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バトルDJの登場

こんにちは。
僕ことハクです。

前回はスクラッチの誕生から「Rock it」が発表されるまでを流れで説明させていただきました。
「Rock it」登場からDJがスクラッチする光景が散見するようになり、DJに憧れる少年たちが増えました。
そしてその少年たちが育っていく...第2世代、熾烈を極めていくスクラッチ界隈のお話をしたいと思います。


▼DMCの開催

1983年「Rock it」が発表されてから2年後、今ではDJ達が目指す一つの指標となっている、あるイベントの第一回が開催されました。
そのイベントとは、DMCというDJの頂点を決める大会です。
この大会はDJの普及を名目にし、1985年の第一回目からかなりの注目を集めました。
DMCで優勝すること、いつしかこれがステータスになり、そしてその為にDJ達がより技に磨きをかけるようになります。
こうしてこの類のDJ達が「バトルDJ」として認知されるようになり、DJ達がバトルするイベントもちらほらと見られるようになっていきました。

▼Qバートの登場

DMCは回を増すごとに大きくなり、話題性も高まっていきました。
当然DJ達は、テクニックを競い合うように高めていってたのですが...一旦頭打ちになり、ある時期から曲芸的になっていました。
そんな中、ある男が1992年にチャンピオンの座をかっさらっていきます。
その男の名は「Qバート」。今ではバトルDJの頂点に君臨し、名実ともにNO1にふさわしいDJが登場しました。

▼Qバート以降のシーン

バトルDJのテクニックにはビートを繋げていく「ジャグリング」、所謂曲芸的なパフォーマンスをする「ボディトリック」などがあります。
しかし、Qバートはそのどちらでもなく、音として純粋にスクラッチを極めて大会に挑んできました。
しかも尋常でないぐらいの速さでスクラッチをきめていく...ので、流石にだんだんと周りがあることに気づきます。
勿論、彼のテクニックは至高を極めたものですが、それ以前に全然レコードを代えていなかったのです。
彼はスクラッチ専用のレコードを作成し、それでプレイしていた。今でこそ当たり前ですがバトルブレイクスを使用していたのです。

そしてもう一つ大きな点は、彼にはバトルDJとして切磋琢磨できる仲間たちがいた。
彼はDJチーム「Invisibl Skratch Piklz」を結成していました。
このInvisibl Skratch Piklzですが、Qバートの他にもう一人激ヤバDJが所属しています。
それがビースティー・ボーイズでお馴染みのミックス・マスター・マイクです。
そう、QバートにとってInvisibl Skratch Piklzは仲間であり良きライバル。アイディアの交換なんかも彼のインスピレーションに多大な影響を与えたことでしょう。

▼チーム戦というゲーム

Invisibl Skratch PiklzがDJバンドとして名を馳せたこと、そしてDMCでのチーム戦が導入されたことにより、バトルDJ達の表現の幅が拡大していきました。
そしてDJチームでInvisibl Skratch Piklzと双璧をなすグループ「X-Ecutioners(X-Men)」の存在も大きいでしょう。
Invisibl Skratch PiklzはQバートがフィリピンからの移民、ミックス・マスター・マイクがドイツとフィリピンのハーフということもあり、半分以上がアジアン・ルーツであること。
対してX-Ecutionersは全員バッキバキの黒人。図らずもこの人種対比が、構図としてより魅力的に見えていた一つかもしれませんね。

こんな感じでDJの中でバトルDJの存在が一般化していきました。
上記の二大巨頭以外にも、たくさんのDJチームが結成されバトルDJが隆盛を極めていきます。
僕のようなバンドDJから見てスクラッチを極めている人たちは非常にかっこいいです。
また、チームでプレイするのはバンドでDJやってるのと同じで、メンバーとの阿吽の呼吸や空気の読み合いなどが必須です。
その辺も凄く参考になってます。

それではまた。
アディオス!

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