羽根 第1楽章





砂糖の翼は水に溶けた。溶ける瞬間を見ることもできない程に、一瞬。


 スケッチブックのリングを噛みながら、上の歯と、下の小さな歯で、ねじり伸ばしていく。ソファの位置まで視線を水平に引っ張ると、そこでお姉ちゃんが「しろくま」のぬいぐるみを抱えながら、自分ばっかりココアを飲んでいる。いつもそうやって宿題をして、自分ばっかり褒められようとしてる。言いたくはないけれど、厭なほど綺麗で、古風な少女って感じの顔で、ゆっくりゆっくり瞬きをして、ゆっくりゆっくり丁寧に相手を読む人。凄まじく静かな女。頷くばかり。奥ゆかしいですって?

       ✴︎

 ミルクの香りと粘着する両性。白濁の水晶でできたその石像の帯びる中毒性は、儚くも底知れぬ。味。二つのものや、両方の、ありもしない存在同士が結ぶ、血縁関係みたいなもの。
 舌の先で転がす莟のようなものは、溶けて苺ジャムのようにまとわりついた。波間に挟まって抜け出せないまま、繰り返し繰り返し小舟が往来する。
 空前絶後の波間に、孤高の黒鳥が嗚咽する。ホーヤレホゥーと泣いている。泣いて涙で眼は融け消えた。本物の鳴き声は、必ずいつも聞こえない。そしてこどもは返らない。


       ✴︎



長女 夏


 母の最期の場面は鮮明に記憶しております。
 物語に出てくる、水辺を取り上げられて弄ばれてる、ああいった、蟹みたいでした。ぶくぶく、ぶくぶくと、よくもこんなに。まるで石鹸が泡立てネットを何重にもして一度に贅沢に泡立てられたみたいに、優美に純真で清潔そうに真っ白な泡が、とても綺麗に奥の底から湧いて溢れつづけるんです。胃か食道か、肺かとかは知りません。でも、きっと母の根底に泉があるんです。天の川みたいなところに通じていて、あちらの世界から呼び水みたいに、そういう清らかなミルクが溢れるんだろうと思ったのです。それが溢れて生身の者に知らせるんです。本人は、もう聖域に達した薄羽蜉蝣みたいになって、片足を溶かして羽にし始めて。でも、とめどなく、とめどなく。私は綺麗だなって、泣きながら見とれてしまって、羨ましいなって、そんな微かな嫉妬を憶えて困惑しました。怖いのに、なぜかその時は気持ち悪いとか、感じませんでした。ただ、可哀想って泣けて、泣けて。何か単純な音楽みたいなものと表裏一体に臭う感情を抑えて、理性を信じて、そしてやっとナースコールを押したのですが。でも、看護師さんに、瞬時の判断ですぐ気づいて呼んでくれたと褒められました。すごく長い時間をベッドサイドの丸椅子から眺めていたのに、です。そこからまた1週間は赤ちゃんみたいになって、あいかわらずの寝たきりでした。還暦にもならないのに。管ばかりに繋がれて、その横で私、一日中を緊張と落胆と安堵が占めていたからか、後ろめたさからオムツを替えるのも手伝おうと必死でしたし、医療の完全なる看護制度のおかげでこちらにすることがないことが、異様に罪悪感を煽るなって、落ち込んだり。でも、私も母のために入院先から出てきた身です。私の脳の手術の日取りも決まっていましたから、あすあす丸坊主になるのだからと、準備もしていました。母を看取ったら、すぐに私が誰からも気づかれず逝くんだって察しました。ううん、楽になれるって思いました。誰かの期待に応えて満足させるために、傷を負わせないためだけに生きる、そんな滑稽を終える任期満了が来たって。うん。私のは、生まれつきだったから。そうなんです。満期。淡雪のような表情の彼女は、音も立てずにグラスをおいた。



次女 哉子 (かなこ)

