心の中にある悟り

何もしないをすることが大切だと

教わった覚えはないけれど、

いつの間にか、それが当たり前になっていた。

眠れない夜はどうするの?

とても早く目覚めた朝はどうするの?

そう、何もしないをする。

オリンピックの開会式の裏側で

オンライン座禅なるものに触れた

そこには、自分が行き着いた結果との

答え合わせが待っていた。

信仰心的なものがあるわけでもない。

命の期限が目先に迫っているわけでもない。

どうして、どうして

仏のような境地に行き着いたのか。

旧知の友人は驚くこともなく、

行き着いたのではなく、元々あなたはそうだったという。


誰が為に何ができるか、

綺麗事と言われがちな価値観だが、

その方がより自分らしく居られ、生きやすい。

自己犠牲まではいかないが、何か出来る事はないかと。

考える時間があれば有るほど、誰が為にが強くなる。

それは、関わる全ての人への感謝故に生まれるものだと思うようにもなった。

大切な誰かを守るため。

そうではない誰かも守れたなら。


いつか見たことのある景色がきっとそこにはあって。

罪が無ければ、そこはユートピアになってしまう矛盾も抱え、

願わくば皆が平穏でいてほしい。

極論はそこにある。

暗闇にささやかな光が射せば、

新しい道はいつだって何回だって開く。

光と陰は、平等に与えられるはずの権利のはずだ。

たとえ法律がなくても、宇宙がそうさせるだろう。

だから、だから、

何だと言われたら、そこには答えはない。



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