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オリエント博物館で、多彩な土偶を見てきました!
ゴールデンウィークを、まさか一人で過ごせる贅沢な時間を得られると思いませんでした。ということで、突然やってきた一人時間を、どう過ごそうかなぁと頭の片隅に置きながら、ぼけぇ〜っとYouTubeを見ていた時に……フォローしているエジプト考古学者の河江肖剰(ゆきのり)さんのチャンネルがおすすめに現れたんです。それが下の、オリエント博物館を取材した回。
わたしは特別に世界史やエジプト考古学に興味があるわけではないのですが、河江さんの動画は、たまに見ています。それで時々ですが、おすすめ動画に上がってくるんです。それをたまたま見ていたら……オリエント博物館、おもしろそうじゃん! ……ってことになり「そうだ! 明日行ってみよう!」ということで、池袋のサンシャインシティまで行ってきました。
オリエントの歴史は、高校の時に授業で少し習ったくらいです。うちの高校は、世界史を途中まで習った後、たしか2年生からは日本史か世界史のどちらかにするかを選択できるんです。それでわたしは日本史を選んだのですが……その代わり、日本史との関係の薄い、世界の大部分の歴史を習うことなく終わってしまいました。そのため「メソポタミア文明」とか「ハムラビ法典」などを、かろうじてキーワードとして知っているくらいで、実際にその歴史的な意義は何なのか? みたいなことは、さっぱり分かりません。
それでも、オリエント博物館は、展示品を見て回るだけで、楽しかったです。特に、古代の土器や土偶については、やはり日本史につながっている感じがひしひしと感じられるんですよね。例えば、展示室に入って初めに目にするのが、シリアのテル・ルメイラ遺跡(前1800~前1600年)の住居跡から出土した土器や土製品です。
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上の写真は当時の屋内を再現したものですが、写真中央にある小学校の椅子みたいな四角い物体は、《家形土製品》です。YouTubeで同館の博物館研究部長の津本先生は、、これは「日本でいう仏壇」だと言っていました。「ご先祖様の霊がこの中にいて家を守ってくれているみたいな、 そういう信仰を持ってたらしくて、各家庭にこういうのが1個ずつあった。 これ当時の家をそのままそっくりかたどっているんですけど、まさに日本の仏壇と同じようなイメージですよね」と。
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こういう古代に作られた家型の土製品って日本にもありますよね。3〜7世紀の古墳時代に作られた家形埴輪です。下写真は東京国立博物館(トーハク)の展示風景です。日本では古墳=墓に並べられていましたが、シリアの家形土製品に共通するものを感じます。
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さらに時代を下っていき、6〜7世紀のイラン……メソポタミア南部の遺跡からはカットガラス碗が、7〜10世紀のまた別のイランの遺跡からは、ガラス製の水瓶が見つかっています。これをどこかで見たことがないか? と言われれば、東大寺の正倉院に酷似するものがあり、それぞれ白瑠璃碗、白瑠璃瓶と呼ばれています。展示によれば、正倉院の方が保存環境が良いため、昔のガラスっぽさがよく残っているそうです。
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ちなみに、このあたりで作られたガラスの碗や皿が奈良県橿原市の古墳時代・5世紀の遺跡……新沢千塚126号墳からも出土。現在はトーハクにも出土品が展示されています。(その他、東洋館にも、たしか同じエリアで作られたガラス製品がいくつか展示されていたかと思います)
ということで、そのほか興味深かった展示品を、できるだけ時系列にnoteしていきます……なのですが、カメラの設定を間違えて撮り続けたため、画像がガビガビなものが多いのが残念でした。
■ところでオリエントってどのあたりのこと?
