#9:創作よいとこ一度はおいで
創作意欲が復活してきた気がする。
気のせいかもしれない。だけど描きたい――じゃないな。書きたい物語が今あって、しかもそこそこ長くなりそうで、書き上げるまでにどれだけの時間がかかるんだろうなあと思う。せっかくだから、小説家になろうとかカクヨムとかでちまちま上げていきたい、という夢を持っている。自分が行動すればすぐに叶えられる夢だ。
かかるであろう時間、労力を想像すると苦笑いしてしまう。こんなことを社会人として、大人として続けるべきものではないのでは? と、普通に生きることを是とする自分が冷静な批判を下している。定職を得、我慢を覚え、悪態をつきつつも笑って日常を消化する毎日。あるべき姿であり、望まれる姿だ。わかっている。
支えたい人がいるんでしょ? 自分の価値を費やしてでもさ。わかっている。
だけどそれを繰り返した先に、私の理想の姿に近づけるの? 何にもならないよ。わかっている。
適当に会社員になった方が、考えることが少なくなって楽だよね。歯車になってりゃ良いだけだし。わかっている。
何をしたって死んだらそれまでだよ。100年後にはどうせ残らないし。
残したいわけでもない。
自分の生きた証とか、正直どうでもいい。
あわよくば好きなことしてお金を貰えないかな~という魂胆もある。
好きなこと、かつ、自分のできることが描いたり書いたりすることだから。
では物語を創造し、かたちにすることはあくまで手段でしかないのか?
違うんだよな~。そこだけは自信を持っている。
物語を作りたい! という気持ちが強い。なぜなら多分、私は私が作る物語がだ~いすきだからだ。
推し作家の旧作も好きだが、新作は別腹で嬉しい。もっと出してくれ、と常に思っている。
なぜか自分がそれ相応の労力をかけないことには新刊が出ないのだが。
なんで?
発表している以上は他人に見てもらって、心をべっこべこにして差し上げたい。間違えた。情緒をじわじわバグらせたい。そのぐらいの衝撃を与えられたら、嬉しい。
だけど最大目的は己の慰撫。よっ! 待ってました! 今回も“ヘキ”の詰まった新作ありがとうございます!!
自分のためなら、わざわざ漫画や小説にしなくても良いんじゃない? 設定だけ作っておけば……と思うでしょ。違うんですよ。かたちにするとね、良いことがあるんですよ。
①忘れる。
二つの意味がある。
まず、自分が数年前に書いたやつとか、忘れる! 読み返すと新鮮な気持ちで読めるし、なんか新たな供給が来た感じになる! ありがとう過去の自分! そして今やもうその語彙が自分の中にない! 昔の私、天才か~!? ってなる。もう別人なの。自分ではない別の作家が過去にいるの。しかもめっちゃ好み。残しておいてくれて感謝……。
そしてかたちにしておかないと、忘れる。長編で書きかけのものがいくつかあって、当時のメモを見る限りしっかり最後まで展開を決めているということは伺い知れるのに、肝心の詳細が何も書いてない。各章のタイトルは決まってて、あとおおよその結末は覚えているんだけど、そこに至るまでの道筋がマジで何もわからない。わからないってことは、つまりメモもないし私(作者)の記憶もないってこと! もうこの世の誰も続きがわからないってこと!!
は!? 未来永劫続きが読めないってことですか!? そうだよ。
読めることは希望、読めないことは絶望なので、プロットくらいは記しておこう!
②予想外の展開になる。
そのまま。
話の大枠が脳内でできるじゃないですか。それだけで既に楽しいんだけど、プロットにすると展開の詳細がそこそこ詰められて、ここがこうなるということはあの場面のあれが繋がってなるほどなるほど、という納得感が出たり、逆にこれでこう言ってそういう思いでいるのにあっちであの発言になるのおかしくないか!? という矛盾に気づいたりする。修正修正。
で、小説なり漫画なりにするのに、もっと詳細に描くじゃないですか。
そこでさ、例えば小説なら、会話のテンポのために新たなセリフが追加されたり、地の文でも、なんか描写が薄いから、ということでより詳細に書き加えられたりする。
漫画でも同じ感じ。見開きで似た構図が続くから、カメラ位置を変えてこっちを映そう、ということで、手元や、セリフ主ではない脇にいる人たちの様子を描くことになる。あと特にめくり部分の調節のため、会話が増えたり、ちょっと余計なコマを加えたりする。
いずれにせよ、プロット段階で浮かばなかった描写が増えて、はからずもキャラクターの深掘りがされることが少なからずあるのだ。
あと単純に書いていったら、「いやこのキャラだったらこの台詞にこうツッコむよね、そこが彼の中で引っかかっちゃうから……となると……おや……?」という感じであらぬ方向に話が転がって大変になることもある。面白ければそのまま転がして、当初の予定外の展開が続いて結末に向かったりする。もちろん思いがけない泥沼展開に飛び、もうどうしようもありません状態になったら、さかのぼって修正に走ります。
かたちにして初めてわかる、キャラクターや世界の動きがある。自分でも予想だにしない展開になることがあるので、書いて/描いている最中も楽しいぞ、という話。
③読める。
①と若干被るけど、読めるぞ。作品を。自分の推しの作品が増えるぞ。やったー!! イェー!!
自分が読めるということは他人も(多分)読めるので、自創作で他人の感情をぶん殴ることができるぞ。
あと自創作語りをしたい場合、かたちにしたものがあると共通知識が増え、話が通じやすくなるぞ。
急にSNSや対面で自創作に言及され、突然の供給に焦り散らすことができるぞ。
大まかな良いところは以上の通り。
他にもあると思うけど、もう眠たいので一旦切ります。
PCに向かってから構成も何も考えず書きはじめるから、すぐ話が脱線しちゃうな。何の話だっけ。
生きている私は生きている私のために創作をしている。
己の喜びのために。新たな喜びに出会うために。私の知らない「あなた」を知るために。
私の創作って所謂箱庭型なんだよなあ……という話はまた長くなりそうなので別枠でいつか。
本当に死の間際になったら、自分が生きていた証を世界に遺したいと思うのだろうか。
誰かに繋げたいと、託したいと思うのだろうか。それを目的として創作する日もあるのだろうか。今の自分では想像できないけれど、もしも未来の自分がそう思うのであれば、それはそれで面白い心境の変化なので、詳細をつぶさに記しておいてほしい。それを読んで笑いたい。
まあ何にせよ収入はあった方が良いと思いますけどね。収入がないからこそ、「お金も稼いでいないのに趣味に没頭するなんて何考えてるの?」というストッパーがかかっているところはある。お金を稼いでいない自分は無価値だ……という思考が根底にある気がしていて、また自分の価値への話に戻ってしまうから今回は割愛。
将来的に創作一本でやれるようになったとしても、今無収入なのは疑いようもない事実なんだからね。
だけど今、時間はある。
あと「あわよくば」とか言ってる時点で半端な気持ちだぞ。しっかりしろ。弱気になってんじゃねーよ。没頭しろ。
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