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コーディネーター・アラジンのブログ #63 象山地下壕の見学

Zozan Underground Imperial Headquarters


今日は、2年生全員で長野市松代町にある象山地下壕を見学しました。
太平洋戦争末期、敗戦色が濃厚であった当時、本土決戦を行い、連合軍に最後の打撃を与えて、国体護持などの和平条件を得ようと考えていた軍部は、
ここ松代に大規模な地下壕を掘り、宮城(皇居)や政府の諸官庁、ラジオ放送局などの中枢機関をまとめて移転する計画を実行し、約6000人とも言われる朝鮮の人々をもこの松本大本営移転工事に従事させ、終戦までのわずか9カ月で全長10キロ以上に及ぶ地下壕を掘りました。
 結局、二つの原爆を落とされ、8月15日には、敗戦を告げる玉音放送で、大本営の移転は行われず、地下壕を使うことはありませんでした。
その時までに計画の8割まで完成していました。


象山壕入口。ヘルメットを貸してくれます(無料)


私たちは、公開されている象山地下壕を見学しましたが、松本大本営は、象山以外にも舞鶴山や皆神山にも作られ、舞鶴山の地下壕は、天皇の大本営本部と天皇・皇后の御座所として、皆神山は、地盤が悪いために最終的には倉庫として利用する計画でした。象山地下壕は、残りの、今で言う霞が関のようなところで、諸官庁が移転してくる予定の場所でした。他の2カ所と違って、ここの地盤が固い変成岩で出来ているため、ダイナマイトを使っての掘削で、難工事でしたが、今も公開に耐える壕として残っています。

赤線部分が公開されています。

壕の中に、何カ所か、掘削機のロッドが折れて抜けなくなったものが残っていました。硬い岩盤に鉄の棒を打ち込み穴を開けて、ダイナマイトを仕掛けたそうです。

折れたロッド
非常に硬い変成岩
地面の平行線は、トロッコの枕木の跡

爆破して砕けた岩石は、ズリと呼ばれ、その運び出しも大変な重労働。線路が引かれ、トコッロで運びだすため、壕にはわずかに傾斜がつけてあったそうです。
運び出されたズリの大部分は戦後持ち出され、GHQの建物の前の道路の敷石などに使われたとか。

出身地なのか、テグ府の落書き

壕の壁には、ハングル文字や漢字や絵が描かれていたのが見つかっています。朝鮮半島の地名の大邱府と書かれた落書きは、働かされていた労働者が故郷を思って書いたものでしょうか?

壕の中は年中15℃くらい。少し寒かったですが、その分、外に出てくると大変蒸し暑く、夏のようでした。


以下は、生徒たちと別行動で、松代の町を歩いた報告です。

象山地下壕から真田公園の駐車場まで、歴史の小道を歩きました。そこに、江戸末期に活躍した、佐久間象山を祭った象山神社がありました。その境内にたくさんの銅像がありました。佐久間象山を見出した松代藩主真田幸貫、象山に学び、志を受け継いだ勝海舟吉田松陰坂本龍馬橋本佐内小林虎三郎。訪問者として高杉晋作中岡慎太郎久坂玄瑞のレリーフも。佐久間象山の偉大さを改めて感じました。

象山神社の志士たちの像

もっと時代をさかのぼれば、真田邸松代城跡もあります。

信州松代は真田十万石の城下町の風情が残っているとても素敵な町でした。

真田邸の土塀

現役の松代小学校は、信濃国松代藩の藩校であった文武学校(ぶんぶがっこう)に隣接していて、とても趣がありました。

長野市立松代小学校入口

帰りに見た、象山。千曲川に掛かる松代大橋の向こうに全景が見えました。象さんの形に見えますね。

いろは堂OYAKI FARMのスカイデッキから