 抗ヒスタミン剤。超あったまくる。こめかみとかフザケンナってくらい、痛い。生理痛もホントずっしんて、唸り声が聞こえてきそうな、お腹。私の奥底から卵の黄身が飛び出す怒り。卵白も、殻も、過去。全部そういう痛み。鈍いやつ。私が錆びてるのは、産まれつき、だよ。へえ?いいじゃん。アリアナ・グランデがあんまりにもお利口で不幸だから、ちょっと離れちゃおうかなって。本当は生まれつきスティービーワンダーが好きなんだけど。私と私と私しか知らないの。一人でダンスのレッスンの帰り道。似合わない、私。どこにも似合わないから。この世が似合わないから。
 アレルギーに加えて、365日のPMS。それはほとんど365日の雨。じめじめ苔むすクローゼットみたいな生活。見えない未来、ありもしない、将来。だから、好き。似合わない我が家、空っぽなのに家だけ地元の豪邸気取り。中古のロールスロイス。死んだ兄弟の、スケボー。犬の首輪。誰もいないガレージ。見覚えのない祖母に抱かれた写真の私。妹たち。ちぎれたブランコの鎖。解けない臍の緒。手術。点滴。無。
 高校。いつも詩的に生きてる女の子がいたらって思う。高カロリーのトランス脂肪酸。グルテン化してる教師。マーガリン色のクラスメイト。返してくれない?私の心臓を。
 双子のモデルが教室にいる。クラスメイトなのだろう。女の子がアンジェラ、で、背は172センチあって、胸は76センチ。ウエストは56センチとか、54とか。キャラメル色の細い髪は、どんな雨の日も濡れずに天使の光沢を放っている。対の弟は162センチの童顔。虚弱であまり学校にこない。お母さんは死んだんだって、それで日本に帰ってきたっていうけど、この弟は大和男児の小学生って感じでしかない。ただ、すっごく肌は白い。真珠のパウダーを白鳥の秘密の羽で撫でたみたい。胸にでっかい傷跡があるのを知ってる。声も、この弟の懐(ナツキ)の方が少女声。姉、悪魔のオーラで切りつける。眼が、カミソリ。

「まあ、そういうことだよ。ひとり親世帯なんだからさ」
今の今時、給食なんて誰が盗むっての?おかずを?リュックのインナーバッグに?詰め込んだって。拒食症の反動とかだって、吹き出しちゃった。

 閃光が高音のように刺して、窓硝子が霧吹きのように舞った。超能力か、とか思ってみた。でも、悪魔とか言って悪いなって思った。それ、あたしの方じゃん?弾けた弦が天井に当たる。ギターは割れて床で死んだ。
「うちの猫が帰ってきたんだと思った」
 給食の受け皿が叫ぶ。マカロニも泣き出した。
「あんまり流行らなかったんだけど」
「ん?」

 アンジェラの大切にしているママの形見のアコースティックギターには、ママの娘姿の頃のプロマイドがステッカーみたいにして貼ってある。時折「ママのマフィン」とかいう変な歌を歌っている。数年早く出会えていれば、この子ときっと仲良くなったのに。

 放課後のグランドには砂埃が舞い上がる。小さな竜巻みたいのが午後には必ず起こっているんだけれど、それは必ず誰もいない時で、多分私しか知らないはず。私は教師用の駐車場でダンスの練習をしている。あと、薬を飲んだり、指を切ったり、泣いて過ごすこと。ダンスのオーディションが近いから場所を使わせて欲しいと学校側に嘆願書を提出して、許可をもらっている。三角コーンやちょっとしたポールを組み合わせて簡易の門を作ってもらった。篭城だ。だいたい日暮れまで泣いている。そして考えてる。どうして私はバカなのだろうって。
 幼い頃は自分はエリートの子女として大成すると思い込んでいた。生後すぐにえぐられた心臓。繰り返し、繰り返し、切って開いて、弄られて、縫われて。内容物に執着はないよ。でも表面の醜悪を、私は死んでも許さない。生傷の絶えないその痕に、与える。罰として永久に生傷を作り続けてやるんだ。この美少女の人生にふさわしくない、傷をつけたこと。こんなB級品が特別な初恋とか無理。何してくれてんの?FU❤︎K。家が破産するまで買い物しまくるしか心を表せない、小学生から。ずっと。新しいトゥシューズをわざと壊したり。拒食症に頑張ってなってみたり。ばかみたいに甘やかすからぶっ殺そうかと思った。飴色の細い髪が低い空の根っ子で、綿菓子を絡めるみたいに幼稚に強くたなびく。




