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放送延期が決まった今こそ、シリーズ最高傑作になるかもしれない『ヒーリングっど♥プリキュア』を観てほしい

ついに恐れていたことが起こった。
『ヒーリングっど♥プリキュア』の放送延期である。

その知らせに、ある者は膝から崩れ落ち、ある者は愛する者の胸を借りて泣き、またある者は半休の申請に走ったという。

しかし、ひとしきり悲しみに暮れたあと、プリキュアを愛する者たちは皆、こう考える。

「こんなとき、プリキュアだったらどうする…?」

そう、「プリキュアは絶対にあきらめない」のだ。どんな絶望的な状況でも、自分にできることを最後までやり抜く。それが我々がプリキュアから受け取った精神だった。私たちがいま、できることは何だろう? 僕もまた、そんな問いを己の胸に投げかけた人間のひとりであり、そしてたどり着いた答えは『ヒーリングっど♥プリキュア』の布教記事を書くことだったのである。

4月26日(日)からの『ヒーリングっど♥プリキュア』は、「これまでに放送した話数の中から厳選したお話をお届け」するという。おそらく、絶対に見逃せないエピソードを網羅したラインナップになるはずであり、ここから視聴を始めれば、来たる第13話以降の放送時にその内容を余さず享受できるようになるものと思われる。

そして記事タイトルにもある通り『ヒープリ』は、シリーズをひと通り視聴した僕の感覚では、プリキュアシリーズ史上最高傑作になる可能性が非常に高い。この1クール時点での面白さは実際無類のもので、同時に、今後の展開にも限りない期待を寄せて良さそうだ、と感じられるものとなっているのだ。

もちろん人によってプリキュアに求めるものは違っているため一般化できる感覚ではないが、少なくとも、僕にとって『ヒープリ』は、僕が「プリキュアに求めるもの」をこれまでのどの作品よりも端正に描いており、それは「思い出補正」で彩られた大切な作品の記憶すらも超え得るもの、ということだ。17年も続くシリーズを追っていて、最新作でこんな感覚を味わえることが、どれだけ稀で、そして幸福なことか、よく分かる方も多いのではないかと思う。

だから、こういう勧め方はなかなかしないのだが、この喜びを分かち合える人をひとりでも増やしたい。そして願わくば、この作品の続きを待ちわびることが、あなたにとってこの不条理に満ち、鬱屈した世界で前を向いて生きるための一筋の光になってくれたら嬉しい。そんな想いでこの記事は書かれている。

『ヒープリ』と巡り合うべきだったにもかかわらず、まだ視聴に踏み切れていない方は、いまこそ本作を見始めるチャンスだ。

『ヒーリングっど♥プリキュア』って、こういうアニメ

本作は女児向けの変身ヒロインものテレビアニメ「プリキュアシリーズ」の第17作目。略称は公式で『ヒープリ』となっている。

登場するプリキュアは現時点では3人。すこやか市に引っ越してきたばかりの、おっとりマイペースだけど芯が強く、明るくて前向きな中学2年生、"花寺のどか"ことキュアグレース(声:悠木碧)。勉強が得意で、陸上部では走り高跳びのエースでもある、真面目で責任感が強い"沢泉ちゆ"ことキュアフォンテーヌ(声:依田菜津)。明るく元気、そしてお洒落が大好きで、かわいいものに目がない"平光ひなた"ことキュアスパークル(声:河野ひより)。全員が同じ中学校のクラスメイトだ。

3人は、“地球のお医者さん見習い”である「ヒーリングアニマル」のラビリン、ペギタン、ニャトランとそれぞれにコンビを組み、プリキュアに変身する。

のどか、ちゆ、ひなたはプリキュアとはいえ、基本的にはどこにでもいる中学生。当然、プリキュアとして戦うだけじゃなく、学校には友達がいて、家には家族がいて、そんな日常を大切にしている。そして日常が大事だからこそ、これを脅かす者には毅然と立ち向かう。そんなシリーズで連綿と描かれてきたフォーマットに、本作では“地球のお手当て”という要素が加わっている。

