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サメ映画にハマった訳(前)

サメ映画の話をしよう。

今回掲載するのは、自分がサメ映画に目覚めた元きょ…もとい、恩師であるサメ映画ルーキーさんの番組に向けて、かつて送った原稿のリライトだ。

「何故サッカーを見続けていた人間が、突如サメ映画に?」

……という質問をTwitterで受けたので、この機会に掘り起こしてみたのである。


で。

その経緯が、当時の日本サッカーシーンと密接な関わりがある内容になっているので、思い出しながら加筆修正していたのだが……あまりに膨らみ過ぎて、途中から実質別物になってしまった。解りにくい例えで言うと、SFC版メタルマックス2と、NDS版MM2リローデットぐらいの差がある感じだ。


完成までまだまだかかりそうなので、とりあえず現時点で仕上がったものまで挙げてみることにする。

一度死んだ。多分


2018年の夏まで、自分はサメ映画とは全く縁のない人間だった。同時に、この年の夏は30余年を生きてきた中でも特別な状況で、さながら「生ける屍」のように過ごしていたのを覚えている。


それまでの人生の中で、最も多くを締めてきたのはスポーツ、とりわけサッカーだった。

サッカーは、世界で最も多くの人に愛されてきたスポーツだ。関わる人間の数も桁違いである。

そんなカルチャーに寄与しようと考えたところで、自分はあまりにも力不足だった。それでも、未熟さも非力さも十分に自覚しつつ、サッカーを楽しみながら生きてきた。ほんの少しでもいい――小さな小さな爪痕を、巨大な壁に残すことができればいい。そんな思いで、日本サッカー発展のため、子どもたちの未来を築くため、公私で様々なものをすり減らして、切り捨てながら生きていた。それが、この夏まで選択してきた、自分の生き方だったように思う。

ある種、嗜虐的な幸せを過ごしていたと思う。苦痛と陶酔と野望をごちゃ混ぜにして煮詰めたような、そんな人生がずっと続くものと、当時の自分は本気で考えていたのだ。
2018年、4月までは。

「当たり前の日々」が崩壊したのは、当時サッカー日本代表を率いていた、ハリルホジッチ監督の突然の解任がきっかけだ。

スポンサーの受けがすこぶる悪く、契約問題に発展しかねなかった説や、サッカー協会内の対立によって、親ハリルホジッチ派が破れたことによるクーデーター説などが囁かれるが、真相は未だに謎なままの更迭劇であった。

どれだけこれが自分にとってショッキングで、受け入れ難い決定であったか。ここでは割愛するが、問題点について具体的に言及してくれている、五百蔵容さんの書籍を紹介しつつも、先に進もう。

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砕かれたハリルホジッチ・プラン 日本サッカーにビジョンはあるか?


(ちなみに、本筋とは無関係だが、数日後にたまたま実家に寄った際、
「まさか協会がこんな暴挙に出るとは…」
と両親に話したところ、
「ハリルホジッチ以外なら誰でもいい。あいつ嫌い」
と言われて絶望し(特に母親がハリルホジッチ氏を蛇蝎の如く嫌っていた)、半年間以上に渡り無縁状態になったりもした。それだけ、協会に対する失望・不信感は大きいものだったのだ。)

状態だけ見る限り、サメというよりゾンビ。

結局その後、ワールドカップロシア大会で、日本代表がアジアで唯一のベスト16=決勝トーナメント進出を果たしたのは周知の通りだ。しかし、実際のところそれは、奇跡に等しい偶然がいくつも積み重なった末、ようやく手にした「僥倖」に見えた。少なくとも、自分はそのように評価した。

五百蔵さんがまさに著作の中で触れているように、これまで築き上げてきたもの、これから積み重ねていけるはずだったものが、一瞬にして失われた。それを考えれば、自分にはとてもではないが、

「よくやった!」

と褒められるものではなかったのだ。


人生でこれほど、サッカーないしスポーツそのものに対し、熱量を失ったことはなかった。


数試合と待たず、それは実感できた。

国内だろうと海外だろうと、代表戦であろうと、現地観戦だろうと。何を観ても、心に響くものがない。着火用の電池が切れたガスコンロのように、一瞬カチリと火がついたように見えても、次の瞬間にはもう消えている。そんな状態だった。

