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【自己紹介】SHOってどんな人?

こんにちはSHOです。
いつもTwitterをはじめ色々なSNSで楽しくお付き合い頂きありがとうございます。

おかげさまでTwitterではフォロワー10000人、有料記事1000部販売、Twitter収益600万円を突破させて頂きました。沢山の方と繋がる事ができ、沢山の記事を手にとって愛読して頂きありがとうございます。

ありがたい事にTwitter内で“SNSマーケター”って呼んで頂いたり、「noteおじさん」と異名を付けて頂いたり嬉しい限りです。それと同時に『俺ってネットの人じゃないんだけどな』って思ったりもするのです。

そんな訳で自己紹介してみようと思います。

最終学歴小卒ってなんやねん。

私の幼少期からのお話です。
ご先祖様が歴史の教科書や漫画化されるような由緒正しき家系の長男として生まれました。父方の家系は先祖代々経営者、曾祖父は工場を経営し第二次世界大戦中の弾薬などを作っていたり、ばあちゃんの親戚は当時の空軍の中尉、じいちゃんは工場を継ぎ、父は銀行員からバブル絶頂期に脱サラをして早期退職の退職金を元に運送会社を個人で経営してます。母方は代々大工の家系でじいちゃんが残した遺産の不動産で家族全員暮らしてる。
そんな環境で生まれた私の周りには「スーツを着た会社員の大人」を見たこと無かったのです。

当然、自分がスーツを着て会社に通うなんて全くイメージにありませんでしたので中学校に通うと同時に「え?高校とかいく意味なくない?俺は勉強して進学して就職とかしないし。」って思ってましたし、当時から「先公共、個性個性言う癖に全員同じ事しか学ばせないじゃん。」とひねくれてました。
中学に通い三ヶ月経ち一学期が終わるタイミングで、私は校長室に行き「今日で学校卒業します!お世話になりました!」と勝手に学校を卒業してきました。

当時は「不登校」というといじめられっ子なイメージでネガティブな印象でしたし、世間的にも珍しく毎日のように同級生が家に来たり、担任や部活の顧問が家には訪れては『お前大丈夫か?いじめられてたのか?』とヒアリングに来てましたが皆さんの予想通り、私は完全に“いじめる側”の生徒でした。さらに教頭や校長も学校に来るように説得しに来てましたが、私の「なんの為に学校に行く必要があるの?」に対して、中学生の私が納得する答えは頂けませんでした。

ちなみに卒業式って出なくても卒業証書は郵送で送られてくるんです。
もちろん頂いた卒業証書は丁寧に突き返しましたけどね。

今思い返せば非常にイカれた問題児ですよね。
特別グレてた訳でもないので尚更厄介な奴です。

そんな私を暖かく見守ってくれて黙認してくれた両親には感謝の気持ちで一杯です。こんな経緯で私は「最終学歴小卒」を名乗っているのです。

人生最後の思い出作りに日本一周旅行

こんな感じで日本最低学歴という称号を手に入れた私は現実に直面します。
「学歴が無いから働けないやん」って気付いたんです。
そこで思い付いたのは「自分の腕一本で成功出来る業界に行こう!」
そう思った私は「美味い料理を作れるようになったら独立出来て、美味しい料理が作れたら商売繁盛!」って事で料理人の世界に飛び込みました。

ほらほら、15歳の低学歴が考えそうな事でしょ?

そんな感じで料理人を目指した少年は「成功目指して」飲食の世界で頑張る事になるのです。

想像の中では20歳にもなれば店を出して成功してる予定だったので、成功する為にはとりあえず努力しかないと思い、休憩時間も休みの日も返上して仕事に打ち込んでました。

そんな健気に料理人として働いてるある日、店の親方にこんな事を言われるのです。
「仕事ばかり頑張るのもいいが、大人になったら遊びたくても遊べねぇからガキのうちに遊べ!」

素直な私は「大人になったら出来ないような一生の思い出になるような事をしよう!」って思い立った私は現金10万円を握り締め自転車に荷物を積み、自転車で日本一周の旅に出るのです。

