして、そのためのトリガーとして、GX経済移行債(国債)の発行で得る資金を財源に、20兆円規模の先行投資支援の補助金を支給する方針を打ち出している。

補助金の支給対象には、水素・アンモニア・合成燃料(合成メタン[e-methane]、合成液体燃料[e-fuel] 、SAF[持続可能な航空燃料]、合成LP[液化石油]ガスなど)などの次世代燃料も含まれる。これらの燃料のうち、何にいくらぐらいの補助金が支給されるのだろうか。その際、判断の基準は、それぞれの次世代燃料の社会的実装のリアリティに置かれることになる。「今後10年間」と期限が定められているからである。

そうであるとすれば、次世代燃料に関して、補助金の支給対象・支給規模を決めるのは、需要のあり方ということになる。需要の所在が明確であればあるほど、補助金は得やすくなるわけである。

明確な需要がある3分野から考える次世代燃料

現時点で、次世代燃料に対して明確な需要が存在するのは、次の3分野である。

第1は、石炭火力である。石炭火力のアンモニア火力への移行を進める電力業界には、アンモニアに対する強い需要が存在する。

第2は、航空機である。ICAO(国際民間航空機関)の規制強化にともない、航空業界は二酸化炭素排出量の削減に取り組まざるをえず、SAFへの強い需要を有している。SAFの製法は、当面、廃食油等からのHEFAや、バイオエタノールからのATJ(アルコール・トゥ・ジェット燃料)が中心となるが、これらは原料調達面で限界があるため、やがて合成液体燃料の一種のeメタノールから生成するMTJ(メタノール・トゥ・ジェット燃料)に置き換わっていくことだろう。

第3は、船舶である。IMO(国際海事機関)の規制強化にともない、海運業界もまた二酸化炭素排出量の削減に取り組まざるをえず、次世代燃料への強い需要を有している。コンテナ船世界大手のAPモラー・マースク(デンマーク)は、eメタノール船の導入に舵を切ったし、日本の海運大手の商船三井も、同様の方針をとっている。一方、もう一つの日本の海運大手である日本郵船は、アンモニア船の導入に力を入れている。

このように見てくると、現状では、明確な需要が存在し、社会的実装のリアリティが高いのは、アンモニアやeメタノールであることがわかる。一方、カーボンニュートラル時代の次世代燃料の本命とされる水素に関しては、はっきりした需要先が見えていない。最大の需要先となるはずの水素発電の本格的な事業計画が、具体化されていないからである。したがって、「今後10年間」を視野に入れるGXの補助金支給にあたっては、当初の予想より水素の比重が後退し、アンモニアやeメタノールの比重が増進することが見込まれる。

ただし、今後、水素の需要先として、部品製造工場が急浮上する可能性がある。「サプライチェーンのカーボンフリー化」への社会的要請が高まるなかで、組立メーカーのあいだには、二酸化炭素を排出する部品製造工場からの製品納入を拒絶する動きが広まりつつある。この動きに対応するために部品製造工場は、排出する二酸化炭素を回収して水素とマッチングし、カーボンリサイクルを実現せざるをえない。水素を必要とする部品製造工場が次世代燃料の第4の需要先として登場する可能性は、高いのである。

GX補助金獲得を巡る地域間・企業間競争の構図

今、日本では、先行投資支援の20兆円規模の政府補助金を獲得するための地域間競争や企業間競争が激化している。競争激化の背景には、経済産業省が、2022年10月に、水素・アンモニア・合成燃料のサプライチェーン構築に関して、向こう10年間に、大都市圏を中心に3ヵ所程度の大規模拠点と、地域を分散して5ヵ所程度の中規模拠点とを重点的に整備する方針を打ち出したことがある。同省は、2024年1月には、2024年夏に拠点整備の申請受付を開始し、2024年中に案件採択の公表を始めると発表した。水素・アンモニア・合成燃料は、GXで活用する「クリーンなエネルギー」の代表格とされているから、各地域、各企業は、この「3+5ヵ所」の拠点選択レースに乗り遅れないよう、必死なのである。

大規模拠点候補:京浜地区

大規模拠点3ヵ所をめぐるレースの先頭に立つのは、川崎と横浜からなる京浜地区である。川崎市は、2015年に全国に先駆けて「水素社会実現に向けた川崎水素戦略」を策定、2022年3月には「川崎カーボンニュートラルコンビナート構想」を公表してきた。そして、同じ2022年の5月には「川崎カーボンニュートラルコンビナート形成推進協議会・川崎港カーボンニュートラルポート形成推進協議会」を設立したが、これは、現在、全国約80ヵ所で活動している同種の官民協議会のなかで、最大の規模を誇っている。一方、横浜市は、2023年12月にコンテナ海運世界大手のAPモラー・マースクおよび三菱ガス化学とグリーンメタノールの利用促進に関する覚書を締結するなど、カーボンニュートラルポート形成の先頭に立とうとしている。