純粋にはもう、サッカーが楽しめなくなってしまったのを感じていた。
どんなに皆が熱くなっている試合を観ても、選手と直に会って語ってさえも、心が踊ってこない。感情がついて来ないのだ。

多分、当時の自分は、心身の一部が破損していたか、機能不全に陥っていたのだと思う。当人に自覚は無かったのだが。今思い返すと、結構恐い。

なんとなくサッカーを離れてみた方がいいのか、という気にもなり、サッカー以外の趣味に割く時間を増やしてみた。料理や映画鑑賞等がそれだ。しかし、結果は同じだった。

料理が、美味い「らしい」ことしかわからない。味がしないとは言わないが、あらゆる料理に喜び、楽しみを感じなくなっていた。その影響か、この間、自分は3kgほど痩せている。
映画が、出来がいい「らしい」としかわからない。お気に入りの俳優も展開も、ただただ目の前を流れていくだけに感じた。鑑賞した作品数自体は、むしろ増えているのだが……ほとんどの作品が、全く印象に残ってないのが象徴的だ。


生きるのが辛いとは言わないが、ちっとも楽しくない。
そんな状態でいた訳である。

落とし穴はTwitterにあった

そんな状態でいた自分が、何故サメ映画に行き着いたのかというと……
コレガワカラナイ。((C)スクウェア・エニックス「ロマンシング・サガ ミンストレルソング」6:03~)

傍目には普通に見えていたらしいのだが、実際この期間、プライベートでどんなことがあったのか、詳細をまるで覚えていないのだ。

オンライン上で

「白面として振る舞う」

機能は残っていたので、Twitter上は特に問題なく見えていたと思う。しかし、オフの方はスカスカで、手記や写真等の記録も残っていなかった。(直接の自身の記録ではないが、10年来つけ続けていた家計簿が、この期間だけぽっかり抜けていたりもした。こういう状況を経験したからこそ、このnoteを日記代わりに使っている側面もある訳だが……)

そんな理由から、今度はネットの方に、何か残ってないか探してみることにした。
すると、こちらにはいくつかの痕跡というか、兆候らしきものは見つかった。2018年以降、サメ映画関連のTweetに対する「いいね」が、明らかに増えているのである。

特に、前述したサメ映画ルーキーさんの影響力たるや凄まじかった。どうして彼のTweetに巡り会い、惹かれていったのかまでは覚えていない。だが以下のツイートを含め、この年の夏以降、「いいね」の大半はサメ映画関連に刻まれていたのは確かだ。驚くべき侵食率と言えよう。
https://twitter.com/Munenori20/status/1028833020868931584

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https://twitter.com/Munenori20/status/1026769124037283840
https://twitter.com/Munenori20/status/1026769591945424896

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(C)サメ映画ルーキー

こうしてTweetを振り返っていくと、少しずつではあるが、当時のことを思い起こせてくるから不思議である。とは言っても、相変わらず詳細はわからず、ぼんやりとしたものなのだが……こう、

「なんだ?どうなってんだ?この世界は??」

といった、困惑と興奮のカクテルとでもいうような、独特の感覚だ。

それほどサメ映画は、自分にとって未知の世界だった。これまでの自分の常識や、道理が一切通じなかったことで、逆に立ち止まって考えるきっかけになったのだろうか。当時、心神喪失に片足を突っ込んでいた自分の精神状態を考えると、一種のショック療法のようなものだったのかもしれない。

とりあえず近所のレンタルビデオショップに置いてある、ありったけのサメ映画を借りてきた。


観た。
困惑した。
そしてまた次を観る。
3日と待たず、借りられる映画は底を尽きた。そもそも、DVDでリリースされている作品の本数が、圧倒的に少ないのだ。
4日後、ネット視聴に手を出した。新しいテクノロジー無精な自分としては、驚くべき行動の速さだ。


そして一本、また一本とサメ映画を鑑賞する内に。

自分は、一本のとあるサメ映画に、『金属バットで頭をフルスイングする』ような目に遭わされることになるのだ。

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(続)

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