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トーハクの特集『寒山拾得』を見て思ったこと…

東京国立博物館(トーハク)の本館2階では、表慶館での『横尾忠則 寒山百得』展の開催(12月3日まで)に合わせて、特集『東京国立博物館の寒山かんざん拾得じっとくー伝説の風狂僧への憧れー』が展開されています(こちらは11月5日まで)。

『横尾忠則 寒山百得』展のレビューは、下記サイトをご覧になっていただければと思います。

本館2階で開催されている、特集『東京国立博物館の寒山かんざん拾得じっとく』についても、以前のnoteに記したことがありました。詳細についてはそちらで……という感じなのですが、実際に古今の「寒山拾得図」を見てきて思うところがあったので、改めてnoteしておきたいと思います。いつもながらに独り言のような毒にも薬にもならないnoteになります。


トーハクの本館2階では、特集『東京国立博物館の寒山かんざん拾得じっとくー伝説の風狂僧への憧れー』が展開されています

■なんで「寒山拾得」って長い間、人気だったんだろう?

トーハクへ行って、横尾忠則さんの展示と昔の人が描いた「寒山拾得図」を見てきて、改めて思ったのが、「なんでこんなに大勢の人が寒山拾得図を描いたんだろう?」ということでした。

『横尾忠則 寒山百得』展の内覧会で、トーハクの学芸研究部調査研究課長の松嶋雅人さんが、展覧会解説の最後の方で本当に唐突に「わたしのように60歳手前の人には(横尾さんが描いた寒山拾得に)グッと来るものがあると思います……」というようなことをおっしゃっていました。

目の前で聞いていたわたしは「なんで?」って軽く思ったのですが、それに答えるように松嶋さんはすぐに「いや……なんでってことはないんです……えーと……ただほんとに……意味はないんですけどw (そう思っちゃって……いまフと口に出しちゃっただけなんです)……すみませんw(恥)」と語っていました。

わたしは、妙にその答えに納得しました。美術の感想って、そういうものだろうなぁと、つねづね思っているからです。歯切れよく作品の魅力を羅列されるよりも、そういう、あいまいな感想の方が、わたしは信頼できるんですよね。「この作品、なんかいいんですよ」っていうようなほうがね。

そして本館2階で開催されている昔の人が描いた「寒山拾得図」についてです。

正直に言うと……「寒山拾得図」に限らずではありますが、その魅力が分かりませんw 分からないけれど、「寒山拾得に魅力を感じた人たちがいた(いる)」というのは分かるような気がしました。

例えば最近「新しい学校のリーダーズ」というアーティストを知って、いくつかの曲をYouTubeで聞いたのですが、わたしが「すごくいいな」と感じることはありませんでした。でも「彼女らを大好き! というたくさんの人がいるだろうな」とは思いました(いや、わたしも、いいなとは思いますけどね)。

それにしても「寒山拾得図」って、なんで多くのアーティストが描いてきたんでしょうか。一つ思ったのが、「緊張と緩和」なのかなと。

わたしは噺家……落語家のなかで桂枝雀さん(故人)が比較的に好きでw 聞いているとガハガハ笑えるのですが……枝雀さんがよく「笑いは緊張と緩和なんです」みたいなことを言っています(いました)。人間は緊張した状態が続いた後に、それが緩和されることで、ついつい笑ってしまうという法則です。

「寒山拾得図」を好んで発注していた人たちって、貴族だったり戦国武将だったり、はたまた江戸時代の大名や旗本だったりが多かっただろうなと。今で言えば大企業の幹部だったり、中小企業の社長だったりにあたるような人たち……。そういう人たちの日常を考えると、おそらく緊張の連続だっただろうと思います。

そういう人たちが、表の部屋……仕事場から、奥の部屋……プライベートな空間に帰ってきて、部屋に飾ってある……例えば河鍋暁斎が寒山と拾得や豊干ぶかんさんを描いた《豊干禅師》を見たら……フと気持ちが緩和したり安らいだりしそうな気がしないでもありません。