きっと親方が言う「遊び」ってこういう事じゃないと思うんですけどね。

関東を支点に北と南の二回の旅に分け、公園や道の駅で野宿をして、お金が尽きたらその土地で働くそんな生活を10代で経験する事が出来ました。
47都道府県を自転車で走破する!事を目的に旅をしてましたが、沖縄に渡った際、本島だけの予定でしたが離島巡りもしたくなってしまい、石垣島に渡るも帰る資金が無くなりそのまま働いてたら居心地が良くなったので10ヶ月程住み着いたりしてました。

旅の道中や石垣島のゲストハウスで様々な人と出逢いました。日本一周旅行をしてると私と同じ様に自転車旅をしてる方やバイカーの方、キャンピングカーで旅する人とよく出逢います。

そんな出逢いの中で『自由に生きてえなぁ』って思ったんです。

低学歴な私は「やっぱ独立するしかねえ!」って思って地元に戻りまた料理人の道に戻るんです。

成功する為の手段として料理人へ

「やっぱ独立するしかねえ!」と意気込んでた私は、料理人として都内に上京し、また料理人として働きはじめました。

朝の6時には店に入り、自宅に帰るのは深夜1時。
月の労働時間は毎月400時間を超え、月収は総支給額11万円。
都内で一人暮らしをしていて家賃は5.5万円、保険年金も自腹で毎月一回勉強の為に美味しいお店に食べに行ってました。ちょきんなんて出来ないしお店のまかないに頼る生活をしてました。
こんな話をすると「過酷な労働環境ですね!」「ブラック企業ですね!」なんて言われたりしますが“お金を頂きながら勉強させて頂いてる”訳ですし、どうせ数年後には独立して成功するつもりだったので何も気にしてませんでした。むしろ仕事は好きでしたし心の底から料理人として成功する気でいたので『修行してる俺カッケー!』って思ってました。

独立する気でいたので親方に家賃や光熱費等いくら掛かってるのか聞いて自分なりに毎日利益が出てるのか出てないのか計算するのが好きだったりする変わった子だったと思います。
先輩が「今日暇だねー」って話てると『今日は三組入ってて原価が◯円で家賃と人件費が日割りすると約◯円で光熱費を概算しても多分赤字じゃないっす!』みたいな会話をする19歳の板前。完全に変な奴だよね。

そんな私も20歳になると重要な事に気付くんです。
『あれ?全然貯金出来ないし、なかなか独立出来なくない?』
とりあえず何かするしかない!と意気込んで当時珍しかったブックオフでの中古本を買い漁りヤフオクで転売したり、FXを独学で学び始めました。
全て独学なので数万円のお小遣い程度しか稼げなく作業量に対しての収益が見合わないと感じ『やっぱ俺は包丁一本で食っていくしかねえな!』と思い、板前を続けながら何か出来ることへのアンテナを常に立ててました。

そんな時に思い付いたのは“出張料理人”というビジネスモデル。
お金持ちって自宅でホームパーティしてたりするんです。
そこで料理人として使ってもらってお小遣いを頂くという形でお店の常連さんのホームパーティに呼んで頂きました。
これが後に“コバンザメ商法”と名付け、私の仕事スタイルになる原型になってる気がします。
当時月収11万円で働いてた私からしたら、自分が得意な料理だけでお金が稼げるというのが大きな自信となりとりあえずノリと勢いで独立してみました。

ノリと勢いで独立してから12年目を迎えました

お金持ちの家でパーティをしてるとそこに集まる友人も裕福な方が多いんですよね。そこでお仕事を頂いて営業案件を抱えて個人での営業代行をしてみたり、MLMの成功者にビジネスに誘われて取り入れてみたりして20代前半は全てを仕事に注いで来ました。

Twitterではあまり話してませんが某大手MLM企業では日本の上位0.03%まで上り詰め、20代前半から“不労所得”という胡散臭いワードで生活出来るようになりました。“成功者”として日本中のセミナーに登壇し、努力して頑張れば収入上がるし、遊び回ってても生活に支障ない収入は入り続けるそんな20代。