すみれ

 ベランダにて。人肌の雨がストーカーみたいに付かず離れず私に執着してくる。古事記に出てくるくどい神様に負けず劣らず。サラダうどんを食べてる。早朝にコンビニで買ってきた。おでんはまだなかった。ミニスカートであぐらの真ん中においたおうどんが、箸をつけるごとにうごめいて、腸みたい。私の中身もうごめいてる。苦しみ喘いでのたうちまわって、痛い痛いって雄叫びを上げながら、真っ赤なお臍から噴出して、ベランダに溢れればいい。とめどなくのたうつ14歳の女の子の可愛い腸が、歌いながらはにかんで、もっともっと溢れかえれば良い。ベランダを満たして腸管の浴槽に、私は潜むから。絶対、出ない。二度と。アマテラスの生まれ変わりなんだから。そして私は知ってる。斜め向かいの浪人生が時々こちらに光沢を向けて、シャッターを切っていること。即座に私は検索エンジンを網羅する。ベランダのwi-fi精度を舐めんじゃないよ。私はこの目でお前を見てる。生の目玉でお前を照合し続ける。脳みそごとUSBに入ってる。その腸は姿を変えながら伸縮を繰り返し、這うように私の中に侵入してきた。なんかよくわからないけれど、とっても怖い。
 白い襟。おろしたての健全な眩しい香り。徒競走の合図を打つピストルの音。私の耳やお臍から侵入してくる。小学校の時の運動会の最中にきっと私、教室でしゃがんでた。痛くて怖くてガクガク震えて、とにかく秘密にしなきゃいけないって言い聞かせた。か、言い聞かせられた気がするの。あの時の汗の匂いの酸化したようなのが、部屋に充満して吐いちゃうから、こうしてベランダに住んでる。冬はどうするのかって?うん、凍死した方がマシ。凍結って清潔で爽やかだから。それにしても、あの腸かなって思う。腸が、耳とかお臍とか目とか、私の窓、塞いだんだ。息、できなかった。それしか記憶がない。そのあとどうやって学校に通ったか、授業中どうしたか、友達が誰か、何をしたか、初潮がいつかもわからなくて、本当は卒業したかも、何にも、何にも、覚えてなくて。ずっとここにいたのだけど。ママはあなたは何も悪くないのよ、可哀想にって泣いて意味わかんないし、パパは無表情になって私を避けるっていうか、よそよそしいっていうか、お仕事の打ち合わせで言ってたみたいに、こう言うだけ。「心配いらない」「安心して任せておきなさい」「パパと、ママに」それが嫌だっていうのに、まだわかんないみたい。



すみれ の かすみ

 すみれがいなくなってから、何食わぬ顔で双子の私が引っ張り出される。一卵性双生児でよかった。すみれの振りも気づかれないし、成りすましている最中は、すみれが本当に喜びや愉しみを味わって体験してるんだって実感できるから。


すみれ
 シキュウに悪いできものができて、手術しないと大人になれない体になるんだって言われて、その手術、すぐさせられたの。麻酔も初めてだけど、お腹の中にすっごく良くない病気ができて、取り出さないといけないって。遠いとこに住んでる、おばあちゃんまでくるから、超笑った。でもおじいちゃんには言っちゃダメよって言うの。おじいちゃんは心配すると脳梗塞の再発が怖いからねって。友達は、盲腸なの?って電話くれた。どっちかがダメになるからって、シキュウに生えた盲腸を切り取ることにした。私が決めたんじゃないけど。だけど手術した晩から、毎日血の溢れた空がたわんで破けてスコールになって洪水で流される夢を見るんだ。血のスコールなの。すごい孤独に襲われて、泣いて起きると必ず妹のかすみに抱きしめられてる。ずっと頭を撫でてくれるから、すぐ寝ちゃうんだけど。翌朝はとっくに登校しちゃってるから、最近は夜中しか会わなくなった。部活も忙しいらしいし。私と違って塾や習い事もびっしりなんだもの。私も…



産み解き

牛乳。
星座。
黒板。 
チュッパチャプス。
エプロン。
マグカップ。
煙草。
痛み。
ルーズリーフ。
鉛筆削り。
埃をかぶった内履き。
家の痕。
微熱。
古いマットレス。
使用済みナプキン。
点滴。
画鋲。

 赤錆は脳みその筋に沿ってこびりつく。泡立ったクレンザーに漬け置きをして、一気に昇華させる。かさぶたがおひさまの許で、一瞬消毒される。呼吸みたいに、栄養みたいに、ヤドカリが身一つで大海を泳ぎ切りたい願望にほだされている。水流は反対方向へ渦巻いていて、静かな清潔な音色を唱うヴァイオリンが、枕元の夢を食べながらそっとシューマンのロマンスのように愛を焚べる。