おそらく博物館でも解説があったのだと思いますが、わたしはスルーして展示物を見に行ってしまったため、改めてWikipediaで調べてみました。「オリエント」という言葉自体は、「どこかの場所からみて東側」ということらしいのですが、一般的には「古代ローマから見て東側」、つまりは中近東の「古代オリエント」を指すことが多いようです。
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また古代オリエントの中でも、同館にはメソポタミアの展示物が多いです。そこでメソポタミアをWikipediaで調べてみると、チグリス川とユーフラテス川の間の沖積平野にあたるそうです。現在でいうとイラクの一部……と書いてありましたが、下の地図を見てみると、イラクの大部分ということになりそうです。また現在でいえば、トルコ東部やシリア国土の東北側の半分以上も含まれそうです。
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■紀元前5500年頃・メソポタミアとトルコ西部
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■紀元前3600年頃・北メソポタミア《眼の偶像》
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眼を表現した板状の偶像は、シリアのテル・ブラク遺跡神殿址から数多く出土している。神殿への参詣者が家内安全・無病息災などを祈念して奉納した品と考えられる。
《眼の偶像》は、東京国立博物館で見たことがあるので、どんなものだったかを確認すると、以下のようなものでした。同じシリアのテルブラクで出土したものと伝わっています。
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■紀元前3500~前3000年・バローチスターン(Balochistan・パキスタン)地方
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グリフィン画の最古例かもしれない、実はゴイスーな展示物かも…
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■紀元前2500年頃・バローチスターン(Balochistan・パキスタン)地方
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■紀元前3000〜前2000年《角杯を持つ立像》シリア
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これも画質が残念すぎますが……これは、もう一度、見に行きたいところです。
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■紀元前2500年頃のギルガメシュ王統治下のウルク市の模型
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「『叙事詩』にはギルガメシュが都市を囲む堅固な城壁を建設したことが詠われている」と解説されていました。
そして、模型のギルガメッシュ時代よりもさらに遡った……紀元前3200年頃……ウルクで絵文字が発明されたのだそうです。はじめは「象形(しょうけい)文字と数量を表す記号で、交易や財物の管理が行われました」そうなのですが、じょじょに「とがった棒を粘土に押しつけ、楔の形を組み合わせた楔形(くさびがた)文字に発展」していきました。
下は紀元前2300年頃に楔形文字で記された公文書です。
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■紀元前2500~前2000年・トルコ&シリアの牛車模型の出土品
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左《四輪車模型(土製品)》シリア北部 紀元前2500~前2000年
■紀元前2200~前2000年・バローチスターン(Balochistan・パキスタン)地方《コブウシ土偶》
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そして、このあとの時代にも「コブウシ」という謎の牛の土器が出てくるので、「コブウシ」がどんな牛なのかを見てみました。
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Wikipediaには「コブウシは耐暑性があり、熱帯性の病気や害虫に対する抵抗力が強いため、家畜化された南アジアから、東南アジア・西アジア・アフリカなどの高温地域に導入された」とあります。「南アジア」ってどこよ? って感じではありますが、「バビロニア南部のウルの遺跡からは、紀元前3000年のものとされるインドからコブウシを輸入したことを示す図が発見されている」とあるので、南アジアとは、主にインドのことなのでしょう。以下のような感じで、コブウシたちがインド方面から近東へ輸出されていったようです。
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■紀元前2200〜前2000年頃・パキスタン西部《クッリ式土偶》
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■紀元前1700~前1600年・イランのテル・ルメイラ
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作品名どおり「女性土偶を型押し生産するための土製の片面型」なのだそうです。右が出土した型で、左は「古代の型に押し当てて復元製作したもの」とのこと。首から上の部分が欠損していますが、「胸を両手で支える豊穣の女神像」だと推測されています。
■紀元前1500年頃・シリア《バアル神像》
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解説パネルには、「ウガリトの主神バアルは、東地中海地域一帯の豊穣の神であった。後にエジプトでも崇拝されるようになり、王の威厳を象徴するエピセット(形容辞)に用いられた」と記されています
バアルは大地をうるおす冬の雨もしくは嵐の神であり,出土する神像は右手に矛を振り上げ,左手に稲妻の光の穂を握る若き戦士の姿である
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■紀元前1500年〜前1400年頃・エジプト《彩色人物像浮彫》
谷川俊太郎のお父さん、谷川徹三さんが寄贈したものです。どんなところに飾られていたレリーフなのかは、解説などでは不明。