地球の不調を察知できる、“ヒーリングガーデン”の幼い王女“ラテ”(声:白石晴香)のお世話をしながら、のどかたちは、地球を蝕み、病気にしようとする「ビョーゲンズ」から、地球とみんなの平和な暮らしを守るために戦っているのだ。

「2020年にプリキュアをやる」ことへの責任と覚悟

プリキュアシリーズにおける近年最大の話題作といえば、2018年の『HUGっと!プリキュア』だろう。物語中盤で新たにプリキュアになる、いわゆる“追加戦士”がふたりだったことや、初代『ふたりはプリキュア』のキュアブラック、キュアホワイトのゲスト出演。そしていわゆる「政治的正しさ」を含んだ強いメッセージ性が、多くの人々に注目された。『ヒープリ』には、一見『はぐプリ』ほどの先進性はないように思える。しかし注意深く視聴していれば、「2020年にプリキュアをやる」ことに対する強い責任と覚悟を感じ取れるはずだ。

たとえば平光ひなたの描かれ方は、注目すべき点のひとつだ。ひなたは上で挙げた特徴のほかに、落ち着きがなく、目の前のことで精一杯で、大事なこともすぐに忘れてしまいがちな女の子として描かれている。あるエピソードには、のどか、ちゆ、ひなたの3人が、おばあちゃんの落とし物を探すシーンがある。そしてこれを見つけたのはひなただった。その後、ひなたは落とした場所が分かった理由を、このように話す。

あたしよく落とし物するからさぁ。経験者は語る……的な?

こういったひなたの行動や言動は、「友だちは当たり前にできていることが、自分には上手くできない」というような悩みを持っている子どもたちが、思考をポジティブなものに反転させるきっかけになる、素敵な描かれ方なんじゃないかと思う。『ヒープリ』は、こういったさりげないながらも優しい視点に満ちている。

走り高跳びでスランプに陥り、満足な結果のでない沢泉ちゆが、居残り練習を続け、のどかたちに休むよう勧められたときの台詞には、こんなものがあった。

それでも私は跳びたいの。いまは無理をしてでも、自分の限界を超えたい。そういうのって、もう古いのかな?

無理をしてでも頑張る、ということは昔は美徳とされていたが、そうした行為はデメリットの方が多いというのが現代の常識だ。「そういうのって、もう古いのかな?」という台詞からは、「本来推奨されない行為」であることもしっかり伝える意図が読み取れる。しかし、「それでも」と、時代に逆行するような頑張りを続けるちゆを、本作は決して否定的には描かない。

プリキュアは、いつだって「絶対にあきらめない」を描いてきた。『ヒープリ』も、その主張がはらむ危険性は念頭に置いた上で、慎重に、けれど変わらない主張を発し続ける。なぜだろう?

それは、プリキュアがどこまでも「子どもたちのためのアニメ」だからなのだと思う。上手いやり方、賢いやり方を覚えるのも大事だが、それを学べる機会はこれからもある。けれど、「心を強くもつこと」や「意地」や「誇り」が、子どもたちの未来を切り拓くことだって、これから先も、きっとあるのだ。だから、時代に見合った配慮は行いながら、プリキュアは変わらぬテーマを描き続ける。子どもたちがいつの日か挫けそうになったとき、それが「一筋の光」になると信じて。それは、単に目新しいこと、世間に「正しい」とされることをやる以上に、強い信念が必要なことではないだろうか。このあたりのバランス感覚が、近年のプリキュアの中でも、『ヒープリ』は傑出しているように感じる。

(ちなみにこのちゆのエピソード自体は、決して「努力によって成功しましためでたしめでたし」といった単純な結末ではない。このあたりは是非、本編を観てその目で確認していただきたいところだ)

