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ミャンマーの民主化について

ミャンマーのクーデターにより成立した軍事政権と国民の民主化運動とは、正反対の考え方なので、軍事政権側が考え方を修正しなければ、ミャンマーの若者の犠牲者はもっともっと増え続ける事だろう。

しかしながら、今日のミャンマーの状況を見るに、アウンサンスーチー女史の力で、ミャンマーの国民の大半を民主化し発展させた事に、驚かざるを得ない。

独立国家の軍隊とは、そもそも国外の勢力から自国民とその国家を守る事が最も大きな使命ではないのか?それなのに自国民に対して銃を向け殺傷するとは、本末転倒も甚だしい。

今回の軍事クーデターは、国軍総司令官になったミンアウンフラインの定年退官が数ヶ月後に迫っていたのが動機となり、軍事クーデターが起こったのかもしれない。

民主主義が本当に根ずいて確立していないと、案外、権力を握っている一個人の都合で政治は大変な方向に動かされる事も、しばしば起こりえる事である。

ミャンマーの民主化の動きは、民主主義が本当に根ずく為の、産みの苦しみであろう。ミャンマーの若者よ頑張れ!

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可能性が少ないものも含めた、ミャンマー民主化の将来予測

①ミャンマー国軍の上層部にアウンサンスーチー側を支持する有力者が台頭してくる場合

②ミャンマーの若者が国内の少数民族の武装組織と合流して民主化を目指す

③米国をはじめとした民主国家が強力に後押しして民主化を進める

④軍事政権と関係ある会社の製品の不買運動が世界的に広がって、軍事政権側が民主化勢力に政治の主導権を渡す

⑤ミャンマーと関係良好な民主国家へ国軍の若手有力軍人を、数年間多数派遣する。彼等が帰国した時に本当の民主化が定着するのではないか?これが以外と民主化の早道かもしれない。

ミャンマーの写真

そもそも民主化とは?

 国民主権に基ずく民主主義が拡大する過程である。

現代に続く民主主義の始まりは、1789年のフランス革命から劇的に進歩するが、それ以前の芽生えは、1620年メイフラワー号のアメリカ大陸東海岸を目指しプリモスに上陸した時が民主主義の幕開きだろう。上陸に先立って

彼等イギリスの清教徒は、最初の憲法ともゆうべき誓約書に全員が署名した。そこに民主主義の精神を垣間見る事が出来る。

新天地のアメリカ大陸には、幸いにして絶対的な権力者はいなかった。

このことが民主主義国家の誕生と派生に大きく役立った。アメリカの東部13州がイギリス植民地からの離脱する、アメリカ独立戦争は1775年に起こる。フランス革命より14年前である。おそらくフランスでは新大陸のアメリカ独立戦争の余波を受けって仏国民が民主化への意識が大きく膨らんできたのではないか!

どちらにしても、時の権力者から国民が主権を獲得するには、かなりの血が流される事が過去が証明している。


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