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コーディネーター・アラジンのブログ #124 白馬の山城

Mountain castles in Hakuba

先日、山とスキーだけじゃない白馬の魅力の一つ、白馬の山城を学習しました。
2年生の観光の授業で、白馬の歴史に詳しい木曽寿紀氏を招いて、「白馬の歴史散歩~山城編」と題して講演をしていただきました。

ここ白馬は戦国時代、上杉謙信と武田信玄の領地の境目にあたり、交通の要所でもあったので、戦いが多くあり、お城が沢山作られました。

城というと、天守閣や石垣をイメージしがちですが、戦国時代の天守閣がまだ残っているのは全国で僅か12城のみです。実は城は本来は土で山に作った山城がベーシックで、3万城以上あったと言われています。城という字は、「土で成る」と書くでしょ!

なるほど、「土から成ります」ね。確かに、土 + 成 = 城
3万城以上の山城も長い年月で壊されたり、別の土地利用をされたりと存在が容易に分からなくなっているものも多いけど、白馬でもいくつも見つかっているそうです。

長野県内には1256城あり、松本平では300城、その中の白馬では20城以上とされています。以上というのは、スキー場になっていたり、分からなくなっているものがあるだろうと推測されているからです。

白馬村の山城は神城地区に集中している。

山城は山の尾根や中腹に築かれた城で、少人数で守れ、馬で上がれず、相手の兵力をあらかじめ削ぐことができる防御施設です。
尾根や中腹に一段高くなった台のようなものが作られ、曲輪(くるわ)と呼ばれ、そこに陣地を置きます。
周りには真っすぐ攻めてこれないように堀切と呼ばれる構造などが作られます。

授業ではメインの5つの城を紹介していただきました。

一夜山城

一つ目は、一夜山城です。

大糸線飯森駅を松本方面に出発するとすぐ右手前にこんもりした山がポコッと見えるのが一夜山(いちやさん)。
白馬村の青鬼(あおに)地区の御禅鬼様(おぜんきさま)の話はご存知ですか?青鬼地区で冠婚葬祭などでお茶碗が沢山必要な時にお祈りすると揃えてくださるという優しい大男の神様で、その御禅鬼様が山を背負って来られてできたのが一夜山だと言い伝えが残っているそうです。この山を登ってみると、背中に縛った縄の跡とか、こすれた跡があるとか言われていて、それがどうやら山城の構造と関連がありそうです。現地には馬屋跡の説明板もたています。
一方、ここで武田信玄と戦った時に一夜のうちに陥落してしまった城だということから一夜山と呼ばれるようになったという説もあります。

飯田城

次に飯田城です。

大糸線が犬川を超えるところで、西側の正面に見えるのが飯田城です。
このお城は是非尋ねて欲しいです。白馬で一番おおきな城です。ここには帯曲輪(おびくるわ)というのが見られます。
武田信玄がこの城を攻めあぐねていた時、一匹の犬が山から降りて来て川の水をごくごくと飲んだのを見て、この城は水不足に陥っていると見抜いて、一気に攻め落としたという伝説が残っています。頂上付近から戦前に刀が見つかったと言われています。

なるほど、それが犬川の由来なんでしょうか?

白米城伝説というのは、山城が敵に囲まれて水を断たれるが、白米を水に見せかけ、馬に浴びせたり、馬の脚を洗ったりして、水に困っていないことをよそおったという落城伝説。各地に伝わる。


飯田秋葉山城

つづいて、飯田秋葉山城
飯田山の麓にある城で、のろし台跡と思われる場所に山城の目印となる火除けの秋葉権現社と三坊社が祀られている。堀切がはっきり見え、お城だったんだなあとよく分るそうです。また、カモシカが縄張りにしていてよく出会うそうです。

位置関係がよく分りますね。

三日市場城

次に今日一番お話したかったとおっしゃったのが、三日市場城
タイトルに、「館」(やかた)と共に窺える城とあるように、城の主の住んでいた館跡が残っています。

戦国時代ってお殿様も家臣もお城の中には住んでいないんです。お城の外に屋敷をつくって普段は暮らしている。何かあった時には城に登っていって守る。この三日市場城は、三角形の特徴的な山があって、三日市場の神明宮があるのでよく知られている山です。その麓のあたりに、沢渡氏館跡があり、このお城を治めていたお殿様の屋敷跡があります。都心だとまず屋敷は残っていないが、白馬だから残っている。
この沢渡氏だけが代々継がれ明治以降も残り、子孫の方が今は東京に住んでおられます。
この山城には武田信玄に特有の畝状竪堀が見られます。

畝状の竪掘が見られるということは、武田信玄と戦ったのちに、武田氏側についたのでしょうか? 

山城だけでなく、主の屋敷跡が残っているのは珍しい。
畝状立堀。武田流築城術の痕跡!

茨山城

最後に、茨山城(いばらやまじょう)
大日方(おびなた)というお殿様が武田信玄と戦ったときに使った城といわれています。

この城の特徴は、曲輪を繋ぐ土橋が曲がっていること。それは、城のすぐ後ろの古墳(城嶺古墳)をさけるために曲がっていて、当時も古墳の意味を知っていて、崩さないで土橋を曲げたものだと推測されます。

脱線しますが、白馬の古墳をご存知ですか?
白馬には30個以上の古墳があり、北安曇郡最大です。それも神城に集中しています。それもはっきりとしたボリュームのあるまん丸い古墳の形をしていますので、是非見にいってください。外国の方にも紹介してください。

ふ~ん、そういえば、八方のゴンドラ山麓駅近くの細野諏訪神社脇に、竪穴式住居跡がありましたね。
旧石器・縄文・弥生・古墳・平安~と歴史の初めから、白馬の地域には人間が暮らしていたということを考えると、地域に誇りをもって、足元の歴史もしっかり学んでいきたいですね。

地域資源を活用して、テーマ先行型の観光を考えよう!

最後に、観光授業を担当されている浅井先生は次のように話されました。

違う価値基準の人を白馬に呼び込むというのが次の一手として大事な意味をもってくる。「白馬=山=スキー」というイメージは非常に強いが、観光には「場所先行」「テーマ先行」がある。
白馬で、例えば韓流スターのイベントがあるとすると、大勢の人が集まる。それは白馬でなくてもいいので、これがテーマ先行ということ。でもここに来て見ると、美しい山もあるしスキーもできると気づいてもらえるかもしれない。今の観光はテーマ先行型が注目されている。

山城が好きな人はどれくらいいるかはわからないけど、そうした地域資源をいくつも発掘し、持っていれば、いろんなテーマで来られる人と繋がることができるというお話は、なるほどと納得させられました。