こういった「2020年にプリキュアをやる」ための慎重さ、丁寧さに満ちていながら、メッセージ性が物語を超えて強く主張してしまうことが避けられているのも、本作の美点だ。トラブルメーカーのひなたと、彼女をたしなめるちゆ。最初は互いに「友だちにいないタイプ」だったためぎこちなかったふたりを、包み込むようなのどかの優しさ。そんな3人と、それぞれ違った形で信頼し合うラビリン、ペギタン、ニャトラン。『ヒープリ』の魅力を語るには、この6人のやりとりの面白さ、微笑ましさは外せない。

かわいくて楽しいやりとりを中心に転がっていくストーリーと、それがあるから引き立つドラマ。そういった「誰が観ても面白く、感動できる」骨子に、周到に練り込まれた時代性。そして「いま、プリキュアをやる」ための強い矜持。それらすべての要素が、『ヒープリ』を繰り返しの鑑賞に耐えうる作品へと引き上げている。誰が観ても明らかなセンセーショナルな展開こそ少ないが、それで注目しないのは、あまりに勿体ない。

「主要スタッフが全員女性」はプリキュア史上初

ほかにこの『ヒープリ』の特筆すべき点としては、「プリキュアシリーズで初めて、主要スタッフが全員女性」であることが挙げられる(※プロデューサーは除く)。

シリーズディレクター(一般的なアニメで言う監督)は数々の東映アニメーション作品で演出を手掛けてきた池田洋子さん。シリーズ構成は『快盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャー』で発揮した手腕が記憶に新しい香村純子さん。キャラクターデザインにはプリキュアシリーズの作画において長年”縁の下の力持ち”的に活躍し、『HUGっと!プリキュア』では総作画監督を担当していた山岡直子さんが満を持して抜擢されている。

美術デザインの西田渚さん、音楽を手掛ける寺田志保さんも、数々のアニメで素晴らしい仕事をされている方々。色彩設定の坂入希代美さんは、少し調べた限りでは名前がクレジットされる仕事は今回がはじめてのようだが、『ヒープリ』の優しく温かな映像への貢献は大きいように感じられる。

性別そのものがクリエイターの仕事を担保するとは思っていない。しかし、これまでのプリキュアシリーズは主要スタッフの少なくとも半数程度、多いときはほとんどが男性だった。特にシリーズディレクターを女性が担当するのはプリキュア史上はじめてのことだ。『ヒープリ』のような座組の作品が生まれたことは、シリーズが様々な可能性を追求していく上で、とても喜ばしいことだと個人的には感じる。

そして『ヒープリ』の、画面の端々まで行き届いた目を見張るような美意識や、繊細に注意深く描かれる、慈しみに満ちた物語。それらが、かつて彼女たちスタッフに、のどかたちプリキュアと同様、女の子だった時代があったことと、まったくの無関係とも、どうしても思えないのである。

「子ども向けアニメを観ること」は「未来にある“希望”を視ること」

とにかく暗い話題が多く、世の中への絶望も日に日に色濃くなっている今日このごろ。簡単に「未来はきっと明るい」と信じることも、できなくなっている人も多いのではないだろうか。

しかし、人々の価値観は、年々よい方向に変わってきている。それは間違いないだろう。それは、「こういう人になってほしい」「こうあってほしい」というメッセージが託された創作物が、大人から子どもへと、受け継がれ続けた結果という側面だって、あるはずだ。『ヒーリングっど♥プリキュア』が持つメッセージをまっすぐに受け止め、強く優しく成長した子どもたちが、やがて社会を少しずつ良くしていく……そんな未来を想像するのは、楽観的すぎるだろうか? 子ども向けの作品を視聴するのは、僕にとってそんな「未来にある“希望”を視る」のに等しい行為でもあったりする。

現実はとても複雑で、プリキュアの主張がそのまま通用するほど単純ではない。けれど、いま正に立ち上がるための勇気や希望を必要としている方には、とにかく一度、4月26日(日)から始まる『ヒーリングっど♥プリキュア』の再放送を観てほしい。あなたが何かを「あきらめない」切っ掛けにでもなれば、こんなに嬉しいことはない。

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