でも参入障壁が低いし、違法ギリギリの勧誘してる人なんかも居るからイメージ悪い人多いでしょ?とてもビジネスモデルと関係なくアンチが多い業界だったりするんです。

「MLMの人ってMLMしか知らないですよねー」
って何しても稼げない自称経営者に謎のマウント取られたりするんですよね。そんな意見に私も『確かに他の仕事もしてみたいなー』と思い、思い付いた色々な仕事を始めてみたのです。
業界的にも“MLM”って世代交代が起きにくく“サイドビジネス”の展開を人に勧めるのにも関わらず“MLM一本で稼ぐ”のがかっこいいという風潮があり、ある程度結果を出した人間が他のビジネスを展開すると冷ややかな目で見られたりするんですよね。

そんなこんなで現在は個人事業主としてまったり仕事しながら、海外で知り合った友人と日本、フィリピンで法人化してこんな事をしてます。

【法人】
・貿易事業(アルコール、コーヒー豆)
・営業代理店
・オーダーメイドスーツ事業
・個人向けプログラミング教室
・WEB集客コンサル

【個人】
・BBQ事業
・OFWへの資産運用の提案
・インポートブランド転売
・イベントコンサル
・資産運用セミナー講師
・投資用物件の仲介
・個人事業主向けWEB集客コンサル
・小規模店舗向けWEB集客コンサル
・出張料理人(ケータリング)
・資産運用
・小口投資
・有料記事販売(note、Brain)
・Twitterマネタイズコンサル
・セミナー講師
・カジノプレイヤー

パパっと書いてみましたがこんな感じ。
基本的に個人での仕事は投資やランニングコストが不要な“0円起業”で数万円〜数十万円の利益を複数から得るような仕事のスタイルが好きです。

0円起業で稼ぐ為の立ち回り【コバンザメ商法】についてはこちらの記事を御覧下さい⇨【250部突破】0円で起業する“コバンザメ商法”の極意

上記の記事は2019年9月に私の最初のnoteとして公開しました。
フォロワー1000人程度の時に販売しましたが、現在はみなさまのお陰様で販売部数は250部を突破しました。今後、オフラインでの働き方について深堀りし、オンライン版の【コバンザメ商法】とわけてリリースしようと思ってますので、ご興味がある方は今のうちにお手に取って頂けたら幸いです。

ある日歩けなくなり仕事をほぼ全て無くなりました

20代の頃は30歳で仕事を引退して自由なろう!という目標を掲げ一生懸命働いてたんですよね。そんなある日、目覚めたら下半身の感覚がなくなり歩けなくなりました。

そのまま救急車で運ばれて入院、精密検査が受けられない病院だったためレントゲンでは原因がわからず、歩けないので退院も出来なければ精密検査も受けられないという時間を過ごしました。
車椅子が乗れるようになったら病院から抜け出し、精密検査を受けられる施設で精密検査を受けに行きました。

精密検査を受けた結果「椎間板ヘルニア」である事が発覚し、それも同時に3箇所でヘルニアが発症しており、医師からも今までよく歩いてたねぇって苦笑いされるほどの重症でした。笑
入院してる病院では治療が出来ない事がわかったので転院し翌月にはカナダのバンクーバーにスノーボードをしに行く予定が控えてたので、即手術をする事になりました。

術後はしばらく寝たきりになり、リハビリをして一ヶ月程で松葉杖で歩けるようになりました。もちろんバンクーバーでのスノーボードはキャンセル。
術後、リハビリを続け杖を外して歩けるようになるまで約半年掛かりました。仕事はめちゃめちゃ頑張ってたので貯金もありましたが、仕事のほとんどを失いました。寝たきりでも生活に支障のない収入は確保してましたが、若い頃はお金に苦労もしたので“収入が下がっていく”事に底知れない不安を覚えました。

次章でも触れてますが、この時にたまたま運良く仮想通貨を保有していて価値が上がり続けていた時期だったので、そのグラフを眺めるのだけか唯一の安らぎでした。笑

「とりあえず二年は生きていけそうだな」

って思えた事が私にとってはかなり大きな心に支えになりました。
Twitterでは個人で稼ぐ事はメリットしかない的な話をする人が居ますが、個人での仕事って結局は“口約束”ベースの信頼により成り立つものが多いので、相手からしたら「頼みやすいし切り捨てやすい」使い捨てされやすいポジションだったりするんですよね。

