『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 -永遠と自動手記人形-』

『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 -永遠と自動手記人形-』を観た。

これまでに京都アニメーションが手掛けてきた作品では、1年以上の経験を有するスタッフのみがその名をクレジットされていたという。しかし本作のエンドクレジットにおいては、特例として「制作に関わった全てのスタッフの名前」が記されている。これは藤田春香監督たっての希望だったそうだ。

この措置が取られたのは、やはりあの忌まわしい事件がきっかけだったようだ。けれど作品を鑑賞して感じたのは、それがこの作品の根幹を成すテーマに誠実であるためのものだったのだろうということだ。

以下、物語前半部のネタバレあり。また、台詞や設定など、多少の誤りがあってもご容赦いただきたい。



『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 -永遠と自動手記人形-』には、エイミーとテイラーという血の繋がらない姉妹が登場する。

戦争が終わったばかりの国で、たったひとりで貧しい暮らしを送っていたみなしごのエイミー。彼女はある日、身寄りのない少女と出会い、彼女を妹として引き取ることを決意する。エイミーは妹にテイラーと名付けた。ひとりが暮らすのもやっとだった日々は、さらに貧しく、けれど笑顔が絶えないものになった。

幸せな日々を過ごしながら、破滅へと向かっていたふたり。そんなある日、彼女たちの住処に男が現れる。男はエイミーが良家の血を引く娘だったことを告げ、我々に付いてきてくれるのであれば、テイラーの今後の生活は保証すると持ち掛ける。エイミーにとってそれは苦渋の決断だ。テイラーと離れるのは、きっとエイミーにとってどんな痛みよりも耐え難いことだろう。けれど心から愛する妹が貧しさに苦しむことなく、どこかで生きていてくれるのならば――エイミーは男に従うことを決意する。

数年後、エイミーはイザベラという新しい名前を与えられ、気品ある淑女を育てるための女学校で、空虚な日々を過ごしていた。あれからテイラーには会えていない。そんなイザベラの元に現れたのが、ヴァイオレットだった。ヴァイオレットはイザベラの教育係としての命を受け、女学校にやってきたのだ。それは手紙の代筆業「自動手記人形サービス」を生業とするヴァイオレットにとっていささか風変わりな依頼だったが、与えられた仕事はやり遂げるのがヴァイオレットだ。最初はこの無愛想な少女を疎ましく思っていたイザベラ。しかし次第に心を許すようになり、やがてイザベラは自分にかつて妹がいたことをヴァイオレットに打ち明ける。

しばらくして、孤児院で暮らすテイラーの元に、手紙が届く。ヴァイオレットの代筆の手助けを受けながらイザベラがテイラーに宛てた手紙は、とても短いものだった。

「辛いことがあったら、“エイミー”と、私の名前を呼んでほしい。それはあなたを守る魔法の言葉だから」

もはやその名を呼ぶものはいないエイミーという名前。それはテイラーを心から愛する者が、いまも彼女の幸せを願っている証なのだ、と。その名前は、ふたり以外の者にとってはどこにでもある名前のひとつでしか無いだろう。しかし姉妹にとってこの言葉はやがて、過去の幸せな記憶と、未来にある希望を繋ぎ止める、手紙に記された通りの“魔法の言葉”となっていく。


本作のエンドクレジットに記されたたくさんの名前。僕はその中から、あの事件で命を奪われた人々の名前を見つけ出すことはできない。正確には、事件の前から聞き及んでいた京アニの中核を成す数名の名前は目に入ったが、犠牲となった35名全員の名前を見つける日はこれから先も来ないだろう。けれど、この作品に関わった証として彼らの名前がそこに記されている事実に、救われる人もきっといるのだと思う。

それらの名前を与えられた人々にはそれぞれの人生があり、それぞれの道を経てこの作品に関わった。彼らの誰しもがその道の上で、自分のことを心から大切に想ってくれる人や、京アニの一員になったことを一緒に喜んでくれるような人と、出会ってきたはずだ。多くの人の心を動かす美しい作品に、大切な人が関わったことを示すそれらの名前は、どれもが誰かにとっての“魔法の言葉”だろう。その魔法は決して、事件で不幸にも命を奪われたことを示す名前の並びには宿らないとも思う。

『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』には「届かなくていい手紙なんてない」という言葉が何度も登場する。そしてこの外伝では、誰もが持つ“名前”が、誰かにとって“魔法の言葉”に成り得ることを描いた。だから本作では、この作品に関わった人々の名前を、余すことなく記す必要があったのだろう。それも犠牲者としてのレッテルを免れない仕方ではなく、「この作品に関わったすべての人々の名前が、すべての“魔法の言葉”として届くべき人たちにまっすぐ届くように」。

藤田春香監督のこの件についての言葉は、代理人弁護士を通して出されたコメントがすべてであり、ここまで書いてきたことは僕個人が作品を観て思い描いたことでしかない。妄想と言っても間違いではないだろう。しかしそこからは、大きな災いに晒されて尚、時として“綺麗事”と言われかねない作品のテーマに、考えうる限りの最大限の誠実さを持って寄り添おうとする矜持を、確かに感じたのだ。

美しい絵空事を、創り手が信じ続け、描き続け、届け続けるということ。それらを夢物語で終わらせないための選択をし続けること。それは僕たちにとっても、不条理な現実に絶望することなく、希望を持って生きるための糧になる。『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 -永遠と自動手記人形-』という作品は僕にとって、そんな「信じ続ける勇気」を、ほかのどんな作品よりも力強く与えてくれた作品だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?