 かみさまって寛大だろうか

 私の海の底が綻びて壊れた。破綻した海の器の裏側に貫通。排水が始まる。汚い垢の水が、血に飢えて血に穢れた臭うものが、濁流になって、排水されてゆく。涙という。




 贋作

 水晶の破片が煌めいた。朝までの星座。宇宙に吸い込まれて行く私の輝く海のかけら。そっと手を振って瞼を閉じる。今からそれが過去として生き始められるのだ。グラスに注いで封をする。ブーケガルニとして蘇生する日まで保管できるかは、ただただ私の技量次第。まだ私はそこしか自分を救えない。動物の形の大好きなビスケットを温めた蜂蜜入りのミルクに供えて、永い永いまどろみの中へ溶けてゆく。何かと一つに混じり合っている体感に、呼吸がゆっくり落ちてゆく。過ぎ去った過去と、同じくらいの濃さのアイスクリームを気が済むまで食べていたい。ダークラムの味の血の果汁に侵された、楽園のアイスクリーム。

 ブランコ。ホトトギスの鳴き声を聞き流しならがら、漆黒の校庭で思い切り蹴り上げる。どれだけ速く漕げるのかと、毎日臨んだ。最速のブランコならきっと、バイオレットの空の端っこへいけるだろうから、あのポケットの中に滑り込めると思っていた。暖かいし、クッキーもキャンディーもありそうに思っていたから。ミルキーウェイなんて名前を聞いたら、そう思い込んじゃう。だってまだほんの幼い私だったから。
お猿さんみたいな男の子がいて、だんだん仲良くなって、会わなくなった頃、よそのお母さんの話すのを聞き逃さなかった。小児がん。

 どこまでいけるの?
ねえ


こどもだけで、一体どこまでたどり着けるの?


 冷めた煎茶を湯呑みで啜る祖父は、薀蓄が大嫌い。サイパンで貰ってきた貝細工のような薄い眼をしてる。薄氷のような瞼が閉じる時、私はなんとなく怒りのような暗黙を感じる。口にできない。念を押すように私を言いくるめる、その堅強な氷が、有無を言わせぬその瞼が、他愛ない孫娘の戸惑いを黙殺する。薄氷を踏むまいと息を殺して近づいてはみるけれど、袂に指を掛ける勇気がない。その内は温かいのに。柔和な愛情のジャムのように真空の瓶の中で私を待っているのに。こちらから行くのでなければ受け付けまいとする狡猾な隔世。
青い青い海原。空が見えたの?それとも遺体?


 三日月
 熱帯夜だった。勉強部屋には机がふたつ並んでいて、見開かれたページに埃がキラキラ息をしていた。
 だいたい、いつもが嫌悪であった。芸術家という病に似ているのだと、私は思う。子供だから。USBケーブルや、よく分からない電源コードの類が怒りを込めて絡まり合いに絡まって、軽い気持ちで何か見ようとか聞こうとか、ドライヤーしようとか加湿器つけようとか、ほとんど何の気なしに手に取って、差し込もうとする。そう思って手にプラグを掴むのに、執拗なゴム製品みたいに意固地になって動かない塊。至極腹立ち、イラつき、本当に私ってろくでなしなんだ、ダメなんだ、こんなことがきっかけになってたった一つにかすかな遅滞を呈されて、もうとことんとことん自分を失墜して行く。雨が降ったとかテレビ番組が変更になったとか、そんなことで私を自殺させるのは至って簡単なのだ。死にたいと思わない人間が割と簡単に死ぬのは、粘らない姿勢で保ってきた簡素な人生と人間性で出来上がってきたから。無能というのは自己放置だ。放棄に劣る。
 苦悩するのはなにゆえか?
彼らは何も知らないという。何も見えないと 術すら手にできないのに、虚しい数だけ、悲しい数だけ、つい、買ってしまう。ロザリオ。母のない自分への、飴玉だ。泣け。


 とっても不思議なことがある。
 病に伏した娘を養う義務について。
 確かにあの日、少なくともその頃、言われるままに命を絶とうとしたじゃないか。

 確かに自殺はしたんだ。
手段はゼロ。何も用いず自殺した。
憤りがあったか、虚しかったか、この際当人の「直前の感情」なんて不要。本人は情緒的な解決の手段に死を使ったのではない。結果を求めたにすぎないのだから。自分を「死」の状態にさせたかっただけなのだもの。馬鹿な太宰や軟弱なヘッセに成り下がらせる生、若しくはやけ食いとか一生万引きがやめられないとか。
 焼き型を使わないで焼いたパンは自由か。型にはいれられなくっても、焼かれてる。



