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自分史#2 寂しかった幼児期

母も仕事をしていたので保育園に通っていた
友達と遊ぶこともあったけど基本は家に帰ってきたら遊び相手はおじいちゃんとおばあちゃんだった

おじいちゃん達の部屋に行くと私が大好きなお菓子がたくさんあってそのお菓子お食べながら夕方に放送している時代劇を一緒にみていた

おじいちゃんとおばあちゃんは田舎でみかん農家をしていたけど、同居することになって他県から引っ越してきた
こっちには誰も友達とかいなかったのかな?
わからないけど、私が可愛くて仕方なかったみたいだ

おじいちゃんはタバコを吸う
だから部屋中タバコの煙が充満していてしかも隣で吸うからとても煙たかった
それが嫌だったけど優しくておままごとをしたりよく遊んでくれた

おじいちゃんのゴツゴツとした大きな手が大好きだった

(おじいちゃん子だったので今でも自宅に写真を飾っています)


帰ってきたら〇〇行こう!と母親と約束する事もあったけどいつも帰ってくると用事ができて行けなかった

『Hakuちゃん、お母さん用事できたから行かれへんわ』って簡単に言う

その度、玄関で「嘘つきーーーー!!!」て大声で泣いてた
今でもその苦しい感じは覚えてる
楽しみにしてたんだろうな

Hakuちゃんがいるから保育園に行きたくない

これは私がもう少し大きくなってから母親に聞かされたのだけど母は保育園に呼び出された事があったらしい

思い当たる節はあって、ある女の子に嫌がらせをした事がある

工作の時間に折り紙を切ってできたゴミとかをその女の子の前に集めて持って行ったり上靴を隠したりもした

今思うと本当に嫌なやつだ!その子には申し訳ない事してしまった

どうしてその子にそういう嫌がらせをしたのか考えてみた

今思うとその子の困った顔が見たかったんだろう

そして嫉妬していたと思う

その子は家が近くてたまに遊んだりしていた
一緒に公園で遊んでいると、その子のお母さんが『一緒に買い物行くよ〜』って迎えに来る

その子がいつもそうやって帰ってしまうので寂しかった

そう思ってたけど、いつもお母さんと一緒にいるその子が羨ましかった

こっちが本音だな

だからって嫌がらせをしていいことにはならないけどその当時は何も分かっていなかった

今思うと母親は仕事もして家事もして役員やら色々していたし、家に20人単位の来客とか頻繁にあったし、それに兄の中学受験に向けての勉強とかもしていたんだろうから、私の相手をする時間なんて無かったんだろう

今ならわかる
わかるけど当時の私は寂しかった!
おじいちゃんとおばあちゃんが面倒見てくれてたけどやっぱりお母さんと一緒に居たかった
ずーっとくっつきたかった

今は母親を責めていないし好きだけど大人になっても反抗期は長く続いた

つい最近まであったんじゃないかな
母が倒れるまではよく喧嘩してた

幼児期の父親、兄達との思い出は覚えてない

今、私の子供は5歳
幼稚園の年長さんだ
この幼児期の経験から自分の子供とはできない約束はしないようにしている
約束をしたらちゃんと守るようにしているし、ダメだった時はすぐにフォローして約束を果たすようにしてる

「働きに出ないの?」と義母に言われたけど、「子供が小さいうちは一緒に居たいから」と言って自分の好きな時間に働けるスタイルにしている

まだそこまでしっかりと仕事のスタイルが整える事ができてないので知り合いやリピーター様の依頼を受けてという感じでゆるく仕事をしている

夫が働いてくれているので子供を優先にしたいという気持ちが強い
というよりも

私が子供と一緒にいたいからそうしている

今回の記事を書いて気付いたこと

現在両親は78歳と73歳
そして私の子供が5歳

当時の私とおじいちゃん達の年齢に近い
38歳の私から見た当時(40歳ぐらい)の両親をみると今までみえていなかった事がみえてきた

ずっと今まで何でもできる母親だと思っていたが実はとても不器用な人だった
そんな不器用な人が当時は1日フルで動いて何でもやっていたと思うと尊敬する
原動力は何だったのか?
何となく分かっているけどそれはまたにする
やっぱりパワフルな人だ

母は現在倒れてから別人になってしまった
幸い後遺症はなかったが1日中元気に動き回る事もできなくなったし覇気がない
以前のように元気になってほしいと思っていたがそれは違うのかもしれない

父親もしかり
父についてはまた違う記事で書こうと思う

上手く表現できないが改めて2人を大事にしようと心の底から思った

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