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憧憬

古い映画を見ているとモラルや倫理の観点から、正気なの?と疑うようなストーリーやシーンがよくある。
落語もそう。
女は何かあるとすぐ吉原へ行くし、何もなくてもすぐ買われる。
それが当たり前の時代だったし、終わってしまった時代に今から文句を言っても仕方ない。
けれどそういうシーンが出てくると、物語に入り込めなくなることが増えた。
十年前ならふつうに楽しめていたコンテンツが、今は苦しい。

二年前に近美でやった民藝の特別展もそうだった。
「夢の国」が「夢の国のまま」陳列されているように見えた。
印象的だったのは、民藝運動のメンバーの息子が子どもの頃を回顧していた展示。
民藝運動のメンバーが集まったとき、仲間内でそのとき流行っていた当時日本の植民地だった台湾の布バッグをみんながみんな持ってきていて、やっぱりこれいいよね~とみんなで笑いあっていた、みたいな。
はっきりとは憶えてないけど、そういう内容が当時の楽しさを伝えるもののように展示されてたように記憶していて(違ったらすみません)、当時のリアリティと展示方法の両方に衝撃を受けた。

朝鮮の建築のための声明も沖縄の方言論争も、言論の弾圧や検閲があった時代に声をあげるのは珍しかったのだろうけど、日本のエリート男性が当事者に代わって語るのは今から見れば白けて見える。
でもモノそのものの魅力は今でも色褪せてないんだよね。
 
 
話は変わるけど、”海”と聞いてあなたが一番に思い出すのはどんな海だろうか。
私は鳥取の海。日本海。
父方の郷里が兵庫の内陸部で、峠をひとつ越えるともう鳥取という県境の町だった。
そしてなぜかそのうちでは、よく食料品を鳥取まで買いに行っていた。
私自身そこで育ったわけではないけど、実家がその町に移ってからは帰省のたびに鳥取に行くようになって、いつのまにか鳥取が故郷みたいになった。

私は東洋美術が好きで、とくに古い時代の中国や朝鮮半島や日本のやきものが好きだ。
そういうのを見るたび、古代の日本がどれだけ遅れてたのかを実感させられる。
それと同時に大陸や半島から、新しい文化や技術がどれだけこの島に届いたんだろうかと考えてわくわくもする。
もちろん楽しいことばかりじゃなかっただろう。

鳥取には青谷上寺地遺跡という弥生時代の遺跡がある。
ここは大量殺戮があったとされる場所で、百体以上の弥生人の人骨が打ち捨てられた状態で見つかっている。
この遺跡の展示館のすぐ近くに、日本海が遥かに見渡せる丘がある。
海も空も町ものどかで気持ちよくて、私の好きな場所だ。
鳥取に帰って海を見ているとわくわくしてくる。
向こうがわにある半島や大陸に憧れた古代人の気持ちが、ちょっとだけ分かるような気がするから。


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