川崎・横浜の水素拠点形成が現実味を帯びるきっかけとなったのは、両市にまたがる扇島地区のJFEスチールの溶鉱炉が2023年9月に運転を休止したことである。広大な跡地には、水素タンクや水素パイプラインなど必要な施設を設置できるだけでなく、東京湾随一の水深22mを誇る埠頭は、高炉の運転休止後、液化水素の陸揚げ基地として活躍することになる。これらの条件を活かして、周辺に展開する大規模ガス火力発電所群に燃料用水素を供給するという、一大プロジェクトが動き出したのである。このプロジェクトを牽引しているのは、川崎・横浜両市とそれぞれにMOU(基本合意書)を締結しているENEOSである。

大規模拠点候補:中部圏

大規模拠点の候補地として京浜地区と並んで有力なのは、中部圏である。中部圏では、中部圏水素利用協議会が積極的に活動を展開している。同協議会が進めるGX戦略は、大きく二つの方向性に分かれる。

一つは、JERAが推進する火力発電所の燃料転換によるカーボンフリー化である。石炭火力をアンモニア火力へ、ガス火力を水素火力へ、それぞれ変えてゆくわけである。この方向性は、川崎・横浜のそれと同一だと言える。

一方、もう一つの方向性は、京浜地区では見られないユニークなものである。それは、中部圏内に存在する多数の工場で二酸化炭素を回収し、それを地域内で水素とマッチングして合成燃料を生成して、その合成燃料を工場で再利用するという、「カーボンリサイクル」と呼ぶべきアプローチである。必要となる水素は、中部圏内の製油所ないしLNG(液化天然ガス)輸入基地などで製造し、その際発生する二酸化炭素については、CCUS(二酸化炭素回収・利用、貯留)によって処理してカーボンニュートラル化を図る。このユニークな「需要からのアプローチ」を牽引するのは、トヨタ自動車、デンソー、アイシンなどである。

大規模拠点候補:関西地区

大規模拠点形成の点で京浜地区や中部圏よりやや立ち遅れていた関西地区でも、最近、いろいろな動きが見られるようになった。2023年8月には、大阪ガスとENEOSによる大阪港湾部での国産合成メタン大規模製造の検討の開始、および三井物産・三井化学・IHI・関西電力の4社による堺・泉北での水素・アンモニアサプライチェーン構築の検討の開始、が相次いで発表された。これらと、従来から取り組まれていた川崎重工業・岩谷産業・関西電力などの神戸・姫路での水素活用プロジェクトとが連携すれば、関西地区も、3ヵ所目の大規模拠点候補として浮上することになるだろう。

GX補助金獲得を巡る中規模拠点間の競争

5ヵ所の中規模拠点に、目を転じよう。こちらでは、競争がより激烈である。

中規模拠点5ヵ所をめぐるレースで、ややリードしているのは、いずれも出光興産が中心的な役割をはたしている周南地区と苫小牧地区である。

山口県の周南地区では、出光興産、トクヤマ、東ソー、日本ゼオン、日鉄ステンレスが、アンモニアやバイオマスを原燃料として使用することで、カーボンニュートラルを実現する取り組みを共同で進めている。これら5社の共同行為に対して、公正取引委員会は、2024年2月、「独占禁止法上問題はない」との判断を下した。これは、大規模・中規模を問わず水素・アンモニア・合成燃料のサプライチェーン構築の拠点を形成するうえで大きな追い風となる判断であり、それを初めて引き出したことで、周南地区への評価は高まったと言える。

北海道の苫小牧地区では、出光興産・ENEOS・北海道電力の3社が、2024年2月、国内最大級の水素製造拠点を建設する検討を開始したと発表した。苫小牧地区の取り組みは、北海道の豊富な再生可能エネルギーを活用する、国内で唯一のCCS(二酸化炭素回収・貯留)実証地点としての経験を生かす、合成液体燃料の製造も視野に入れている、トヨタ自動車北海道(株)などの需要先と連携している、などいくつかの特徴をもっている。

この2地区以外にも、中規模拠点への選定をめざしている地域は多い。北海道の石狩地区(洋上風力、高圧直流送電)、茨城県(アンモニア活用、ケミカルリサイクル、洋上風力)、千葉地区(溶鉱炉+オンサイトメタネーション、水素還元製鉄、SAF製造、ケミカルリサイクル、CCU[二酸化炭素回収・利用])、新潟地区(水素・バイオマス活用)、富山・高岡地区(水素活用)、岡山県の水島地区(溶鉱炉+オンサイトメタネーション、ケミカルリサイクル、CCU)、愛媛県の今治地区(アンモニア活用)、北九州地区(水素活用、電炉製鉄、洋上風力、CCS、グリーンLPガス開発)、大分地区(水素還元製鉄、CCU)などである。

競争が激化するなかで、これからは、複数の地域が連携して拠点形成をめざす、広域的なアプローチが登場するかもしれない。いずれにしても、「3+5ヵ所」の狭き門をめぐる地域間競争、そしてその背後にある企業間競争の動向から、目を離すことはできない。

2024年4月20日 記
橘川武郎(国際大学学長、東京大学名誉教授、一橋大学名誉教授)

『エネルギー・トランジション』詳細ページ

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