毎日、隙のないようにパリッと身だしなみを整えて、部下や社員に対して、上司やクライアントを窺いと、緊張の連続の中にいる人からすると、身だしなみには頓着せず、いつも同じボロい服を来て、ボサボサの頭でいる……そういう寒山と拾得は、「おまえらはいいよなぁ」という存在なのかもしれないし、そこから憧れの存在になっていったかもしれないなぁと。

わたしも寒山みたいに、noteに好きなこと書いたり、YouTubeで好きなことを語って、無責任に生きていけたらいいのになぁ……なんて思ったり……。

拾得じっとくみたいに、いつもヘラヘラして、生きていけたらいいのになぁ……なんて思ったり……。(↑ 上の拾得じっとくは、何をしているんだろう? と思っていたら、寒山のために「墨をすっている」らしいです)

そんな自由な寒山や拾得じっとくを、優しい雰囲気で眺めている豊干ぶかんさんもいいよね……みたいなね。それに、いつもプラプラと放浪していて、ダメな人っぽいのに、実は虎を操れてしまうなんて、スーパーマンっぽい感じでもありますよね。ギャップがすごいです。

■なんでみんな「寒山拾得図」を描いたんだろう?

特集『東京国立博物館の寒山かんざん拾得じっとくー伝説の風狂僧への憧れー』の担当学芸員(研究員)の方と、立ち話をさせていただく時間がありました。

平石如砥・華国子文・夢堂曇噩賛《四睡図》
元時代・14世紀

「寒山拾得は、なぜこんなに多くの絵師が描いたんでしょう? やっぱりクライアントからのオーダーが多かったんですかね?」

そうわたしが聞くと、担当の高橋さんは「もちろん近世以前は、いわゆるクライアントがいて、自由気ままに絵を描くということはなかったかもしれません」としつつ、次のように続けました。

「ただし(それ以降は?)今の芸術家に近いような……自分の表現とか画風などを、投影しやすかったっていうのが、1つあるかもしれないですね」

高橋さんによれば、「寒山拾得」は「こういう人たちだった」というのが「決まっていない、守らなければいけないルールのない画題だった」と言います。そのため、寒山拾得は、絵師や画僧が、自らのクリエイティビティを発揮しやすい画題だった……かもしれないと言っていました。

「残された作品を見ていくと、本当に、画家によって、こんなに違うんだなっていうことから、そんな風に思えます」

《四睡図》部分・元時代・14世紀

高橋さんの指摘は、なるほどなぁと感じるものでした。ある画家は寒山と拾得を、不気味な妖怪のように描く人もいる……《四睡図》のように子どものように表現する人もいれば、逆に老人のように描いた絵師もします。横尾忠則さんに至っては、たった1人で、一年半という短期間で、102点前後もの多彩な寒山拾得を描きました。寒山拾得という、定義のゆるいキャラだからこそ、逆に絵師や画家の想像力や創造力を掻き立てられた……だから人気の画題になったのかもしれない……というのはおもしろい仮説だなと思いました。

《四睡図》部分・元時代・14世紀

■おすすめの「寒山拾得図」は?

これは答えていただけないかもなぁと思いつつも尋ねた質問がありました。それは「高橋さんが見ていて、ずーっと見ていられるな…と感じる寒山拾得図はありますか?」というものでした。

「それは、実は当館にはなくてですね(えw?) ……1つは狩野山雪の寒山拾得図というのがあって、それはですね、本当に、なんでしょうね、のっぺりとした顔なのですが、 よく見ると(ご自身の首すじというか肩あたりを示しながら)ここにもう1つ、目があるんです。肩のとこに目があって、それが、後ろの人の人物のようにも見えるし、あるいは、他の第三者の目のようにも見えるっていう、ちょっと騙し絵的な感じでもあるんです。それは結構面白いですよ」