今も歩けない日もありリハビリ継続中ですが、歩ける様になってすぐに生活水準を落とし家賃を下げ既存の収入に甘えないように、アルバイトを開始して、それと同時に都内のBBQ場と提携させて頂きBBQ事業を開始、三ヶ月で生活を立て直し恵比寿、代官山エリアに住居を移しました。
即金性のある仕事をベースに自分が出来る事に対して手広く展開し収入源を複数持つことで「頑張り過ぎない働き方」を自分なりに実現させました。

Twitterに参入するきっかけ

そんな私がなぜTwitterをはじめたの?
って話ですが、今のアカウントは元々仮想通貨の情報収集で使ってたロム専のアカウントだったんです。実は仮想通貨の話は2013年に聞いており、日本円で1BTC=1万円前後の時代だったんです。

「10万円ぶっ込めば大金持ちになれますよ!」

って誘い文句でした。特に仲良くないしギラギラした感じの私が嫌いなタイプの人だったし提案も下手だったのでそのタイミングでは購入しなかったんですよね。

私は、普段電子タバコを愛煙してまして海外の通販サイトで個人輸入してたのですが2014年あたりからビットコイン決済を導入してるサイトが急激に増えたんですよね。時期的に当時世界最大の取引所であるマウントゴックスの流出事件もあり相場が下がり続けたので購入には至らず、ビットコインの低迷期と言われてる2015年に決済目的で購入してみました。
イメージ的にはスイカにチャージするような感覚ですね。

普通に買い物をして決済に使ってたのですが、2017年に入ってから価格がグングン上がっていくんですよね。少し買い足したら仮想通貨バブルに突入し2017年の10月頃からネットだけではなく、地上波等で仮想通貨について特集されるようになり、そろそろ危険だと感じた私は運良く数百万円で2017年の12月末に利確出来ました。

翌年2018年の1月にはコインチェックでの流失騒動があり、大暴落がありましたが、12月に利確していたのでありがたい事にノーダメージでした。

仮想通貨バブルで良い思いをした私は仮想通貨の情報収集をする為に2018年の5月に今のアカウントを立ち上げます。
ちょうど同じ時期にブログを始めました。
フィリピンで仕事をはじめ日本とフィリピンを往復する生活をしてたので『せっかく珍しい体験をしてるので記録に残そう』って思ったのがきっかけでした。

当時はブログを書いたらとあるコミュニティにシェアし、それを繰り返すだけで初月から5万pvを達成。それを友人と飲みながら話してたら「マネタイズした方がよい」と勧められGoogle AdSense通過を目指しました。
そこからTwitterで情報収集をし、17回目で通過。
広告を貼り付けた初日は2000円の広告費が発生し初月2万円程の利益が出ました。ブログを書きながらTwitterを眺めると目に入る「Twitter収益5万円!ドヤ!」って投稿。

私は『へー!Twitterって稼げるんや!おもろ!』位なテンションでその人のアカウントを深堀りしてみました。
色々分析してみた私の感想は『こんな当たり前の事しか言わない奴がTwitterじゃ神のように崇められてるの?』って感じたんです。
こいつの言う事聞いても稼げる訳ないし、言ってる事とやってる事も矛盾してるし、こいつが5万円稼げるなら10万位楽勝で稼げると思ったんです。

こんな感じで競合を見下しながら2019年の7月にマネタイズを目指し今のアカウントを動かし始めたのです。

Twitterでの活動

【Twitterで支援金を集め白血病の児童にプレゼント】
私の友人の子供が白血病で入院してたのですが、病院でもDVDを観たい!と言ってたので、ポータブルDVDをプレゼントしようと思いました。
クラウドファンディングを立ち上げ、Twitterで拡散してみたら沢山の皆様が支援金を送って下さりなんと初日で目標金額を達成。
無事ポータブルDVDをプレゼントする事が出来ました。

『お前自腹で買えるやろ!』と叩かれてたのは内緒
しかしTwitterの可能性を見てみたかったんですよね。
支援頂いたフォロワーの皆様!本当にありがとうございます!