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■紀元前1200〜800年頃・イラン北部、ギーラーン(Gilan)州
ここからイラン北部の土偶が続きます。特にギーラーン(Gilan)州という地名が多いので、ギーラーンをWikipediaで見てみることにしました。以下「」はWikipediaから。
「紀元前10世紀にはカスピ海南部を中心にコブウシ型土器で知られるアムラシュ文化が栄えた」そうです。ギーラーンの人たちは、「アルボルズ山脈の両側やその周辺の平野地帯に住んでいた」ともしています(英語版)。
中近東というと、砂漠でむっちゃ乾燥している……みたいなイメージがありますが、カスピ海の南側にあるギーラーンは、「年間を通じて降水量が多く、気候は温暖湿潤気候」です。そして、この地域の「大部分は山地で、樹木におおわれた森である。カスピ海沿岸の海岸平野は…(中略)…主に水田風景が広がる」ともしています。え? イランに水田なんかあるんだ……と思ってしまいましたが、この地域をGoogle Earthで見ると、周辺地域との緑の濃さが一目瞭然でした。そりゃ水田があっても不思議ではありません。
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おそらくその「平野地帯に住んでいた」、稲作をしていた人たち……紀元前1200年に稲作をしていたかは知りませんが、農業的なことをしていたのは確かなのでしょう……が作ったのが、「コブ牛を形どった」土器や土偶です。
紀元前1200~前800年に作られたのが、下の《コブウシ形土器群》です。解説には「墓に副葬されたもので、死者に水や酒などを捧げる容器だと考えられています」としてあります。
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なにこの作り! という感じの、精巧さではないでしょうか? 表面はつやつやしていますし、これは「器」なので、中が空洞ということです。
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■紀元前1200〜前800年頃・イラン北部《鹿形土器》
野生の鹿を可愛らしく表現した容器である。薄く中空に作られていてとても軽い。表面は丁寧に磨かれている。口の部分が長く伸びていて、そこから液体を注ぐことができる。
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■紀元前1000年前後・イランの宝飾品
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■紀元前1000年頃・イラン北部、ギーラーン州
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この人、Eテレの幼児向け番組に出てきませんか? 朝、息子が見ていたような気がします。
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■紀元前1000~前600年・イラン西部、ルリスタン(Luristan)地方
上下に三つ並んだ顔を持つ神(あるいは英雄?)
が、両手で怪獣(蛇もしくは龍?)をつかんでいる。
台の上に差して儀器として使われたのであろうか。青銅製。
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ルリスタン美術独特の丸顔の怪人(英雄?)が、両手にライオンをつかまえている。両脇の環に紐を通す飾り金具であろう。
■紀元前1000~前600年・イラン北西部《鳥形容器》
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■紀元前1000年頃・エジプト
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谷川俊太郎さんのお父さん、谷川徹三氏が奇贈したもの
Amulet - Baboon holding an Udjat-eye
セト神に奪われ、傷つけられた後に治癒・回復したホルス神の眼(ウジャト)を、トト神の聖獣ヒヒが持っている。「混乱後の秩序」「健康・安」などのシンボルとされている
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谷川徹三氏寄贈
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谷川徹三氏寄贈
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■紀元前664年〜前332年(紀元前7〜4世紀)・エジプト《ウシェブティ》
これも画像がガビガビで残念……おそらくISO感度の設定が間違っていたんだろうなぁ……。
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あの世で死者に代わってこの人形を働かせるための呪文(死者の書第6章)がヒエログリフで下半身に刻まれている。手には農具を持ち、左肩にはカゴが下げられている。
この下半身に刻まれている呪文については、別にパネルが用意されていて、同館の田澤恵子さんが解読された日本語訳が記されていました。以下はその一部分です。
汝らは、相応しい時にそこで仕えるために呼び出される。農地を耕し、岸辺を灌漑し、西の砂を東に運ぶために。
「私はここにいます」と汝らは言うべし。
■新バビロニア時代(前6世紀前半)バビロン中心部の模型
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■紀元前3世紀~後14世紀
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さまざまな色ガラスを用いたこのようなビーズは、昆虫のトンボの複眼のようであることから「トンボ玉」とよばれています。アジアの東西で重宝されました
■紀元後1〜3世紀・シリア《ヘラクレス小像》
ギリシア神話の英雄神ヘラクレス
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■紀元後2〜3世紀・シリア・《葡萄形耳飾り》
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こうしてオリエント博物館で様々な土偶をはじめとする偶像や土器を見てきて、なんとなく頭の中の空白地帯が少し埋められたような気がしました。はっきりと何が分かったということもありませんが、何かの糧になったのではないでしょうか。
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