高橋さんによれば、そうした騙し絵のような寒山拾得図が、色々とあるそうで……上の《四睡図》などもその一つだといいます。

と言っても、《四睡図》の解説は忘れてしまったのですが……この寒山と拾得と師匠と虎は、よく見ないと4者が浮かび上がってきません。ぱっと見はひと塊りのようにも見える……そうやって寒山と拾得が一心同体のように見える作品もあるということでした。そういえば横尾忠則さんの作品にも、寒山と拾得を一心同体のように描いている作品があったなぁなんて思っていると……。

「あとは横尾忠則先生が、インスピレーションを得た曾我蕭白の寒山拾得図。ちょっとグロテスクな寒山拾得図で、本当に見たら忘れないような絵で、素晴らしいです」

なるほどぉ……それは今度見てみたいなと思いつつ、トーハク所蔵というか、今回の特集で展示されているものも挙げてくれないかなぁ……なんて思ったら……。

「あと、今回の展示で、10月11日からの後期展示になりますが、顔輝(がんき)の寒山拾得図は、全国各地の日本の寒山拾得図の源流というか、その作品をみんな意識して書くというようなところがあるので、それは本当に、数ある作品の中でも名品と言えるものです」

わたしが「顔輝(がんき)の寒山拾得図って、どんなのだったかな?」っていう顔をしていると、少し説明してくれました。

「えっとね、ちょっと気持ち悪くて、グロテスクな表情なんですけど……そのグロテスクさというのが、まぁ例えばですけど、岸田劉生のですね、あの麗子像なんかも、実は顔輝の寒山拾得図から、インスピレーションを受けたとも言われているような……」

へぇ〜、なるほどぉ、たしかに麗子像の独特な不気味さって、寒山拾得に通じるものがありますねぇ。

「そうなんですよね、寒山拾得という画題だけではなくて、岸田劉生の麗子像みたいにですね、本当に近代の画家にも影響を与えているような作例というのが、実は、その顔輝の作品なんです」

ということで、顔輝の作品は10月11日からの展示ということで、これもあた見逃せないですね。トーハク所蔵の麗子像と並べて展示してくれていたら、さらに面白いですけど、それはないですかねw

とはいえ、現在展示されている前期作品も、どデカくてど迫力の(↑ 上の方に写真を載せた)河鍋暁斎の作品とか、あとは、いちおう国宝の因陀羅(いんだら)さんが描いたものや、中国・明時代の劉俊さんの筆と伝わる《寒山拾得図(寒山拾得蝦蟇鉄拐図のうち)》など、見どころは少なくありませんよ。

って、展示リストを見ていたら、後期には周文さん作と言われるものも展示されますね……。

因陀羅《寒山拾得図(禅機図断簡)》
中国 元時代・14世紀
因陀羅《寒山拾得図(禅機図断簡)》部分
中国 元時代・14世紀
伝劉俊筆《寒山拾得図(寒山拾得蝦蟇鉄拐図のうち)》部分
伝劉俊筆《寒山拾得図(寒山拾得蝦蟇鉄拐図のうち)》部分

↑ 風で衣がなびくダイナミックな表現などは、ちょっと浮世絵の武者絵っぽい感じもしなくもありません。ここだけ見ると、イケメンでも描かれていそうですけどね…。

伝劉俊筆《寒山拾得図(寒山拾得蝦蟇鉄拐図のうち)》部分
伝劉俊筆《寒山拾得図(寒山拾得蝦蟇鉄拐図のうち)》部分
《百人一首帖》烏丸光広筆・江戸時代・17世紀・百瀬治氏・百瀬富美子氏寄贈

よく見ると、うっすらと寒山拾得が描かれている烏丸光広筆の《百人一首帖》。

《百人一首帖》烏丸光広筆・江戸時代・17世紀・百瀬治氏・百瀬富美子氏寄贈

ということでダラダラと、トーハク開催中の特集『寒山拾得』についてのnoteでした。書いていたら、また見てみたくなったので、改めて見に行きたくなりました。




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