月と巣の交差点


自死は止めた後、こうなる。
燕の巣が天から降ってきた。それは必ず人間の目線よりも上に位置し、四方八方からそこにある巣がわかるのに、四方八方の人間を冷静に見ているのは、巣の燕の方だ。
むかし、突いて落としてを繰り返す癖のある近所の小母さんがいたのだが、今思うと倅の背徳によって患っていた。おそらく倅は…(そういう人ほど世間でしっかり渡っていっている予感がある)今頃は小母さんは疎まれ遠くへ遣られて認知症と混じり合って、周囲に世話人がいても取るに足らない一人の老人というだけだろうし、周囲に完全に見放されて、今や大空の下、雨に濡れて暮らして吠えているとしても、相変わらず誰か一人の理解者は無かろう。
なぜだかわからないけれど、大体そうなんだ。大体、その倅みたいな者の方が、人に好かれたり、親切とか笑顔とか評判が良かったり、事実働き者だったり情に脆かったり。なぜかそんなことがたくさんなのだ。だって。
だって小母さん、背徳の倅を責めたり仕返しするよりも、小母さんきっとじっと忍耐したのだろう。近所で人殺しの噂がたって引っ越してみても、倅を業火には差し出さなかった。後々の自分の人生を放棄してまで成った、無意味の後天疾患は、完全に倅の悪質によって脳が破壊されている証。にもかかわらず、破壊の始まりの頃の初期微動で逃げなかった印。その印だ。人生も自分のプライドも財産も名誉も信頼も捨てた。息子を守りたかったとかそんなことよりも、我慢を極めた。完遂した。そんなおばさんの倅だから。ガンばり屋さんは遺伝しているのだろう。チグハグで、違和感があって、倅自身もきっと揺れて育った感度の高い子だったのだろう。冷徹なだけならば初期に頭角が出ているし、第一もっと上手くやるのさ。こういう純情が、悪魔も天使も廃人も作っているというこの世の秘策に感動してしまいそうになる。嗚咽と吐き気と共に。狂瀾怒濤の地球人カモン。大自然も下等に成り下がるのか。今にライオンに賄賂を貢ぐ白い子猫が天下を取るだろう。可憐な鈴を首に結んで。目配せをして、親切に溢れて。権利を主張して。美しく姑息に。

長女
ティファニーの香水を手首に受けた。呼吸を整える。大丈夫、大丈夫。ヘインズの白いTシャツの裾にも与える。ほら、ご飯よ。お水よ。よしよし。安心して。ほら!
わたしはご馳走でできているわ!プレゼントみたい。
アクアブルーの液体が、細い指先に弄ばれてくすぐったいよう魅せる。ガラス瓶の底で、揺れている。初夏の海ね。諍いのない、海ね。ひとりぼっちの海ね。
 避暑地の浜辺を回想してみる。だけど行ったことがないものだから、ありもしないことを先ず即興で自分の脳裏に注ぎ、浸し、染めなければ。だけどそんな技術も生い立ちからの経過とともに上手くなり、しっかり板についている。
すっかり落ち着かせて見せる。私は私。今日も生きています。

未練がましくて、あざとくて、不器用で、孤独で、派手に泣けないけれど。

「いタっ!」舌を噛んでしまった。人差し指の関節で拭うと、唾液と混じって甲に流れた。ダマスクローズの味がした。アイスクリーム、溶けちゃった。Shit!!!


次女
「はあーーーーーん?ローリンヒル?天使?へえ。lovesongを?」
ヒル違いだったか。
昔、いとこん家で、あれ、観たの。
ビバリーヒルズ青春白書。みたいなやつ。いとこのお兄ちゃんは4つ年上の超絶モテないキモ男くん。めっちゃ紳士なのに、世の淑女よ、お前らの目は腐ってんだな。上っ面を見てとる能力以上のまともさが全く教育されなかったんだね。ママとか。おんなじなんだよね。結局。お姉ちゃんは付かず離れず、だけどああ見えて、稀に媚びるんだよね。やっぱりなにか気に食わない何か、あるんだよね。私。
あああああっ、ダメっ!!!苦手だわ。検索とか下手なの。ビバヒルが探せない。チックショー笑えてきちゃう。すみれにやってもらおう。



                              つづく

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