【フォロワー1000人でnoteが150部突破】
フォロワー1000人達成と同時に販売した有料note「0円で起業する〝コバンザメ商法〟の極意」が初月150部を突破。

Twitterでは「個人が稼ぐにはオンラインが最強!」みたいな風潮があったので、オフラインで私が実践してる「仕事の作り方」をテーマにオンラインだけではなくオフラインでも稼いでいける提案をしました。

一般的なTwitterユーザーの属性にはマッチしてないコンテンツでしたが、「新しい稼ぎ方」として色々な方にnoteを手に取って頂き、沢山の方が新しい収入源を作る事が出来たと好評を頂きました。

筆者として嬉しい限りですね。

【千葉、九州での台風被害を個人的に支援】
Twitterでの実績と言えるかわかりませんが、日本では大きな台風被害が出た際にnoteの販売利益の一部を思い入れのある複数の地域に支援金として送らせて頂きました。たった十数万円ではありますが、Twitterで利益を上げていたので自分のやりたい事にお金を使う事が出来たので購入者の皆様に心から感謝しています。

【note&Brain販売部数は1000部を突破(2020年4月現在)】
フォロワー1000人から公開を始めた有料note&Brainは1000部を突破し、一部のマネタイズ界隈で〝noteおじさん〟の異名まで頂きました。
個人的には〝noteお兄さん〟のつもりなのですが、皆様いかがでしょうか?31歳はおじさんなのですか?今後も良質なコンテンツをリリースし喜んで頂けるように精進していきたいと思います。

【Twitter運用セミナーをサンクチュアリ出版社で開催】
実は私が独立した当時、最初に購入した本がサンクチュアリ出版のビジネス本だったんです。今も自分の中では人生のバイブルでもありますので読み返してるのですが、それから11年。私が大切にしてる出版社から依頼頂きサンクチュアリ出版にてセミナーを開催させて頂きました。

【Twitterチャリティ企画「炊き出しinマニラ」】
お世話になってるフィリピンで「炊き出しやりてぇんだよねー」と発言した事をきっかけにTwitterを通してチャリティ企画を立ち上げました。
沢山の皆様の協力の元、マニラで活動するチャリティ団体「Presents-Air」が運営するサッカーチャリティイベントにも協賛頂き150人分の巻き寿司を地域の子供に配る事が出来ました。

皆様からの支援金と私のTwitter収益の一部を活動資金にしてますので今後もこのような活動を続けて行こうと思ってます。
御支援頂いた皆様本当にありがとうございました。

【タール火山の噴火の被害が出たバタンガスに救援物資】

上記の炊き出しinマニラの延長になるのですが、私の利益も活動資金にしてましたので想定より大きな活動資金が集まりました(想定外に儲かりました)
ちょうどフィリピンに滞在する1ヶ月前にフィリピンのルソン島のタール火山が噴火し、大きな被害が出ました。私の友人もバタンガスという地域で被災し、家を失い避難してましたので、その友人が非難してるシェルターまで米100キロ、新品の服、缶詰200人前、チョコ200人前を届けて来ました。
こちらも皆様の御支援のおかげです!
本当に応援して下さった皆様!ありがとうございます。

【Twitterでの純利益が600万円を突破(2020年8月現在)】
noteを書いてる段階で既に売り上げが伸びてるのですが、2020年8月の段階でTwitter経由での純利益は600万円を突破しました。
まだ無名なアカウントとしては正直健闘してるのではないでしょうか?
ざっくりとした内訳としては『Twitterコンサル』『note販売利益』あたりになります。
月額に平すと平均で50万円程度ですが、半年以上しっかりと利益を出し続けているので今後も伸び続けるかと思います。
ひとつの副業として確立していきたいので、瞬間最大風速的なマネタイズよりもしっかりと毎月の生活を支える収入のひとつにしていきたいですね。

ボランティアや寄付についての考え方

上記で説明させて頂いてますが、Twitterの収益の一部で炊き出しや寄付を行っております。誤解が生まれる事が多いのでこちらについても私のスタンスを述べさせて頂ければと思います。

不思議な事にボランティアや寄付って“アンチ”が湧きやすいジャンルなんですよね。『偽善者』とか『売名行為』とか『焼け石に水』だとか。

私がこのような活動に興味を持ったのは東日本大震災の時。
自分の仕事でやっと生活が出来るようになったばかりの頃、お世話になってる社長さんが震災が起きてから一週間も経ってない時期に大型トラックに物資を詰めて被災地へ物資を届けに行ったんです。当時、余震も続き報道も正確な情報が共有されてない中の行動でした。
私はその話を聞き『なにかしたい!』と感じたけど当時の経済力では自分以外にお金を割くのに抵抗がありました。

