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#4:インターネットに作った自分

 書くこと、何もねぇ~~~。

 四日目にしてこの体たらくである。三日坊主は回避できたものの、そこそこ出だしの状態で大丈夫なのかこれは。こっそりとですけど、毎日更新をちゃんと目指しているんですよ。目指してはいます。
 正確には、「書くことがない」のではなくて、「今日はどこを削り取るのが適切かがわからない」の方。
 日記なんだから、気負わず書けば良いのか。ネタとして「やりたいことを叶えるのがうまいなって思う二人の話」「人を見切るのが早すぎるなと思う話」「欲望は力だし、それを肯定したいという話」等書けることはそこそこあるけど、どれも何か……重いな。と思って躊躇してしまう。ためらう必要もないんだけどな。他、「急に推し(?)ができてオフラインでHPを作って狂った話」「創作の話を作るとき、キャラからじゃないと作れない性分の話」「最近二次創作をしても幻覚をキメられなくなった話」とかもある。このあたりは軽い話だからいつか書こう。

 他人のこういう話、読みたいなあ……というのを書けば良いんだね。まあそれは明後日(明日は多分書く暇がそんなにないので)以降の自分によろしく頼むとして、今日はどうでもいい話をしよう。

・スピッツって急に情動をぶん殴って来るから困る。あと弱気な男を押し出しているくせに、ずるさを垣間見せるの、ほんと困る。そういうの好きだから。

・女の子が歌っている一人称「僕」の歌を無限に聞きたい。“良さ”がいっぱい。

・私たち、というか人間たちが発見し栽培を始める前に、自生していたキャベツやカボチャなんかがいたってこと? その先祖でも良いんだけど、自生していたってこと? 無性に可愛さを感じる。 って、日記に書いてたんだけど、一体どこからその想像を広げたのか覚えていない。

・アガサ・クリスティー『動く指』を読みました。そんな描写はないはずだけど、知らず知らずオーエンに眼鏡を掛けさせている自分に気づいた。どうしてpixivにもtwitterにもジョアナとオーエンのイラストがないんですか???

・短いトピックスを羅列するのも据わりが悪いな。今まで1トピック1記事だったから。

・どれだけ自分の「好き!」を押し出せば良いのかわからない。まだnoteの在り様というか、note上での自分の在り様、ブランディングを決めかねている。どこまで内面を曝け出して良いんだろう。良いも何も自分次第なんだから、自分で境界線を見極めていくしかないのだけれど。
 好き、の部分だけでなく、自分の思考とか、傾向、核心、心臓。
 ろくでもなさの開示。インターネットの露悪趣味。顔を隠したまま臓腑をぼろぼろにこぼしていく行為。
 己の醜さに向き合いたくないと言うよりは、今まで心中に湧き出た薄暗い感情や感傷、悪意、醜物、諦念なんかを煮詰めて煮詰めて創作をしてきたので、それらを私自身から直截に言葉にしてしまったら、物語を生み出すことが出来なくなるんじゃないかなって、それを恐れている。これだけ散々、積極的に「創作したくない!」となっているのに、まだその行為を捨てきれず、縋っている自分が面白い。
 だけど負の感情を糧にしているなら、ポジティブな「好き」という気持ちはそのまま言って良いのでは? それもそうか。自己解決した。ブランディング云々はさておき。
 言って良いんだ。
 「好き」を表現するために、私はそのまま言葉にしてその気持ちを言うことが難しくて、どうしてもその好きなものの絵を描くとか、小説を書くとか、そういう作品を作って初めて「好き」を表現できると思っていた。むしろそれらが伴わないと、好きと言っても無駄だと、言ってはいけないとさえ思っていた。
 もちろん絵や小説にかけた労力分気持ちは大きく伝わるのかもしれない。でも「『好き!』という言葉だけでは伝わる気持ち、ゼロ。」という認識を抱いているってもしかして結構私、やばくないか? あ? 今気づいたんだけど。え? 何でそんなこと思ってる?
 これは「主語:私」かつ「twitterなどのネット上において」という条件付きの認識ではあるし、ネット外ではあんまりそういうことは思っていないけど、何だかここにも創作を抜かした自分への価値観が透けて見える気がして何か。何か。
 自意識~~!!!!

・まあ無価値というか、私が私の創作物以外を好きであるという主張とか、私個人の好き嫌いというパーソナルな情報は、創作物を見たいだけの人にとってはノイズだし邪魔だろうなと思って押し込めてきたところがあり、その癖が抜けない。このnoteで創作物は出していないにもかかわらず、だ。今まで創作物を媒介せずに、「作者」以外の立ち位置でインターネット上に存在し、自己を確立したことがほぼないから、そのあたりのスタンスが同一化しているのだと思う。インターネット上に作成する自分はかくあるべし、みたいな。

・ところで体内からこぼれていく臓器って穢れの象徴みたいなところがあるけど、その実私たちを生かすものでもある……というか、そっちが本質なんだよな。でもこぼれちゃ駄目か。見せるくらいにしておかないと。

・何やかんや己の核心にまた迫ってしまった。全部同じところに発想が繋がってしまっているだけのような気もする。それだけのことであってほしい(願望)。

・ちなみに私の作風はほのぼの寄りです。ハピエン厨だし。

・アイコン描くの忘れてた。吾輩は鯛ノハクである、アイコンはまだない。

・夏目漱石は『こころ』しか読んでいないし、なんか読んでいる最中Kにブチギレてたから、多分向いてない。

※写真はこれ……おたる……水族館、か……? きっとそう……。
 

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