しかし、現地の写真を見せて貰った時に『たった数千円でも何か買って届けて貰えばよかった』と深く思いましたし、周りの目を気にせずそんな行動をしてるのを“かっこいい”と思いました。
それから私も毎月2000円ですが被災地に寄付を続けております。
今では相馬市に仮設住宅等が建ち、何処かに私の名前も刻まれてるそうです。

そんな経験から『次に何かあったら俺もなにかやりたい!』と思うようになり、熊本での震災の際は“熊本復興BBQ”と称して一年間BBQイベントを開催し熊本のお酒を振る舞い利益の全てである90万円を被災地に送らせて頂きました。この時の合言葉は『昼間から酒のんで誰かの為になるって最高じゃね!』でした。
この時もSNSや、同業者からは「どうせ寄付してない」とか「被災をネタに金儲けしてる」とか「売名行為」等といろいろ言われてました。

私のスタンスとして『誰かにしてあげた事は巡り巡って自分に返ってくる』という考え方で生きております。

なかなか理解されませんが例えば、私があなたに何かをしてあげたとするじゃない?それをあなたがお礼をしてくれる訳ではなくそれを見た“誰か”が「お?SHOええ奴やんけー!なんかあったら力になってやろ!」って思ってくれたり、それを見た誰かが他の人に何かをしてあげて、またそれを見た誰かがまた他の人に何かをして、巡り巡って何処かから自分に返ってくるもんだと思ってます。

私のTwitterでのキャラクターも含め、寄付やボランティアの話をすると必ずアンチが湧き「売名行為!」「自己満足!」なんて言われたりしますが、当然のように数十万円で世界が変わるなんて思ってないですし、私が出来る事は私が見える範囲での活動なので個人の力で何かを変えられるなんて思ってません。

私がTwitterの収益でこの様な活動をするのは私自信が『俺っていい事してるぜー!』って思い、心穏やかに日々の生活を満喫する為の投資であり、それは当然、“売名行為”であり“自己満足”なんですよ。
綺麗事を並べて自分の肥やし以外には興味のない経営者なんて腐る程、見てきましたし私はどうせなら「ありがとう」って言われる金の使い方をした方が有意義だと感じてるだけで、誰かを助けたりする事や社会貢献が趣味な訳じゃないんです。

ただ『やらない善より、やる偽善』だと思ってます。

今後のTwitterでの活動

私がTwitterをしてる理由は「思考が具現化されるまでの速度が速い」ので、テストマーケティングの場として優れているからです。
オフラインではタイムラグが生まれやすいクライアントからのアクションもTwitterという媒体を活用する事で、数日で返ってきたり場合によっては数十分で返ってきたりします。

そんな中でフォロワーも10000人を超え、収益も有料コンテンツもそれなりに実績と呼んで良い位になったのでTwitterでのビジネスは個人的には一段落したかな?と思ってます。

今後は初心者向けのコンテンツ等を公開し私の実績ベースでの経験を共有出来たら良いなと思ってます。
Twitterを一年間真面目に動かしてみたら、私のようなSNS初心者でも一般的な会社員の年収を超える事が出来ましたのでいつも仲良くして頂いてるフォロワーさんも必ず同じ事が出来るようになると思ってますし、現状を打破したいと努力してる方ならじゅうぶんに実現可能な目標設定だと思うんです。

私はTwitterを通して事業を始めたい訳ではなく、気の合うフォロワーさんとTwitterでしか出来ないような楽しみ方が出来たら良いなと思っております。
今後も気の合うフォロワーさんを見付けるためにオフ会を開催し続けますし、みんなでお酒を飲みながら日々の生活に新しい刺激が生まれたらいいなと思っております。

そんな感じでみんなこれからもよろしくね!
Twitterでは何故かSNSビジネスの人!ってイメージをされてるんですが、「SHOって遊びでTwitterしてるだけなんだ!」って知っていただけたら嬉しいなと思います!

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【SHO】0円で起業する“コバンザメ商法”を実践中 Twitter収益700万円超/有料記事販売数1300部突破/Twitter運用サポート/東京⇄マニラ二重生活/貿易事業/プロカジノプレイヤー